この前の「祭囃し編再考」では、カケラ紡ぎの演出的意味や効果について述べた。本来的にはその続きを書くつもりだったが、一箇所どうしてもノイズが含まれているので保留し、今回はそれ以外の覚書について書こうと思う。なお、内容は全てカケラ紡ぎのパート、より細かく言えば第二の惨劇あたりまでを扱っている(その前の部分については「鷹野の神観念について」などを参照)。
◎「意思の善悪=行為の善悪」か?
入江の脳外科手術などについて。ちなみに、入江の過去は行動の背景を知らせるものであるとともに、彼のバイアスの提示にもなっている。
◎トミーのカメラへの熱弁は何か意味があるのか?
これは単なる深読みだと思われる。反省。
◎ダム計画撤回作戦⇒富竹も誘拐などと無関係ではない
当然のことではあるが、「富竹=いい人」などという単純な図式は成立しない。「レッテル貼りと真実の追究」なども参照。
◎バラバラ殺人事件
「言い合いがエスカレートし、監督が感情を異様に爆発させだした」とあるが、アニメ版では話し合いの余地もなくいきなりツルハシを振り下ろすという形に変更されている。
◎環境要因と自由意思、そして自由。カント、因果律、遺伝子。これらまとめて近代とポストモダンの話やエピステーメーの変化へ。
以下は入江のモノローグ。二文目までは大枠の内容で、それから先は引用。
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症候群ゆえに犯罪を犯したのか?人間性の問題か?いやそもそも、その人間性の欠陥は何に起因するものなのか。
それこそが、入江が追い求めるところでもあった。罪を憎み、人を憎まず。…犯罪者は、懲役を与え懲らしめることでしか矯正できないのか。…もし脳の疾患により犯罪に無意識に駆り立てられたのだったら、…それを治療することで、人は矯正できる。つまり、…この世には罪などなく、あるのは治療を待ち誰からも理解されない哀れな患者だけなのだ。
中世の時代には、脳に障害を持つ患者たちが、患者と理解されず、悪魔憑き呼ばわりされて、幽閉されたり処刑されたりした時代があった。…それから数世紀が経ち、今や彼らは治療を受けるべき患者として認識されている。…時代で認識は変わりえるのだ。今、罪人と呼ばれて蔑まれ逮捕される人にも、数世紀の未来には患者として認められ適切な治療と人権が認められる時代が来るかもしれないのだ。罪を、悪意ではなく疾患で説明すること。それこそが入江のライフワークだった。
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◇雛身沢の状況
コミュニティの様子に憤ったからといって、自分がそれから自由に行動できることも、また自分がそれに縛られずに思考できるわけではない。殺人に憤る人間は絶対に殺人を行わないのか?無意識、「普通」という名の暴力。感覚至上主義の陥穽。狂人は狂人であることに気付かない。
◎鷹野の印象
初回プレイ時にはあまり悪役という感じがしなかった⇒テレビ版見て印象変化⇒再プレイで確認・定着…初回の印象はバイアス?
と覚書に書いているように、彼女の悪辣な発言を結構見落としていた、もしくはあまり印象に残っていなかったのは事実だ(鷹野の文脈を考慮して発言を分析したわけではない)。これはカケラ紡ぎ以前の鷹野に関する描写がかなり影響を与えていたと思われる(まあ単純な悪役として描いていないのは重要だけど)。「メガロマニアは国家陰謀の夢を見るか?」で書いたような皆殺し編の批判を通して毒気が抜かれていた、などと言うのは正直言い訳にしかならない。う~ん、以前「祭編における鷹野の扱いについて」で鷹野の評価がコロっと変わった人間を批判していたが、自分も偉そうなことを言えたものではないな…
さて色々なところに話が及んだが、次回は第三の惨劇に絡んで梨花ママの扱いなどについて書くことにしよう。
◎「意思の善悪=行為の善悪」か?
入江の脳外科手術などについて。ちなみに、入江の過去は行動の背景を知らせるものであるとともに、彼のバイアスの提示にもなっている。
◎トミーのカメラへの熱弁は何か意味があるのか?
これは単なる深読みだと思われる。反省。
◎ダム計画撤回作戦⇒富竹も誘拐などと無関係ではない
当然のことではあるが、「富竹=いい人」などという単純な図式は成立しない。「レッテル貼りと真実の追究」なども参照。
◎バラバラ殺人事件
「言い合いがエスカレートし、監督が感情を異様に爆発させだした」とあるが、アニメ版では話し合いの余地もなくいきなりツルハシを振り下ろすという形に変更されている。
◎環境要因と自由意思、そして自由。カント、因果律、遺伝子。これらまとめて近代とポストモダンの話やエピステーメーの変化へ。
以下は入江のモノローグ。二文目までは大枠の内容で、それから先は引用。
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症候群ゆえに犯罪を犯したのか?人間性の問題か?いやそもそも、その人間性の欠陥は何に起因するものなのか。
それこそが、入江が追い求めるところでもあった。罪を憎み、人を憎まず。…犯罪者は、懲役を与え懲らしめることでしか矯正できないのか。…もし脳の疾患により犯罪に無意識に駆り立てられたのだったら、…それを治療することで、人は矯正できる。つまり、…この世には罪などなく、あるのは治療を待ち誰からも理解されない哀れな患者だけなのだ。
中世の時代には、脳に障害を持つ患者たちが、患者と理解されず、悪魔憑き呼ばわりされて、幽閉されたり処刑されたりした時代があった。…それから数世紀が経ち、今や彼らは治療を受けるべき患者として認識されている。…時代で認識は変わりえるのだ。今、罪人と呼ばれて蔑まれ逮捕される人にも、数世紀の未来には患者として認められ適切な治療と人権が認められる時代が来るかもしれないのだ。罪を、悪意ではなく疾患で説明すること。それこそが入江のライフワークだった。
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◇雛身沢の状況
コミュニティの様子に憤ったからといって、自分がそれから自由に行動できることも、また自分がそれに縛られずに思考できるわけではない。殺人に憤る人間は絶対に殺人を行わないのか?無意識、「普通」という名の暴力。感覚至上主義の陥穽。狂人は狂人であることに気付かない。
◎鷹野の印象
初回プレイ時にはあまり悪役という感じがしなかった⇒テレビ版見て印象変化⇒再プレイで確認・定着…初回の印象はバイアス?
と覚書に書いているように、彼女の悪辣な発言を結構見落としていた、もしくはあまり印象に残っていなかったのは事実だ(鷹野の文脈を考慮して発言を分析したわけではない)。これはカケラ紡ぎ以前の鷹野に関する描写がかなり影響を与えていたと思われる(まあ単純な悪役として描いていないのは重要だけど)。「メガロマニアは国家陰謀の夢を見るか?」で書いたような皆殺し編の批判を通して毒気が抜かれていた、などと言うのは正直言い訳にしかならない。う~ん、以前「祭編における鷹野の扱いについて」で鷹野の評価がコロっと変わった人間を批判していたが、自分も偉そうなことを言えたものではないな…
さて色々なところに話が及んだが、次回は第三の惨劇に絡んで梨花ママの扱いなどについて書くことにしよう。
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