フラグメント131:ひぐらし、うみねこ、「リアル」

2012-03-27 18:07:35 | フラグメント

 <うみねこ、沙耶説明、終末クロウカシス
推理はともかく、演出面には興味がある。「実在するはずがありません」という冒頭メッセージの過剰性=現実との接点や整合性ばかり問題にするひぐらしへの評価に嫌気が指したんだろう。まあ推理や人為・祟りの煽りや、鷹野のスクラップ帳など(=脱呪術化リアリズム)で人気が出た面はあるので自業自得な部分も多いが、それにしても「始めからホラーだった」とか言って正当化しようとするタゴサクや、設定がおかしいからと言うだけでダメ出しする木を見て森を見ないヤツらの多いことと言ったら(巨象を触る盲人の如し)。その批判や見解が妥当である根拠は何なのかと問いたい。俺が「何でもあり批判戦闘力批判鬼編真相批判澪尽しエンド批判を展開したのは、問題になる理由を明らかにせんかったら「批判内容は単にあんたの趣味・願望やない?」と言われて終了だから。あなたの評価は如何?

 

<うみねこ2>  [結末=「やさしい」関係性への逃避・自家中毒の構造→浦島太郎鞠也に首ったけノイズ排除、「調和」と「地雷」、精神主義という名の病]
ただ俺から見れば、作品と自意識が結びついたタゴサクとディーテイルマニアのどちらも思考停止しているという点では同じだ(レッテル貼りという名の怠慢)。まったく「シンパ」とか「アンチ」とか、そのカテゴリーと一緒に焼失すればいいのにと思う。虐待、処女崇拝(マリヤ、ローザ)。キャラクターの現前性→七杭やぬいぐるみ。ベアトとの敵対から保護へ。人為対祟りの二項対立から抜け出す?うさぎの白色であからさまに雰囲気(黒色)打ち壊す。ルールの擬人化。物理法則と神。呪文とプログラム言語(七十二文字、「現代魔法」)。偶然性神の罰(意味的な馴致)。本来はひぐらし証言の後に書きたかった。

 

デスノ歌
OPで掴んでテンションを高め、EDはむしろ余韻に浸らせまったりさせる狙い。ドラゴンボール(Z)、エウ゛ァ、テクノライズ、灰羽など。デスノは…アップと素早いシーンの移り変わり、象徴的な絵柄→後は正道(りんごやビルの上)。エンディングは誰にも~捨てた、まで絵に動きなし。内に秘めた怒りの表れ。灰色と黒はデスノに合っている→死神会のイメージ?色が全体的に押さえ気味になっている。空の反転、景色の反転…現実と理想、正義と悪。動きもかなり押さえられている…りんごを放り投げるシーンくらい。ネガティブに捕われるほど…嫉妬など感じようもない設定。孤独も知らぬ→複雑な含意。

 

ゴスロリ女と口紅ノイズ
かつては目に注目。手や足の装飾。ガーターベルトや腕の露出、鎖骨に太ももにショートカットとあらゆる角度から攻めてくる。口紅のノイズ。ない方がかわいらしい。というか、もはやその画像は女の子にしか見えない。そこに過剰性を見る。ない方がきれいに枠の中に収まって見えるけれども、収まりきれないからこそ、そのノイズが刺激し続ける。

 

サクラチルサク
どこまでが計算なのかわからんが、作品がそのままで批評になっているようなものがある。フグダーダのサクラチルサク。ストーリー性と濃密な(?)エロを両立させようとして果たせず、肉付けされない骨格だけが残った感じ。まず高嶺の花、自分はイケてない。突然向うから言い寄ってくる。いきなりヤル。童貞だがいきなり相手を感じさせ、アクメらせる(童貞でも大丈夫!)。ココロの隙間を明かされ、埋めて終り。ここまで明らさまだと逆に最後付き合うとこまでいっちゃう超展開の方がご都合性が際立ってよかったのでは?続編を見越しての中途半端?一般紙進出の匂い。エロが邪魔な印象。

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