「受験世界史」を超えて

2013-01-21 18:23:06 | 歴史系

ニュースによると、昨日でセンター試験が終了したようだ。リスニングとかまた何やかやあったらしいが、まあ先週のような大雪にならなかったのは何よりだろう(^_^;)

 

それに関連してだが、世界史に関しては「もぎせか資料館」というホームページが非常におもしろい。この人は駿台予備校の講師らしいのだが、なんとその授業プリントや録音データなどを公開しているのだ!私も現役時代に衛星予備校にいて国語の出口汪や世界史の斎藤整に習っていたので(どこからともなく)聞いたのだが、受験業界はそんなにサイクルが早くない上に毎年相当数のニーズがあるので、売れる参考書が出されば印税だけでも生活できる、とか何とか。そんな状況を考えれば、上記のような行為は単に「商売っけがない」くらいでは説明がつかない(単に「生徒思い」なら、直接プリントなどを渡せばいいのであって、HPで公開する必要まではない)。

 

では、どんな動機付けに基づいているのか?もちろん私は茂木さんと直接話したことがあるわけではない。ただ、先ごろ発売された共著の『テーマ別東大世界史論述問題集』の構成は示唆的だ。つまり、年代順に過去問を配列するのではなく、「経済史」、「国家論」といったテーマを立て、論述の具体的な得点ポイントを示しつつも、コラムとして「世界システム論」や国民国家といったより大きな視点も提示している。そこからすれば、ものの見方(≠イデオロギー)を身に付け、また広げる(応用する)こと。そして「受験世界史」ごときとっとと乗り越えて次のステージへ行け!というところだろうか。

 

ちょっと誤解を招きそうなので補足をすると、私は大ざっぱに言うと四つの段階があると考えている。つまり、

無知→単なる知識(フラグメント)→法則性→法則の破砕と再構築

というものだ。「受験世界史」風に言えば、フラグメントは「~年に・・・が起こった」というもので、法則性は例えば「戦後アメリカの民主党=リベラル、共和党=体外強硬路線」といった理解の仕方になるだろうか。物事への視点はこのような段階があり、ゆえに丸暗記を単純に批判してもしょうがない、ということになる(無知よかマシだが、それのみでOKってのはアホw)。

 

まあ私の場合は、中国北方民族の勉強をしていた時にロシアの碩学バルトリドがマルクス主義史観を元に批判され・・・といったアホな状況を見てきたこと、大学三年時に国民国家幻想とその成立過程を授業で受けてきたこと、そしてまたイスラームを勉強している際にハンチントンの単純思考とそれに影響される連中を見てきたことetc...があって、法則への強烈な疑いがあるため、「合意不可能性と断念」で近代がきれいに区分できるわけではないだとか、「なぜ日本にキリスト教は普及しなかったのか?」で単純な文化論を批判したりする(これについては、「統一的な自己」や「論理至上主義の陥穽」など最初期の方が特徴としてよく出ている)。とはいえ、この認識は段階を間違えると全てが単なるフラグメント・・・ということになってしまうのであって、やはり共通する特徴は何なのか?という視点は極めて重要なのである(まあ当たり前の話ですがねw)。

 

話を戻すが、先に紹介した「もぎせか資料館」は、その意味で様々な視点が提示されており、下手な新書や文庫よりよほどおもしろい。ここから様々な興味のフックを作り(ここをスタートラインとして)、もう一度歴史を見直してみるのもよいのではないだろうか。

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