木場公園にてバーベキュー

2017-04-01 12:25:48 | 飯関係

我が朋友たるウエッキーの奥様が主催するバーベキューが10/10に行われるとのことでお誘いを受けた。「その時に女友だちも何人か来るから・・・」との補足があり、ムッカー藤田は思案する。

 

まあ一応お見合いパーティー的な側面もあるよってことなんだろうが、バーベキューにあんまし固い服装で行くのも場違いだしなあ・・・ということで上はジャケットを羽織り、それを脱げば多少カジュアルな感じの恰好になるようなスタイルで向かうことにした(サンチョスタイルでデュエルするのもおもしろいが、さすがに奥様の面子をつぶす可能性がある行為は慎むべきだらう)。

 

それにしても、なぜ体育の日を選んだのか・・・たらふく肉を食って運動もしましょうということか?つかそもそも体育の日って何だよ!とあらぬ方向に頭が逝きかけたが、10/10を置き換えると「ジュージュー」であることに気づき、「これか―!!」とシャウトし、自宅を後にした。

 

つか清澄白河駅ってはじめて降りたわ。休日ということもあってジョギングにいそしむ人や夫婦でのんびり歩いている人たちが多い。ふむ、なかなかに閑静な住宅街ではないか・・・(なぜか上から目線)

 

到着がギリギリになりそうだったので電話をかけると、買い出しのため車で移動していてもうしばらく向こうはかかるらしい。そして今日は「何家族か参加する」とのこと・・・え、どゆこと?詳しく聞いたら「20人以上が参加する」らしい。しかもみんなで買い出しに行ってる、だと!??

 

なんか想定してたものと大きく違っているらしいことと、俺だけが徒手空拳で参加することになるらしいことに軽く眩暈を覚えながら、公園到着。

 

 

別にすることもないので展示館の写真を見たり、水戸光圀の薬草のイベント案内を見たりして時間をつぶす。しばらくしてみなさんがやってきた。すげーバラエティ豊かな構成に、これは一体何繋がりなのかと驚きつつ、誰もが飲み物や食べ物を抱えていらっしゃることを確認。

 

はい今日の俺サーヴァント確定~(;´∀`)フリーライダーなど戦士(「もののふ」と読め)の名折れであり、相互扶助の精神からしてコモンズを提供せぬものは労働にてその欠落を贖うしかないのである(; ̄ー ̄)あ、もちろん会費は払うことになってますよん。

 

てなわけで火おこしや肉の投下をお手伝いし、自分が食うより人に取り分けることを優先す。チャッカマンがないのでちょっと苦労したが、無事肉などを焼き始める。

 

 

ちなみに写真からもおわかりのように、食材は切り分けられた肉からどでかい肉(←ボキャ貧)、海老に牡蠣とかなり豊富であるだでなく、大きくて美味そうなものばかりである!そして右奥の方の恰好からもわかるように、ジャケットにタートルネック、ジーンズの私は明らかに浮いてマシた(゚∀゚)アヒャ

 

 

つーかこの牡蠣のでかさよな。思わず素手で殻をつかみとって汁まで啜りたくなるほである(・∀・)

 

 

こちらを見ればわかるように、チーズやベーコン、フレンチトーストとバリエーションも豊富。みなさん沢山色々買い出してきただけでなく、強いこだわりが見られる。ちなみに左奥に足が写っている子はご家族づれの娘さんで、芸能関係の専門学校を目指しているらしい。そもそも高校生でこういう集まりに親と来るのがちょっと珍しい感じがしたのだが、すごい自然に馴染んでいた(ちょっといい子すぎて大丈夫かしらんと不安になったくらいだw)。ちなみに足が以前かぶれたことがあるのか痕がポツポツ残っており、ひどいアトピー持ちだった自分も気になって目線がいったが、触れていいものかどうか考えているうちに、傍目にはJKの生足を何度も見てる怪しいオヤジになっていたことに気づいたorz

 

 

 

まだまだ行くよ~、ってもう喰いきれんぞなもし(;´・ω・)
ちょっとまったり休憩。バーベキューといえば実家にいた頃に父親がよくやって近所に住んでいる親戚を呼んでいたなあ。あまり人付き合いが好きではないと自分で言っていたし事実そうだと思うが、その中で自分なりに馴染む努力をしてきたのだろう。ここ近年でも親戚と困っている部分は密に助け合おうという意思が見られるし。そこは素直に敬意を払えるところだな。

