島流しでさえ予定通りにはいかぬとは

2024-07-21 11:36:35 | プレ旅行記

 

 

いや~隠岐の戦国時代って調べたことなかったけどおもれーな。室町時代の地方あるあるだけども、大乱の時どちらにつくかで地元勢力が二分されたり、隣国とバトったりするってわけやね。隠岐についても、応仁の乱だけでなく、京極→尼子→毛利と出雲の支配者が移り変わる中で、その影響を様々受けたんやなあ・・・というわけで、隠岐に上陸する前にちょうどいい予習動画を見ていた次第。

 

さて、初の島流し体験は8/11からと宣言していたが、予定通り隠岐に上陸できる・・・と思っていたのか( 。∀ ゜)!!

 

よく考えたら、8/12が祝日のため8/10から三連休であり、ワイが重い腰を上げた頃には、ホテルもフェリーも死んでた😇

 

このまま行くと、橋を架けられないがゆえ海へ飛び込んだオルテガのように、日本海の荒波に単身挑むことになりかねい。いや、海の藻屑となる危険の前に、そもそも覆面マントにパンツ一枚という時点で色々とアウトなのだが・・・ざんねん!私の冒険はこれで終わってしまった!!まあ某西園寺のように島流しが確定した後、移送中(=すでに治外法権状態)に殺されることなんてよくあるから多少はね(・∀・)

 

そんな中世しぐさを経験するのもやぶさかではないが、まだまだ死ねんのじゃ!ということで予定を8/13上陸に変更し、あれこれ計画を設定しなおした。

【8/13】
七類港(島根)→来居港→知夫里島周遊→別府港→西郷港

【8/14】
隠岐の島町(島後)を周遊

【8/15】
西郷港→別府港→西ノ島周遊→七類港

という具合にホテル・フェリーとも車積み込みで予約が取れたので、人間魚雷になる必要はなさそうである。まあ来居から別府への内航船=「どうぜん」は予約不可なので、当日しっかりと並ぶしかないが・・・この辺は予約が必要ないからシステム的に存在しないものだと信じたい😅

 

まあ欲を言えば 西ノ島を回る時間にもう少し余裕が欲しかったのと、中之島は全くアクセスできないことになるが、五島に行った時も奈留島や野崎島には行けなかったわけで、まあこの辺は今後の課題としたひ。

 

ということで、旅程全体を組みなおさねばならないため、おそらく8/10は滋賀周遊、8/11は福井の大島半島に寄りつつ鳥取遠征、8/12は島根の史跡を回っておき、8/15に本土へ戻ったら、翌日はもう滋賀に戻るだけの状態にすると思われる。

 

そんな風に調整をかけながら、隠岐という場所が廃仏毀釈の影響を極めて強く受けた地域でもあることを思い出した。具体的には、幕末の動乱において生じた隠岐騒動の結果、仏教勢力へのヘイトが高まっており、新政府による神仏分離令と廃仏毀釈運動の時には仏教が激しい攻撃の対象にされ、一時期寺院が全滅するに到ったのである(実際、見所で検索しても神社は多数出てくるが、寺は・・・?というぐらいに規模が異なる)。

 

神仏分離は確かに「神道の復古」という目的の中で行われたが、廃仏毀釈という形で政府の想定以上に仏教勢力が激しい攻撃に遭ったのは、地方の人間にとって、寺檀制度により徳川幕府と癒着した寺院=アンシャンレジームへの反発という側面があったことは見逃せないし、そこに北陸のような真宗篤信地帯や、今述べた隠岐であったり薩摩のような場所で大きな地域差が見られた。

 

その顕著な一例を目の当たりにできるということで、(「隠れキリシタン」の足跡が見られた五島とはまた違った意味で)非常に興味が湧くところである。


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