やっぱりネコが好き

2018-06-27 12:21:56 | 不毛

ショートカットに魅せられてもう10年が経つ。思えばその理由は、女性のような、少年のような、境界を侵犯する出で立ちが私を混乱させ、その結果無防備となった私を世界の深奥へといざなってくれるからだ(←大げさ)。

 

とはいえ、具体的にどのような存在に魅力を感じるのか、というわけで今回はその一例を紹介しようと思う。

 

 

 

こちらは韓国のモデル、カン=テリ。もはや彫像のような、芸術作品とすら思えるほどこの世と隔絶した美・完成度にため息すら出て、一瞬時の流れを忘れてしまうかのようだ。え?韓国は整形大国じゃないかって??ふぅ、やはりボーイです(というわけでここからギレン様並みの議論をぶってみようとしたが、本論と関係ないので文末の注に回しましたとさ)。

 

もちろん、日本人にも思わず心を鷲掴みにするような面々はいる。たとえば鈴木咲。

 

 

もしこんな感じのクールビューティーが街を歩いていたら、その時点で俺の時は止まり、ゲシュタルト崩壊とともに放浪の旅が始まるに違いない(←病気)。ショートカット×目力=∞というところか。ゆえに、突如次元の狭間が生じたとしても、私は驚きはしないだろう(意味不明)。

 

 

 

 

エロスは続くよーどこまでもー♪一枚目の「隣にいる感」といい、二枚目の判脱ぎといい、三枚目の目力が強調された吊り目っぽい写真といい、計算されつくしてますなあ...一枚目は自撮りゆえのアングルではあるんだろうけど、なんか目の前に彼女がいて顔に手をやって振り向かされているような、あるいは二枚目は着替えの途中を垣間見てしまったような・・・そんなストーリーが浮かんで思わず引き込まれてしまうぜよ(妄想)。全く恐ろしい子!( = =) トオイメしかし、そこに痺れる憧れるぅ!!

 

さて、お次はこちらの方。

 

 

 

朝比奈祐未である。系統的には鈴木咲に似てるようにも見えるが、コスプレ画像が多く、またより際どい姿のケースが多いように思われる。ちなみに動画と比べてみると、おそらく頬の骨ばった感じを気にしていて画像では加工ないしそれが目立たない髪型・メイクをしているように見受けられるが、しかしそうやって弱点を一生懸命カバーしている感じもディモールトエクセラ!!!(←誰だ) 

 

というわけで、私の時を止める美しき者たちの一部を紹介したが、彼女たちをたとえて言うなら、ストライクゾーンど真ん中でバチコイと構えていたら、そのままキャッチャーミットを貫通して俺の身体をバックネットまで運んでいったBattlefield Baseballの魔球のようなものだ。しかし、そのようにして世界の輪郭が歪むような出遭いこそ、我が愉悦なのである。

 

それにしても、今回紹介した人たちを並べてみると、なんか誰もがネコっぽくないかい?この吊り目とネコ的なショートヘア、そしての俺の猫好き・・・ああ、そういうことね~、完全に理解したわ(←わかってない)。ともあれ次元、次の計画は決まったぜ!韓国逝きの前祝いにパぁーっとやるか(゚∀゚)アヒャパァーーーーー!!!!(何がバラ撒かれてるかは賢明なる読者諸兄の想像にお任せしつつ、この稿を終える)

 

 

※整形に関する元の文はこちら

同じ身体改造であるレーシックを補助線に考えてみよう。整形であれレーシックであれリスクを伴う。だから、たとえば自分の親しい人や知り合いがそれをやる時に、それを元に思い止まるよう勧める人はもちろんいるだろう(完全にパーソナルな領域での振る舞いとしてこれはよく理解できる)。では、自分の直接関わらない社会的著名人が整形やレーシックを行っている場合はどうだろうか?少なくとも私の知る限り、レーシックを行っていることで批判されたり揶揄された人はいない。しかし、こと整形に関してはその情報をほじくり返し、揶揄するような記述が世にはいくらでも溢れているではないか。そしてそのような記事は、著名人が整形をすることでフォロワーが出てくることのリスクを警告するような類のものでもなく、その意味で公共的な意図があるものとは全く思えない。これは一体なぜなのだろう?

