祭囃し編を終えての感慨:もはや「漢ゲー」!?

2006-08-14 16:58:36 | ひぐらし
終わった。初プレイからの期間も含め、長かったような短かったような…そんな不思議な感慨を覚えている。いずれまとまった記事は書くつもりだが、とりあえずの感想を載せる。

今回は大人が超アツイっすよ!!
祭り編は「漢の章」と副題をつけてもいいくらいだ(BGMはぜひ“assalut operations”で!!)。
俺ッち葛西の兄貴とトミーにまじ惚れたけんねw
というわけで葛西の兄ぃには音楽室のバックとして登場していただきました。「大人」に関して真面目な話をすると、俺はひぐらしをプレイしている際常々「大人どもは何ばしよっとかね。このダラズがぁ!!」とキレることがあった。それが皆編で大人をコミュニティレベルで巻き込むという流れだった。この時はどちらかと言えば数に焦点がいっていて、その精度には(あくまで比較してだけど)それほど言及がなかったように思う。確かに園崎の協力なバックアップはあったのだけれど、それは顔の出ない、極端に言えばプレイヤーにとって「外側の人」でしかなかったのだ。これが祭編では一歩進み、(顔の見えている)大人の個人的な、しかも強力なバックアップのもとに惨劇に挑むという方向性になっており、見せ方の転換の上手さととに、大人をもしっかり巻き込んでの「奇跡」、そしてハッピーエンドという構造はよくできていると感心した。


まあ「山狗」の戦闘力とか突っ込みどころなどが満載なのはやはり皆編と変わらないのだけれど(笑)、大まかな流れとしては妥当なものだったと思う。プレイ前に俺が一番気にしていたのは「大団円」の内容だったが、これもほとんど受け入れることのできるものだった。ネタバレしないように言えば、やはり「上手くいきすぎ・出来すぎの内容ではなかった」というところがポイントだろう(まあそう思わせるのは数々の惨劇・「奇跡」という伏線がしっかりと効いているからなわけだが)。やってもらえばわかる通り、将来に託された希望(?)も二件ほどあるし、(事件として)ある意味まったく未解決のままの領域もある。しかしだからこそ、梨花たちのハッピーエンドに到る内容や結果が単なる「絵に描いた餅」にならないだけの説得力を持つのだろう。この点、ほんとによくエンディング内容を練り上げたと感服している。


物足りなかった点としては、解答が断片的だった鬼編や祟編のカケラにもう少し説明が欲しかったなあというのが一つ(例えばその時の梨花の視点や祟編の圭一の死の真相など)。もう一つは連続怪死事件の内容で、もうちょい説明と中身があればと思った。まあ中身の方については大げさに考えれば考えるほど敵側の思惑通りに動かされているのも確かで、声高に言えないところではあるのだが(苦笑)まあこの辺りは番外編などに期待したほうがいいのだろう。あと、大文字での強調は繰り返しすぎるとダサいからココ一番だけにしたほうがいい(まあ俺もやってるけどw)。とまあ例のごとく長くなりそうなので論評めいたことはこの辺にしときましょうかw


最後に。
人生を変えるほどのすばらしい作品を作り出してくれた作者サイドに深く感謝します。四年半本当にお疲れ様でした。


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