奈良中心街から吉野へ移動しての初手は蔵王堂から。
修験の聖地である深き山の中にこのような開けた場所がある、というのは何とも不思議な感じがするが、落ち着いた色合いは全く違和感を感じさせないどころか、その神秘性をいや増しているように思える。
一見わかりにくいかもしれないが、石段を登り切ったところに移る人間と対比して見れば、その巨大さは容易に理解されるところだろう。
いやはや、山中にこれだけ荘重な建造物を作り上げた労力はいかばかりだったろうか。
にしても、東大寺でも感じた、「帰ってきた」という感覚はどこから来るのか。東大寺は一応中学生の時に訪れた経験があるが、吉野は初めてのはず。
にもかかわらず、こうも落ち着くというか、いるべき場所に戻ってきたような心持ちになるのは、実に不思議なことである。
うーむ、今日はそれほど時間が取れないが、再訪時は確実に吉野連泊の儀確定だな(*´ω`*)
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