それって「国語力」の問題なのか?:『ごんぎつね』と共通前提の話

2024-07-17 11:45:00 | 本関係

 

 

以前、小学校で扱う『ごんぎつね』の誤読について、「国語力」の崩壊とする見解に疑問を呈する記事を書いた。今回の動画である予備校講師宗慶二による説明は、その点を掘り下げていて興味深い。

 

すなわち、それを「国語力」の問題として取り上げたのは石井光太の『ルポ 誰が国語力を殺すのか』であるが、重要なのは、そこでの誤読を校長は「読解力以前の基礎的な能力」と分析しているのに対し、それを「国語力」の問題と解した(それに結び付けた)のは著者の石井である、という点だろう。

 

宗はここに注意を喚起した上で、子供の立場に立ってなぜそのように分析するのかを考えていき、葬儀中に会食をすることへの違和感、つまりは「社会常識的経験の欠落」に基づいて非道徳的と思われる解釈を排除したことで、むしろ人を煮ている場面だという結論に到ったのではないか、と述べている(ここで葬儀=火葬という子どもたちの知識からすれば、葬儀→煮るという行為が必ずしも残酷という解釈になるのか?という提言も大変興味深い)。

 

要するに、話題として出てくる小学生たちの解釈は、国語力の問題というよりはむしろ、共通前提の崩壊をこそ意味しているのではないか、ということである(ちなみにこの話を聞いて理解ができないと思うのなら、イスラームなどのセム的一神教では、火で焼いてしまうと最後の審判に立ち会えなくなるためむしろそれを忌避する、といったことを想起したい)。

 

少なくとも小学生の頃よりは葬儀というものが大きな集まりとして行われていた大人目線からすれば(わかりやすい事例として以前紹介した野辺送りを参照)、『ごんぎつね』で何を煮ているのかは、共通前提ゆえに誤読するリスク要因が少ない。そしてそれゆえに、子どもたちの理解がトンデモ解釈として受け取られ、その犯人捜しをした結果、「国語力」というものが吊るし上げられる、という思考回路を辿るものと思われる。しかし実際には、そもそも『ごんぎつね』が想定していたような共通前提を今の子どもたちが持っていないがゆえに、そのギャップ(違和感)を埋めるために彼・彼女らが想像力を働かせた結果が、「鍋で人を煮ている」という解釈だったのではないか、ということである。

 

『ごんぎつね』とその誤読、及びその要因を巡る解釈に関する話は以上である。

 

なお、念のため付言しておくと、「国語力」なるものが仮に読解力とほぼ同じものを指しているのであれば、それが低下している可能性そのものは十分ありえる。例えばの話、「鬼の首を取ったように」とか「顰に倣う」といった慣用句については、昭和の頃と比べれば出会う機会は確実に減っているだろう。そもそも長い文章を読む機会そのものが日常的にどれだけあるのか?というレベルで、そのことによる読解の精度や集中力の持続という点から、読解力の低下は大いにありえる話である(まあとはいえ、いい歳した人々のあきれ果てる読解力の欠落が今日ではネットという形で可視化されていて、一体養成された読解力はどこへ行ったのやら、という話ではあるが)。ただし、それであれば、何かしら比較考慮できるようなデータなどを元に検討すべきであり、少なくともこの『ごんぎつね』の事例は、その材料としては不適切ではないか、と述べておきたい。

 

さて、今回なぜ再びこの話題を取り上げたのかと言うと、共通前提の崩壊とそれへの無理解という観点で、『ごんぎつね』の「トンデモ解釈」を「国語力」の問題だとする「誤読」は教訓的だなと思うからだ。

 

簡潔に述べると、例えば以下のような通りだ。

〇元動画のコメントでも指摘があるし、また私も「ガラスの小びん」を小学校で教える件についても指摘したように、そもそも授業準備のやり方についての問題がある

〇社会の多様化・複雑化は今後さらに進むと予測されるため、共通前提の崩壊もさらに進む

〇その中で、日本語というハイコンテクストな言語によるコミュニケーションは、注意を払わなければミスディレクションを起こしやすい

〇このような中で、「はっきりと主張することを避ける」日本的コミュニケーションはむしろ阻害要因となるだろう

〇仕事で言えば、明確に指示されないと「存在しない」「考慮しない」ものと認識するような人間は増えていく可能性が高い

〇人間関係で言えば、すり合わせのためのコストが上昇するため、表面的コミュニケーションに終始する範囲・程度が広がる可能性大

 

これらについては、「それを『常識』とする根拠は、もはやどこにもない」とか、AIの「進化」と人間の「劣化」といったテーマで何度も書いてきたことと繋がるが、『ごんぎつね』の「トンデモ解釈」から学びを得るのだとしたら、むしろこういった社会構造の変化やそれへの対応の必要性の方ではないか、と思う次第である。

 

以上。


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