こないだカラオケで(半分ネタだが)堀内孝雄の「はるかな轍」を歌ったことに関連して。
これは、確か5歳くらいの時にやっていた「田原坂」の主題歌だったりする。思えばこの頃は色々な二時間時代劇が放映された時期で、「忠臣蔵」「白虎隊」「奇兵隊」「五稜郭」などを見た記憶がある。奇兵隊以外は全作出演で、さらにほとんど主役だった里見浩太郎は「さすがに出すぎやろ」などと思ったりしていたものだwまあその時にそれぞれの主題歌、つまり堀内孝雄の「憧れ遊び」「愛しき日々」、さだまさしの「冬の蝉」「夢の吹く頃」(上述した作品の順番どおり)まで覚えたわけである(それを思うと、その後しばらくはかなり偏った音楽センスだったのも当然か、という気がするw)。
それと同時並行くらいだったと思うが、「大岡越前」(このOPテーマはいまだに好き)だとか「必殺仕事人」も見るようになった。小学校くらいになると、(確か)火曜日はいつも時代劇を見ていたが、「八百八町夢日記」をはじめとして里見浩太郎ばかりが主演をしていた気がする(記憶が曖昧なんで違うかもしれんが)。高学年になるとさらに拍車がかかり、「鬼平犯科帳」(EDテーマがすばらしい)をはじめ金曜日(だったか)の「腕におぼえあり」などまで見るようになり、里見浩太郎主演の「大江戸犯科帳」で頂点に達した。それまでは、時代劇を見ていたと言っても、親がよく観ているので自分も一緒に観るという場合もよくあり、親が忘れていると自分もセットで忘れていた。しかし、大江戸~は自分から進んで観ていたし、しかも初めて(22話中)一回も見逃さなかった。
だが、その結末があまりに印象に残ったためか、あるいは今までで一番ハマり込んだためか、それから一気に熱が冷め、あまり時代劇を観なくなった。まあこれには外部的な要因もあって、その一つは、当時だんだん物事を斜めに見る癖がつき始め、忠臣蔵とか見て「これ絶対都合よく改変されているだろ」などと思い始めたからでもあったのだが…
当時は想像もしなかったが、今では時代劇が私を歴史へと向かわせた一因になったのかもしれないな、と思うようになっている。私のようにタイムリーに見ていた人は少ないだろうが、もし再放送で上のような番組を見かけることがあったら、一度観てみてはどうだろうか。
これは、確か5歳くらいの時にやっていた「田原坂」の主題歌だったりする。思えばこの頃は色々な二時間時代劇が放映された時期で、「忠臣蔵」「白虎隊」「奇兵隊」「五稜郭」などを見た記憶がある。奇兵隊以外は全作出演で、さらにほとんど主役だった里見浩太郎は「さすがに出すぎやろ」などと思ったりしていたものだwまあその時にそれぞれの主題歌、つまり堀内孝雄の「憧れ遊び」「愛しき日々」、さだまさしの「冬の蝉」「夢の吹く頃」(上述した作品の順番どおり)まで覚えたわけである(それを思うと、その後しばらくはかなり偏った音楽センスだったのも当然か、という気がするw)。
それと同時並行くらいだったと思うが、「大岡越前」(このOPテーマはいまだに好き)だとか「必殺仕事人」も見るようになった。小学校くらいになると、(確か)火曜日はいつも時代劇を見ていたが、「八百八町夢日記」をはじめとして里見浩太郎ばかりが主演をしていた気がする(記憶が曖昧なんで違うかもしれんが)。高学年になるとさらに拍車がかかり、「鬼平犯科帳」(EDテーマがすばらしい)をはじめ金曜日(だったか)の「腕におぼえあり」などまで見るようになり、里見浩太郎主演の「大江戸犯科帳」で頂点に達した。それまでは、時代劇を見ていたと言っても、親がよく観ているので自分も一緒に観るという場合もよくあり、親が忘れていると自分もセットで忘れていた。しかし、大江戸~は自分から進んで観ていたし、しかも初めて(22話中)一回も見逃さなかった。
だが、その結末があまりに印象に残ったためか、あるいは今までで一番ハマり込んだためか、それから一気に熱が冷め、あまり時代劇を観なくなった。まあこれには外部的な要因もあって、その一つは、当時だんだん物事を斜めに見る癖がつき始め、忠臣蔵とか見て「これ絶対都合よく改変されているだろ」などと思い始めたからでもあったのだが…
当時は想像もしなかったが、今では時代劇が私を歴史へと向かわせた一因になったのかもしれないな、と思うようになっている。私のようにタイムリーに見ていた人は少ないだろうが、もし再放送で上のような番組を見かけることがあったら、一度観てみてはどうだろうか。
え、時代劇ってそんなもんでしょ。っていう視聴者納得済みを織り込んでこそ時代劇だと思うけどな。それこそメイン視聴者層はもう何十年と時代劇見てるわけだしw
テレビという媒体上ご都合はしょうがねえw
忠臣蔵なんて討ち入り当日雪すら降ってない晴天だったらしいしね。たしか当時の物書きがおもしろくするために改変したんだっけ?これも疑わしいがw
関係ないけど司馬遼太郎の小説が有名すぎて(史実じゃないのに)スタンダードになった、みたいな?w
風光る(新選組マンガ)にも史実と違うけど絵的にかっこいいからこっちで解釈!!みたいなことも書いてあったしねw
そんなあなたにはスカパーの時代劇専門チャンネルをオススメします。って知ってたかw
御家人斬九郎は兄ちゃんがハマって見てたなぁ。
創作について言えば、戦国武将の有名エピソードや義経伝説など江戸時代の小説からはじまったものは数多い。それを探求するのはいとおかし、だ。人の認識がいかに「歴史」を作っていく様が見れるからな。
新選組のダンダラ羽織(袖口の白い三角の模様)は、芝居の忠臣蔵の衣装がベースになってます。
近藤勇らが忠臣蔵の芝居を見なかったら、新選組の隊服は有名な浅葱の段だらにならなかった可能性が高い。
つまり、史実ではない、創作の忠臣蔵が本物の歴史に影響を与えたわけです。
「歴史学の社会的意義」でも書きましたが、現代社会も近代ほどでないとはいえ民族や国民性といった「虚構」で動いています。
忠臣蔵の場合は創作になるわけですが、そういった作り事と社会・歴史の関係は面白いものですね。例えば『三国志演義』が創作というのは確かですが、それが社会に与えた影響は無視できませんし、またそこに表れた行動様式が当時の世相を反映している、というアプローチも可能です。
まあ要はものの見方なんでしょうね。昔の自分は、ただ作り事だとかご都合な展開に怒るだけで、そのことに気づくことができなかったというわけです(苦笑)