政治のプロフェッショナルを選ぶ

2007-04-15 21:04:51 | 感想など
選挙シーズンということで選挙ネタを書くことにする。


政治家が「不満があるなら自分が政治をやるべきだ」というのを耳にしたことがある。なるほど好き勝手にさえずる大衆を見ていたら、そのように言いたくなることもあるかもしれない。あるいはまた、大衆に政治を深く考えさせるための戦略的な発言になりうるのも確かである。しかしそれでも、この発言は政治家として厚顔無恥以外に何のものでも無いのである(しかし自分の都合を押し通すだけの要求に対して反論するなら、「もっとよく考えろ」と言えばよいだけのことだ)。


例えば、電気屋が故障した電化製品を直しに来た場合を考えてみよう。その家具を直すことができずに責められたとして、彼は「不満があるならあなたが修理をすべきだ」と言うだろうか?仮に私達が言われたとすれば、あまりの無責任さに開いた口が塞がらないことだろう。


政治家も同様である。政治家というのは、(学校の委員会と違って)金をもらって政治をやっている、つまり政治の「プロフェッショナル」なのだ。その立場にある人間が「不満があるなら~」と言うのは、まさに電気屋が「あなたが修理すべきだ」と言うのと同じであり、プロフェッショナルとしての自覚が欠落した幼稚な発言以外の何者でもない。


もっとも、政治家のほとんどは自分が選ばれたことばかりに意識が行っていて(あるいはまた選挙活動には多くの資金が必要となることもあって)、「自分は政治という行為に対して市民の税金から給料を貰っているプロフェッショナルなのだ」という自覚は無いように(少なくとも私には)思える。「民意によって選ばれた」というのはいかにも美しい響きだが、政治という行為に対して金をもらっている以上、第一には政治のプロフェッショナル、つまり職業政治家なのであり、少なくともそうなろうと努力すべきであると言えるだろう(営業マンが営業の本を読むのが当然のように、だ)。


おそらくそのようなプロフェッショナルとしての自覚がないから、平気で上のような発言ができるのだろう。そういう基本的なプロフェッショナルの感覚を身に着けないうちは、「不満があるなら自分が政治をやるべきだ」という幼稚な発言は決して消えないだろう。


単純に「良さそうな人を選ぶ」という感覚では、いつまで経っても状況は変わりはしない。自分達は「政治のプロフェッショナルを選出しようとしているのだ」ということをまず理解しなければならない。そして選ばれた人間は、政治という行為に対して報奨金をもらっているという事実を自覚することが必要不可欠である。この二点が、意識改革に最低限必要な事柄ではないだろうか。
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