反省文

2011-01-05 18:45:50 | 灰羽連盟

前に、「灰羽連盟脚本集」のことを「こんなん読んでたらダメだ」的な書き方をした。確かに、掲載された細かい設定やら話のバリアントに意識が向くと、本編そのものがもっている雰囲気やそれが与える印象がかえって見えなくなるのは事実だと思う。しかし、クウの「巣立ち」を経て話の雰囲気がガラっと変わるあたりから散見されるようになる作者の註は、キャラたちのやり取りにおいて何を意識したのかがわかり、大変参考になる。

 

例えば、8話で「レキ一人に働かせてしまっている事に対して気が回らないくらいラッカの意識は内向している」だとか、10話でいえば「レキの余裕のなさを表すために、薬を買ってきたカナに礼も言わずつっけんどんな会話をさせている」といったもので、別段当たり前のようにも見えるが、互いのやり取りに関してそういう気遣いやフォローの動きを強く意識していることがうかがえるのは大きい。というのも、どこまでが計算づくなのかはわからんが、こういう描き方は、「気付き」や「救い」といったものが、内省・内向によるのではなく、他者との関係性の中で生まれ出ずるという作品の方向性に説得力を持たせたであろうことが容易に想像できるからだ。またそうして生まれた(あえて言うが)血肉の通ったやり取りは、登場人物たちに生活感を与えるとともに、その実存の揺らぎを身近なものと視聴者に感じさせる上で大きな役割を果たとも思われる・・・・

 

とまあそういったことがよくわかるわけでして。構成的に細部へ引きずられやすい感はあるにしても、然るべき視点をもってすれば得られるものは多々あるわけで、結局俺は自身の視点の偏りを脚本集のせいにしていただけだ、ということが判明。猛省せねばなるまひ。

 

それにしても、年内に「灰羽連盟」の話題はケリをつけたい・・・なんて偉そうに書いていたのは12/17のことだが、予想を上回る忙しさと灰羽連盟のキャラ造詣に関する記事が思った以上に(まあある意味いつものことだが)長文化したため年をまたいでしもうた。いや、というかクラモリのキャラ造詣の話すら実はまだ論じきっていないので(苦笑)、今月一杯で終わるか否かっつー状態にまでなってしまっております。つーか「日本的想像力の未来」とか「嘲笑の淵源」とか書きたいことが山積みになってるんで、早くケリをつけたいところなんだな。「沙耶の唄」への道はまだまだ遠いわ・・・


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 生きる意味の半分はサーモン | トップ | 灰羽連盟:クラモ理論編 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

灰羽連盟」カテゴリの最新記事