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沖縄complex

2018-12-18 12:00:27 | 本関係

体調悪いから新しいものを頭に入れたくない結果、今あるものの整理が進んでブログの更新速度が速くなってると言ったな。あれはウソだ・・・ウワー!!!とは誰もならないわけだが、実は12/8に門前仲町で友人と会う機会があった(ちなみに今の体調はと言うと、bloody phlegmとお友達なので、耳鼻咽喉科で鼻にカメラ突っ込まれたりして疑似トータル・リコール体験をしたりと楽しい日々を送っておりマス(・∀・)!)

 

その時友人に勧められたのが、『はじめての沖縄』という本である。といっても、別にこれから沖縄旅行に行くための見どころガイドでもないし、沖縄のことを何も知らないので簡潔に特徴をまとめてある、といった類の内容でもない。むしろ沖縄と20年以上に渡って関わってきた研究者が、その中で得た「沖縄に関する単純化できない諸々のこと」を掬い取ろうとした著作である。そこで描かれているのは、「沖縄=天国」でも「沖縄=被害者」でもないし、まして「沖縄=本土の踏み台」でもない。また単純なナイチャー(本土=沖縄外の人)とウチナンチュ(沖縄の人)という二項対立の本でもない。

 

じゃあ何なんだ?というと、著者が蓄積したオーラルヒストリーや様々な記録を元にしてそういった対立図式やレッテルを相対化しながら、それを成立させている背景を考える本である。

 

なんか面倒臭そうだな・・・と思うかもしれない。そして実際、著者はあえて何度も冒頭でそういう断り書きを入れている。

 

そう、複雑性に向き合うのは端的に言って面倒臭い。というのも、世界の色々な出来事が瞬時にニュースとなり、様々な形で情報化する昨今、そしてアーカイブ化された大量の音楽や日々投稿される大量の動画などコンテンツで溢れかえってる昨今、いちいちその複雑な側面を語るよりも、ざっくりとまとめてくれた方が助かるからだ(「まとめサイトの隆盛」を指摘すれば十分だろう。まあ端的に言うと、時間の奪い合いになっているということ)。そうしないと、情報の洪水に押し流されてしまいそうになるし、そもそもそこまで興味が持続しないからだ。こうして人は「見たいものしか見ない」状況へと必然的に陥り、自身の発想を陶冶することもなく、その思い付きをノイズの排除された同じ蛸壺の中で強化し続けるがゆえに、自身の意見に賛同しない者は、下手をすれば人扱いさえする始末なのである(ジョナサン=ハイトはこれをサイバーカスケード現象と呼び、またサンスティーンは今述べたような性質ゆえに、ネットやSNSが民主主義を危険に晒すと指摘している。つまり、今述べたようなことは地域や階層を超えて世界的に起こっている現象で、かつその兆候は近代からのシステムを脅かすものとして警戒・研究されるまでになっている、ということだ)。

 

こういった今日的状況を踏まえるなら、著者が取っている著述方法は、とかくイメージ先行になりがちな沖縄に限らず、極めて重要なスタンスと言っていいのではないだろうか。

 

・・・とガチガチな紹介をしてみますた(・∀・)最後までこんなテンションでもいいけど、それってこの著作のintroductionとして相応しいのかねえ、と疑問に思ったので一度キャンセルしてみた次第。ちなみに私はこの本をまだ半分しか読んでないのだが、その上で思ったことをつらつら書いてくとこんな感じだ。

 

〇今年のGW会津旅行に行った

5歳の頃に時代劇の「白虎隊」を見ていて、明治政府に対して賊軍と扱われた人たちがいたことを知った。後には彼らが北海道開拓民として北方の過酷な環境に生存圏を求めたり、あるいは抜刀隊として西南戦争で活躍(我が故郷熊本には田原坂があります)したことを知り、彼らの戦った理由であるとか、そもそも「愛国」とは何なのかねえ・・・と思ってたりしていた(そういや「西郷どん」が終わったらしいっすね。全く見てないけどw)。世代が上だといまだに戊辰戦争の話が出ると聞いてはいたが、実見した白虎隊関連の展示からうかがえたのは、当事者ないしそこに深く関わった人たちでさえ、その語りのスタンスは微妙に異なっている、ということである。驚くほどに批判的・攻撃的な言辞もあれば、様々表現に苦悩の後が見られるような展示の説明もあって、その多様性ないし重層性に感銘を受けた。そのため、オーラルヒストリーを元に社会や歴史を構築していくがゆえ、とても一言では言い表せない揺らぎや多様性を深く理解しそこに真摯に向き合おうとする著者のアプローチは、私にとってとても好感が持てるとともに、多様性の理解と共生の作法を考える者として、参考になるものでもあった。

