地獄少女には、400年以上前(安土桃山時代)のこととして人身御供の話が出てくる。人身御供と言えば、(どこまで史実かはともかくとしても)人柱などが有名であるが、この時代の農村で人身御供の儀式は行われていたのだろうか?なるほど昔話にそれらしき話が見られるし、例えば江戸時代の『南総里見八犬伝』にも女を犠牲として捧げる話が出てくるという(こちらの記事を参照させてもらった)。しかし、古い時代から犠牲として捧げられる「人形(ひとがた)」や「舟形(ふながた)」が存在していたことなどからわかるように、人身御供は忌避される傾向があったのではないかと思われる(人間では問題が大きいので手軽な代用品を仕立てた、といったところか)。
このあたり実態を掴むのはおよそ困難だろうが、おもしろそうな問題ではある。「果てしなく青い、この空の下で…」をプレイして以来の興味でもあるし、いずれ人身御供については調べてみたい。
このあたり実態を掴むのはおよそ困難だろうが、おもしろそうな問題ではある。「果てしなく青い、この空の下で…」をプレイして以来の興味でもあるし、いずれ人身御供については調べてみたい。
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