岡崎京子の「ヘルタースケルター」を読んで衝撃を受けたのは10ヶ月前のこと。そこから凄まじい勢いで本を購入し(まあブコフにて持ってないのを見かけたら買うってレベルだがw)、今ではほとんどの著作が集まった(と思う)。
とはいえ、買ったあとすぐに一読してそのままになっている作品も多く、いつか再読する時間を取ろうと思っていた。そんな折、こないだの休みに積んであった「くちびるから散弾銃」を何とはなしに読んでみたらエラいハマったので、この機会を使って一気に読み返してみようと思う。
今のところ好きな作品とその順番は
3.チワワちゃん
4.くちびるから散弾銃
だが、果たしてそれは変わるのか否か。ちなみに1は、このブログで言えば、先日書いた「普通という名の暴力」や「『いい人』問題」と関係が深く、2は「世にも恐ろしい日本昔話:浦島太郎編」や「芸能人の整形がネタにされる理由」、あるいは未掲載の「女装子とマンヘイティング」と繋がるものと考えている(見世物、コピー、不快なるものの排除etc...)。もっとも、それだけの作品なら最後主人公は死んでいるはずであり、あの後もなお生きているところに「そんな生きづらさは前提であって、むしろその上でどう生きるかでしょ」という姿勢が見て取れるのも高く評価する所以なのだが。ちなみにへルタースケルター的な作品に興味を抱くならば、交換可能性を扱った安野モヨコの「カメレオンアーミー」や(コンプレックスも含めた)現代の美的感覚とその要求のグロテスクさを描く「脂肪という名の服を着て」などがお勧め。
というか、再読を通じて「秋の日は~」から受けた感銘を適切に表現できるようになるだろうか?というのも気になるところ。まあ「灰羽連盟」や「YU-NO」のように数年かかる可能性もあるから、気長に待つしかないんだろうけど・・・
まあこんな感じで再読を開始する予定ですたい。
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