 

〇想像の共同体

いくらアンダーソンのような視点が当たり前になったと言っても、やはりこのことを指摘しないわけにはいかない。特に、沖縄と本土の具体的な差異は、私たちに国民国家の恣意性というものを改めて認識させるものである。この一つとして、ポプテピピック第9話の沖縄弁によるナレーションは、それが非常にハングル的に聞こえたこともあり、とても興味深く強烈な体験であったことをここに記しておきたい。 

ちなみに「方言」の問題は日本だけの話では当然ない。例えばドイツ帝国が成立した(今のドイツが形成されたと言ってよい)のは1871年のことで、それまでプロイセンやザクセンといった様々な国の他、ハンブルクのような自由都市が連邦の形でゆるやかな紐帯のもと存在していた。ドイツといえばナチス政権=全体主義的というイメージを持たれている方もいるかもしれないが、実際ドイツの大学で数学を教えていた人に聞くところでは、彼らは非常に地域性を重視し、むしろ方言に誇りを見出すような発言をする人たちが印象的だったそうだ(ちなみにいわゆる枢軸国は、今述べたドイツはもちろん、日本もイタリアも地方分権的ないしバラバラの状況から19世紀後半に統一を成し遂げて植民地争奪に加わっていったという点が共通している)。

そう考えてみると、たとえばドイツ全土が同じということは全くなく、第一次大戦の後でヴァイマル共和国に組み込まれたバイエルンは極めて保守的な地域としてナチスの本拠地にもなったし(cf.ミュンヘン一揆)、あるいはドイツ帝国統一後に南部のカトリックが強い地域は政府に反発し、いわゆる「文化闘争」が起こったりした(ちなみにここで保守=ナチス!?と引っかかるのも、今回の話の文脈で言うと重要な反応である。まあここで共産党のことが出てきたりするわけだが)。

日本は島国だしより統一的だと思うかもしれないが、今でさえ京都と群馬では政治風土から全く違うし、大阪と東京でもそうである。宗教についても、廃仏毀釈が劇的に機能した鹿児島は仏教が他地域に比べて明らかに弱く、逆に北陸などには真宗篤信地帯なるものが存在したりする。要は、きちんと細部に目を向ければ、沖縄に限らず日本も多様ってことである。

 

〇基地問題のスタート地点

基地問題を考える時に、「沖縄に基地が押し付けられている」・「沖縄は戦略的に重要な拠点だ」・「沖縄の人々も基地で儲けている」といった議論が出てだいたい平行線を辿るケースが多い。あえて言うなら、「どれも合ってるから」だろう。しかし、この本においては、自分の考え方が近視眼的だったことに気づかされた。それは本書が提示している以下のような流れによる。

1.琉球処分から約70年しか経ってない

2.ついこないだ自分たちを大量に殺した連中の拠点とされる

3.沖縄は本土の捨て石にされた (ピンと来ない方は『失敗の本質』や映画「沖縄決戦」など参照)

4.沖縄だけ米軍の領土となった

5.日本国憲法という「平和憲法」をいただく国に返還されたのに、基地は残存するというのか

これを見て、なるほどこれは反発するわと思った。正確に言うと、反発すれば基地がゼロになるなんてほとんどの人が思ってないだろうし、そこに(どのような意味であれ)存在価値が全くないと思っている人もほとんどいないだろう。しかし、それを心の底から納得できるかというと話は全く別だ(少なくとも俺はこの文脈なら無理ですわ)。そういう複雑な感情が、あるいは地域性や立ち位置の違いが、ウチナンチュにもスタンスの違いを生み出してるし、語る場面によって表出するものが違ってくるんだなと腑に落ちた。

ここで、人によっては「いやいや琉球処分から敗戦まで70年以上も経ってるじゃん。いい加減日本に征服されたみたいな気持ちは捨てて切り替えなよ」と思われるかもしれない。まあそれもわかるっちゃーわかる。しかしそれなら、自分たちに置き換えてみると、70年以上経った今でも日本国憲法のことで「押し付け憲法」だ何やかやと揉めとるのは何なんでしょうかね?あるいは北方領土の件とかはどうなんでしょうかね?

