藤本タツキ「ファイアパンチ」読了:それは復讐と愛(死と再生)を巡る神話

2021-09-23 11:11:11 | 本関係
昨日「チェンソーマン」など藤本タツキ作品に関する現状の感想を書いて、ワクチン接種後で引きこもっている間にチェンソーマンの残りを読み切るぜと勇んでいたら、9巻までで話が急展開しすぎて、一度これまでの話を咀嚼したいと思い読むのを止めることにした。その代わり、1巻だけ読んでいたファイアパンチの続きを読み始めたのだが・・・
 
 
結論。
ワイの中で殿堂入りして、完全に座右の書となりますた。正直、ここまで魂が震えた作品は久しくなかったのではないか?とすら思う。
 
 
いちおう、「この世界の片隅に」「undertale」「BEASTARS」といった具合に、人生で記憶すべき作品に毎年一つは出会ってきたが、今年はすでに「鬼滅の刃」に感銘を受けたところでこの作品なので、僥倖するぎて戸惑っているほどである。これでもし「ルックバック」もそうなったら・・・と思うが、まあそれは数日後に期待することとしよう(ちなみにだが、「ルックバック」はすでに購入しているけれども、「チェンソーマン」も読了の上で満を持して読みたいため、まだ全く開いてもいない状態)。
 
 
実は、「チェンソーマン」を読もうと思ったきっかけは、ネットで「ルックバック」を取り上げた記事を見たからである。それまで私は、前者がダークヒーローものという触れ込みで(友人から)聞いていたので、バトロワ系のピカレスクロマンかぐらいに思ってそこまで興味がなかったのだが、その方向性と「ルックバック」の作風があまりに異なるものだったので、本当に同じ作家の作品?というかこの人の作家性はどのようなものなのか??とお勧めされたGWから半年近くも経って読み始めたという経緯がある。しかし、この「ファイアパンチ」を読み終えて、むしろ「ルックバック」で言及されるような描写は至極当然のことだと思った。すなわち、藤本タツキは「読む人の魂が震える作品を書ける」人だ、と。
 
 
「ファイアパンチ」自体の細かい感想については、正直一気に読み終えたためまだ情報を整理しきれていないが、そもそも世界構造や伏線の考察をあれこれ開陳したい(することに意味があると思う)作品ではないから、それについて長々と書くことは今後もないと思う(その意味では「灰羽連盟」に近い)。
 
 
それでもなお、この作品の本質とおぼしきものを言葉にするなら、「復讐」と「愛」の二つだと思う(それはある人物が作中で語る「死と再生」にも重ね合わされる)。1巻を読んだ時点で、私の印象に強く残ったのはfury、すなわち「激しい怒り・強い憤り」であった(実際、3巻で主人公自身それをセリフとして語っている←ダイレクト過ぎて臭くなりそうな場面だが、ここに到るまでの見せ方というか演出でそれを感じさせにくくしている)。
 
 
その要素は最後まで消えることはないものの、色濃く表れ始めるのは「愛」というテーマだ。考えてみれば、そもそもこの作品における復讐とは「自分の敗北の借りを返す」などというものではなく、「大切な人を奪った者にその罪を贖わせる」なのだから、その淵源に愛という要素があることはむしろ当然で、それが巻を追うごとに前景化してきたものと言える(ちなみに、今述べたような復讐についても、単純に利他的なものではなく、もうその人は戻ってこない=己の納得のためにやっているという点で、その「利己性」にもきちんと言及されている点にも注意を喚起したい)。
 
 
復讐というテーマに関しては、「赦す」ことなんてできないし、安易な救いもないという姿勢が貫かれていた点もよかった(ここはネタバレを避けるために一切何も書かないこととする)。といっても、「ほらほら残酷な展開でしょ」という露悪的な描写では全くない。むしろ、そういう過酷な現実が描かれるからこそ、7巻である人物が放つ「10年一緒に生きたからだよ!」のようなセリフが心を抉るのである(※)。
 
 
また愛に関しては、あまりに多くのテーマを含んでいるので、名前からして最もそういう役割にほど遠そうな人物が、最後の最後まで約束を守り続ける様は、言葉にならない感情を私に呼び起こしたのであった・・・ということだけ書いておきたい。
 
 
「ファイアパンチ」を読み終えての感想は以上である。
唯一残念なことがあるとすれば、アニメ化のハードルがあまりに高すぎて、おそらく実現しないことぐらいだろうか(できたとしてOVAやろね。実写化は頼むからやめてくださいw)。この作品で描かれるテーマはあまりに根源的なので、日本よりむしろ宗教的背景の色濃い海外の方が刺さる人が多いのではないか(ハリウッド映画で言えば、「ダークナイト」に近い)?と思うくらいだが、まあそういう機会が万一にもあるならば・・・と首を長くして待つこととしたい。
 
 
※ 時間があればついでにどうぞ 
この「10年一緒に生きたからだよ!」という言葉について少し抽象度の高い話をすると、これは「関係性の履歴」というテーマに結び付けて考えることができる(具体的に誰がどういう場面で言うのかはぜひ漫画をお読みくだされ)。
 
例えば、「人権は大事」だとか「差別をするな」だとか、そういう近代社会=我々の共通前提を元に訴えることは容易であるが、しかし実際はそうなってない場面などいくらでも存在している。
 
というのも、それらは不変の真理でも何でもなく、人間が作り出した「擬制」だからであり(擬制が重要でないという意味ではない)、ゆえに関係性の履歴なしにそれらをただ唱えたところで、ただのお題目にしかならない(まああまりものを考えない人たちを「洗脳」はできますがね)。
 
これは「人を殺してはいけない」と言う戒めにも関わってくるのだけど、関係性を積み上げる中で相手が自分と違う価値観などを持っていても自分と通ずる部分のある存在と理解するからこそ、その人(たち)を自分より劣った存在のように扱うことはできないし、またたとえ命じられても「敵」として容易に殺すことができない状態になるのである。
 
私が思うこの作品のテーマが「復讐」と「愛」であるからこそ、「復讐」の対象であるにもかかわらず「愛」(というか大切に思う)対象でもあることを吐露するこのシーンが、私には白眉に感じられたのである。

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