「ABO = T型」の提唱

2008-11-29 01:50:47 | 抽象的話題
(はじめに)
前回は「暗殺の動機とサイコロの1」を書いたわけだが、さすがに悪ノリが過ぎた気もするので、ここいらできちんとまとめておこうと思う。


(本文)
たとえ人工授精でも…」における母親の扱いを見て、もしハウスキーパーの話を思い出したのなら、おそらくその連想は正しい。さてそこから、成熟した女性への嫌悪感といった類推もできそうだが、そうすると年上好きはどうなるのか、という疑問も出てくる。まあここからアンビバレントな感情がどうとかいくらでも解釈は可能なんだろうけど、とりあえず間違いないのは、俺がズボラだと言うことだろう。


さてズボラと言えば、俺がA型だと言うと驚く人が多く、中には「検査結果が間違ってんじゃないの?」という手合いまでいる始末だ。ところが一方、俺を典型的なA型だと評する人もいる。彼らの認識・評価の根拠を聞くと前者は「大ざっぱ」後者は「細かい」というものであるが、なるほど父親のO型と母親のA型をそれぞれ受け継いでいると考えればうまく説明はできる。


いや待てよ…ここの積み重ねてきた記事から判断するに、俺は自分でも驚くほどにマイペースな人間だと思う。てことは、B型の「素養」もあるわけか。これらを統合すればまあABO型となるわけだが、これはいささかゴロが悪いな。全てを兼ね備えるということは…ふむ、我が尊敬する東西南北中央不敗にちなんで「T型」を提唱することにしよう。ある意味では「T細胞」の怪物のイメージともリンクして実にお誂え向きではないか!!では今日はここから、「T型男はかく語りき」と改名することにしよう…


とまあ判り辛い皮肉はこの辺にしておくと、要するに血液型のそれは「切り取り方」の問題にすぎない、ということだ。もちろん、社会生活を営むにおいてはカテゴライズ、ラベリングはある程度避けられないことは言うまでもない。しかしながら、その枠組みを自ら求めて耽溺したり、与えられた枠組みに合わせることをベタなレベルで行おうとするなら…それは枠組みの奴隷以外の何物でもない。


自らナンバリングを望む家畜になるのがいいか、それともメタゲームを止められないサルになるのがいいか…これは見ものだねえ。
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