天下布武 三日目:聖人たち・ショタ・企業慰霊塔

2022-07-22 12:12:12 | 畿内・近畿旅行

 

比叡山巡りも終盤というところで、こんな由緒書を見つけた。そうなんよね~親鸞に限らず、法然も道元も、比叡山で学び、鎌倉仏教を開いていった。もちろん、天台宗のシンパとしてではなく、そこへの疑問や問題点を意識した結果新しい宗派を開いたわけだけど、ともあれ当時の天台宗の存在・影響力の大きさを物語っていると言える。

 

 

 

 

同じく比叡山で学んだ日蓮についても言及されている。うーむ、まあここまでくると、「あいつら俺の元から巣立っていったんやで(ドヤ)」的な掲示に見えてきますなあ(・∀・)

 

 

 

 

この最澄はショタ味あるな~。詩子ねえさんが喜びそうな見た目である(注:この旅行は2016年8月のものです)w

 

 

 

 

日本生命の慰霊塔を発見。そう言えば日本には企業墓もあるんだった。うーむ、これは日本人の宗教的帰属意識を考える上で参考になるかもしれん・・・きたぞきたぞきたぞ・・・・・・

 

日本企業の家族主義的経営はよく知られたところであり、それは「会社共同体」とも呼ばれる。日本人の宗教的帰属意識が戦後漸減していったらしいことは統計から読み取れ、その原因は高学歴化や出身地から都市部への移動(就学・就業)などによる宗教への距離感、継承の失敗などに求めることができそうである。

 

とはいえ一つ疑問なのは、「都市部へ移動=伝統的共同体からの距離」はともかく、それが「特定宗派への帰属意識意識剥落=無宗教という自己認識」まで直結するかである。著名な例として、都市部へ出稼ぎにきた労働者層が根無し草的存在となり、彼らを取り込んで教勢を伸ばした創価学会を挙げることができよう。すなわち、都市部への移動という当時広範に見られた社会現象が、そのまま無宗教と自認する日本人の増大と説明するのはいささか短絡的であるように感じられる。

 

しかしここに、「会社共同体」への包摂という現象が見られたと考えればどうだろうか。そこへ吸収された人々は、伝統共同体からは切り離されたものの、そこでは企業戦士としてオーガナイズされ、その結果所属先が用意されたためにオルタナティブ(創価学会的なるもの)を必要としなかったということだ。さらに言えば、そこでは成長する日本経済の中で経済ナショナリズムという形で満たされ、上がる給料・生活水準の中で見えざる世界に殊更コミットする必要性を感じる人間は多くなかった・・・というのがある種戦後日本における「アメリカ的物質至上主義」の影響という風にみなすことができるかもしれない(肝心のアメリカで相変わらず宗教的帰属意識が高いままなのは、「サンベルト」に代表される州ごとの差異もあるが、主にキリスト教がベラーの言う「市民宗教」として、いかに経済成長しても回心=リバイバルの契機をしばしば作り出してきたことを思い出すとよいだろう)。

 

さらに言えば、そうして会社共同体への包摂や経済ナショナリズムがある種の「埋め合わせ」として機能していたとすれば、バブル期のフリーター称揚、そしてバブル崩壊による経済ナショナリズムの後退が空白を生み出し、それらと歩調をそろえるように、オウムなど新新宗教が流行し、そして歴史修正主義が隆盛したことも非常に理解しやすいように思えるがどうだろうか。

 

 

 

とか考えながら歩いていたら、比叡山巡りも終了となった。ほいじゃ次の目的地に向けて旅立つとしますかねえ。


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