「時計仕掛けのオレンジ」とシュール

2006-12-20 01:38:49 | レビュー系
先週は首を痛めていて本を読む気にならなかったので、DVDを色々見ていた。スタンリー・キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」はそのうちの一つである。


この作品ついては、一年前の八月初頭にある人から「シュールな映画だ」という感想を聞いていたのでどんなものかと思ったら、むしろ非常にわかりやすい内容だったので少し肩透かしを食らった感じだった。確かにセックスや暴力の表現方法は奇抜な印象を与えるかもしれないが、基本的に社会風刺的なものが根幹にあるわけで、これのどこが「シュール」なのかと首をひねったくらいだ。


風刺は、「凶暴な人間についてはその人格を改造してしまえ」という(多少)カリカチュアライズされた思想の欺瞞を見せ付けることに焦点が置かれており、それは例えば、刑務所の長官がファシストっぽく描かれることなどからよく伝わってくる。要は過剰な暴力とセックスを描いた上で、それを行っていた者が過剰な秩序主義者たちによって人格改造されるという構図だと言える(ただし、これを望んだのが主人公アレックス本人なのは注意を要する)。秩序やマナーというものに過敏になりがちな現代が根本に抱えうる欺瞞をうまくついていると思う。


オープニングの原色(赤・青)やアレックスたちの服(白)といった色の使い方、ベートーベン第九番を始めとする選曲のセンス(これには世界観も関係している)、妙な言い回し(造語?)、などが先に述べた風刺と融合して独特な世界を作り上げており、なかなかよくできた映画だと思う。しかし、くり返すがこの作品がシュールだとはどうしても思えない。俺があまりにイカレた領域の作品(※)を色々見てきたからか、あるいはそう評した人間の「現実」がよほど狭かったり「芸術」の領域がよほど広かったりしたのかはわからないが、この作品はシュールとは言えないという自分の論を改めて強調しておく。


というわけで、決して一般の人に敷居の高い作品ではない。いやむしろ、犯罪というものに対して過敏になっている社会を客観視する意味でも一度見るべき作品だとさえ言えるだろう。



さよならを教えて」や筒井康隆の小説、あるいはモラヴィアの『深層生活』を読んだりしたため、基準が人と異なっている可能性は十分にありえる。

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