そう考えてみると、結局答えは「嫉妬」と「落胆」の二つに行きつくように思われる。つまり、たとえば同性ならスターともてはやされている人間が、実は「虚飾」に塗れているのだと暴き立てることで自分の位置(あるいはそれ以下)に相手を貶め、溜飲を下げようとする。これが「嫉妬」だ。あるいは異性であれば、今まで理想像として憧れたり崇めていたりしていた存在が、やはり「虚飾」だとして「落胆」し、プラスの感情・反応がマイナスへと反転して非難を始めるという構造だ。

ではまず「嫉妬」の場合についてよく考えてほしいのだが、そもそも持て囃されている(しかし自分に直接関係ない)存在に嫉妬して貶めたところで自分に何かメリットがあるわけではない。ならば、自分も整形をして「虚飾」をまとい栄光を手に入れるか、あるいは逆にだんまりを決め込んで他のことに労力を割くのが得策というものだろう(まあそういう理性的・合理的反応をしねーからこそ嫉妬なんだよダボカスって言われりゃそれまでだがねw)。

次に落胆だが、そもそもアイドルやモデルに限らずこの世界は「虚飾」に満ち満ちている。それは服装・化粧など、枚挙に暇がない(そしてもちろん、今回話題に挙げた髪型もだ)。例えばバックや車を実用性だけでなくステータスを表すものとして求める人間が少なくないことは今さら述べるまでもなかろう。また化粧に関しては男子諸君は理解してないケースが多いが、彼女たちはたゆまない努力の元に毎日の装いを作り上げているのであって、それは口紅やチーク、エクステ、コンシーラー、ネイルの手入れ、日焼け防止etc...と一部の例を挙げるだけで十分だろう。それを知れば、私たちが見ている世界は即ち「虚飾」というのは当然の認識だと思うのだが(まあ何回もカッコつきにしてるんでわかると思うが、要するに何をもって「虚飾」とみなすかだ。装いだけでなく、振る舞い方もそうであるという点は、ボーヴォワールの発言を思い出すのも有益だろう。まさしく女性は早くから期待される在り方を有形・無形に押し付けられ続けるがゆえに、自分[たち]の装いについて自覚的になるもの当然のことと言えよう)。しかも、これは可視化されているのでわかりやすいが、ネットニュースにはダイエットやアンチエイジングの広告だらけなわけで。これがある程度一般社会のニーズを反映しているなら、人は身体改造の欲望に取りつかれていると言っても過言ではない。その中で、一体どうして同じ身体改造の整形だけが特別にスティグマとして扱われるのか?私には全く理解できない(ここでダイエットと整形の差異として「努力」の有無を挙げる人がいるかもしれない。イメージと反応を分析する上では興味深いが、だとするとダイエットと脂肪吸引をまず比較してみた方がいいのではないか?脂肪吸引については、ダイエットと比べて「努力」という言葉は相応しくないだろう[もちろんお金をためてそこに投資をすることは「努力」なんですがね]。しかしそれがスティグマ化されているかと言うと、私には大いに疑問である)。

 

少なくとも、法律違反や不道徳とみなされる、いかなる根拠も持ちえないはずだ。あるいは親からもらった身体にメスを入れるなんて・・・という理由は設定できるように思うが、そういう根拠で自分に関係ない著名人を非難した例を私は見たことがないので、正直それは非本質的な、後付けの根拠であるように思われる。

 

まあ最終的には、ジョナサン=ハイトの道徳心理学的なアプローチと同じで、理屈で「乗り手」に呼びかけるよりも、そのような指向性を惹起する象にこそ語りかけねばならないだろう。ともあれ、思考を相対化するきっかけとして取り上げてみた次第である。


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