松本人志(松本軍団)の性加害報道について、「週刊誌で書かれていること=真実って訳じゃない」というのは何度か書いてきた。しかし今や、松本軍団に追及はとどまらなくなってきていて、かつマスメディアとスポンサーの力関係の変化や2023年の諸々の不祥事(ジャニーズ問題や宝塚の不祥事など)で世間の眼差しが厳しくなってもはや芸能界や芸事の世界を治外法権のようにはみなさない人間が増加し、それによりスポンサーの警戒心も高まった結果、「同意があろうがなかろうが、そういう会を大々的にやっていたことが明るみに出て世間を騒がせた時点でアウト」となりつつある点には注意が必要である(まあ芸人の中には諸々の「武勇伝」を公共の電波で語って人気を得てきた者もそれなりにいるから、潮目の変化とはいえ自業自得と言えなくもないが)。
その意味において、例えば「松本人志追い込む文春報道に見えてきた”異変”」という東洋経済の記事は、週刊誌報道=真実でもなければ、週刊誌=正義でもないという点に注意喚起し、かつそういう意見も増えている指摘としては確かに重要なのだが、今述べたような「同意が云々というか、そもそもそういう会を大々的にやってた時点でイメージダウンだしアウトでしょ」という意見の増加やスポンサーの意向、およびそれに配慮せざるをえないマスメディアの行動変化に歯止めをかけられる訳ではない(何せ代わりはいくらでもいるので、わざわざリスク要因のある存在を広告塔に据える必要はないし、それをやって当該の行動を容認しているかのような見方をされることは企業にとってリスクでしかないからだ)。
その意味で、性行為の同意云々については裁判で争うことになる(争える)としても、そういう会を催していたこと自体がもはや排除要因になりつつある以上、そちらを完全に否定できなければ(そしてこれはかなり難しいのでは?)、裁判に勝ったところで一体何が戻るのか?という話である。
まあ私にとって一つ確からしいと思えるのは、今回の現象が大手マスメディアの衰退をますます促進するだろうということだ。これはかつて不倫報道などで批判された文春があたかも「真実を伝える報道機関」のように(一時的とはいえ)みなされたことにもつながるが、それだけ文春に期待の目が向けられたことには、旧NHK党が一部人気を博したのと同じで、オールドメディアへの強い不信が関係している(逆にそのことを踏まえずに&手当てをせずに個々のメディアや組織をただ批判したところで、その後また第二・第三のオルタナティブが出てくるだけで、何の解決にもならんのである)。
そして今回の松本人志に関する報道では、またぞろ様々なやらかしを披露してくれており、その信用はどんどん目減りこそすれ回復の見通しはない。
さらに追撃として、今回の件を受けたスポンサーの意向に、弱体化の進むオールドメディアは従わざるをえず、それはさらに萎縮傾向を強めると予想されるため、テレビ番組などのいっそうの質の低下(やれることの縮小→マンネリ化やスポンサーのための宣伝機関化)へとつながり、そらはさらなるテレビ離れを促進し、さらに力を弱めたオールドメディアはスポンサーへの依存度を高めて・・・という負のスパイラルから抜け出せなくなることが予測される。
これぞまさに「貧すれば鈍する」の言葉通りの現象だが、今回の一連の騒動は、昨年から続くオールドメディアへの不信と衰退をいっそう加速させるものとしてこそ、大いに注目していく必要があると述べつつ、この稿を終えたい。
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