皆さん予言してますか?隕石爆発と町の滅亡を同性愛や堕落への神罰として捉えたことをもって、「人間を人間たらしめるのは妄想力」と申しましたが(cf.たとえチンパンジーでも、不穏な未来を思って絶望することはない)、これが遺憾なく発揮された例の一つが、「ノストラダムスの大予言」とそれに対する人々の反応ではないでしょうか。
ノストラダムスの大予言は自分もリアルタイムで世間のざわつき・浮つきを見ていたため、何やら懐かしい感じもします。まあ今振り返ってみれば、1960・1970年代のニューエイジブームや1979年に発刊された「ムー」などの流れもあり、そこに1980年代のバブルの狂騒があって、ありきたりに言えば「物から心の時代へ」などというキャッチフレーズに代表されるように、「このままでいいのだろうか?」という違和感が人の中に芽生えていて、そこに終末論的なるものが刺さった、ということなんでしょうなあ。
まあこう書くと昔話みたいですが、2010年代以降の諸現象、例えば震災やコロナ関連のデマ、そして陰謀論やら疑似科学が跳梁跋扈している様を見ると、このノストラじいさん(誰だ)の厨二病的ポエムも、それを自分たちに都合よく解釈してフィーバーしていた人々の姿も、ありふれた現象(熱病)の一環として教訓的に見ることができそうですねん。
まあこういう事例・傾向があるから、「日本滅ぶ」や「世界滅ぶ」的な見方は、しばしば情緒的にコミットする人が出るため危険で、データを元に考えたり、条件設定や蓋然性(if...then...)を考慮したりすること=穏健な懐疑主義や括弧に入れて考える習慣が必要、て話に戻っていくわけですがね(日本で言えば、世界の上位企業にランクインしている数はどう変化したか?今後の成長産業は?人口動態は?といったあたりから、ある程度客観的に相対的地位が上昇するのと下降するののどちらが蓋然性が高いかぐらいは論じることができますよと。で、日本のシステムに対する可変性も踏まえると、自分の予測は「働く人が少ない?じゃあ老人を死ぬまで働かせればいいじゃない!」て社会になるやろなあ、と思うわけだ)。
てなわけで今回はここまで。
まった見ってね~(・∀・)
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