おいおい待てこらそれらは法的根拠とかに違いがあってだな・・・へいへいわかりますよ。そう一緒くたにできねーってことはね。でも、今ここで重要なのは、「そんな前のことなんだから水に流しといて然るべきやろ」ってのは、当事者がそう言って納得するならまだしも、外野が言うのは違うわけで、それでちょっとナイチャーの問題に関わる視点で置き換えてみましたってことなわけよ(ちなみに北方領土については最近二島返還の件が話題になっているが、そもそも1956年にはいわゆる「雪解け」による日ソ共同宣言で二島返還という話がまとまりかけたことがあった。しかし、当時の国務長官ダレスの恫喝で白紙になったという経緯がある。この動画も参照されたし)。

また、ここでの記事としては、太平洋戦争を語る際に、ABCD包囲網やハル・ノートから話を始める欺瞞を述べてきた。なぜならアメリカなどとの戦争は、戦間期の平和ムードを変えてしまった日本による満州事変、日中戦争、インドシナ進駐といった諸々の文脈の先にあることで、いきなり直前の出来事だけ持ってきて「日本はしょうがないから戦争しました」って言われてもねえ・・・という話(もちろん、この記事のテーマ的に、ワシントン体制=日本封じ込めやブロック経済といった要素にも言及しておくべきだろう)。しかし、沖縄についてはこういうレンジでの思考が欠けていたなあ、と反省した次第。

 

〇征服者の言

「沖縄を軍国主義日本から解放し、近代化してインフラなんかも作ってやった」というマリーンたちの話が出てくる。こういう発言をしてるのは前にも何かの記事で読んだことがあったけど(要するに彼らはそう教育され、それを反復して言ってるだけとも言える)、改めて読むとクソムカつくなあ。

と思いつつ、なんか聞いたことあるロジックだなあと考えてみるに、これ韓国に対する日本の支配を肯定する言説にほぼそのまま当てはまるヤツじゃないか。自ら改革の力のない前近代的朝鮮王朝に代わり、韓国の近代化を進め、インフラを整備したとか何とか・・・なるほど、立場をひっくり返してみると、こういう風に感じられるんだなと大変勉強になりました。

 

 

という具合に、今日の世界を考える上で(沖縄の案件はスコットランドやカタルーニャとのアナロジーでも考えることができる)、あるいは自国の歴史観や文化を相対化する上で、非常に実りの多い著作だと現段階でも感じている次第である。

 

なお、本来は著作の冒頭に出てきた境界線の話を元にトランプ現象やブレグジット(カール=シュミットの敵ー味方図式など)、あるいは現代芸術の袋小路(対抗軸がないため、反発・解放による強度が保てない)、あるいは個人的な話を書く予定だったが、そこについてはまた機を改めたいと思う。


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2 コメント

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Unknown (三角木場)
2018-12-21 22:34:19
先日はどうも。
よく分析されていて感服したです。
体調にはくれぐれもご留意されたし。
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Unknown (ムッカー)
2018-12-24 00:13:55
題名が神懸りすぎてて一瞬コメントする内容を忘れてしまったぜw

自分の分析が大したものだとは思わないけど、こういう「思考するきっかけ」を与えてくれる本はすばらしいものだねえ。

ちょうどこのブログでは、立場を交換して考える(そう言えば将棋で同じ話が出てきた)、単純化できないものに目を向けることの重要さ、といったテーマを扱っている最中だったので、テーマを立体的に見やすくするために取り入れさせていただきました。

いずれこの前話題に出た将棋・囲碁・麻雀のこともここで書きたいと思ってるが、それは別にしてまた機会があれば来年飲みましょう。

では。
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