 

ところで今日は家族連れの方が多いということもあって、ウエッキー夫妻の娘さんはじめ小さい子も数人来ていた。しかしもうこの子達のかわいいことと言ったら!!この子達が微笑めば自分もつい頬がゆるんでしまうし、この子達が悲しめば何とかあやしてその悲しみを和らげてあげたくなる。うーむ、それにしてもこんなにも愛おしく思えるのはなぜなのか?「血がつながっていたらもっとその気持ちは強くなるよ」と人は言う。なるほどだとしたら、もし仮にその子を殺す奴がいたら、俺はそいつをまさしく「八つ裂き」にするだろうね。正直絞首刑なんて生ぬるい。爪をはぎ、耳をそぎ・・・その慟哭をせめてもの生の慰めとするだろうよ。

 

という物騒な話はともかくとしても、この感覚がきっと自分の児童虐待への怒りにもつながっているのだろうと思う。たとえば、以前紹介した「凍りの掌」と同じ作者による「あとかたの街」。この作品を見ると、判断力の欠如(火事の時の組長)や敵の悪意(クリスマスの件)などに怒りが湧きそうなものだが、俺の最も強く反応したのは疎開した「とき」が実質虐待に近い扱いを受けていたシーンである。苦しい生活、血がつながっていないこと、言う事をきかない子達、そういう様々な背景の考慮といったものが吹っ飛んで、まさに血が沸騰するような怒りが全身を支配したことをよく覚えている(戦中の日本というと一枚岩を想像しやすいが、都市と農村の差異、疎開先での冷遇など果たして一体などという言葉で語れるのか大いに疑問である。自分の祖父二人のように外地と内地でも状況が違うのはもちろんのこと、「この世界の片隅に」で描かれるように呉と廣島のように同じ県内でさえ大きく状況は違ったのである。なお、このことは今日の被災地とそれ以外の地域の関係性でも同じことだ)。

 

そう言えばずっと前に「はじまりとしての『家族計画』」という記事を書いて、なぜあの作品が自分にとってエポックメイキングであったかがうまく説明できないと述べたが、おそらく今言ったこととつながっていると思われる。というのも、これは全くの偶然だが、最初に攻略した「大河原準」というキャラは双子そろって親から虐待されていたという来歴を持つ(最終的には親からおもしろ半分で毒殺までされかけた)。そのエピソードを見た時に俺は言いようのない怒りがこみあげてきたのだが、高校時代に自己、そして世界認識が単に自分の願望を投影したものにすぎないことに気づいた後、無関心が感情を支配していた大学二年頃の自分にとって、言い換えれば全てが「瓦礫」と化したと思っていた自分にこういう感情が残っていた事が意外であり、新鮮でもあった。そのような発見のきっかけになったという点で、非常に個人的な意味において「家族計画」は印象的なのであり、ゆえになかなか言語化して説明するのがこれまで難しかったのである(たとえば、「壮大な世界観を背景としつつ、優れたシステムでそれを体現・体感させた稀代の傑作」と簡単に説明ができるYU-NOなどとは大きく違う。なお、「one」が自分にとって印象的である理由を説明しづらいのも「家族計画」と似ている)。

 

そこから先は、たとえば「月姫」という作品で示される容易に相容れない者たちの別離(シエルのTrue End)であるとか、安易な救いなどない「果てしなく青い、この空の下で」などの内容には納得した。要するに、俺は感情が死滅したわけでも外部に無関心になったわけでもなく、今まで以上に世の中や人を安易に信じない眼差しで見るようになって、かつ頽落したものへの吐き気を隠そうとしなくなっただけのことである。だから、程度の低いクソみてーな「わかりあい」であるとか、それと同類の勧善懲悪、あるいは安易な救いのバーゲンセールを心の底から軽蔑したとしても、それを世界のクソっぷりと完全にイコールと考えるのは間違いである(まあ世界は15年前から比べても明らかにそっちの方向に向かいつつあるけどもな)。

 

そんなことを思い出しながら、黒烏龍茶で食いすぎの胃をフォロー(?)しつつ、余った食材などをウエッキー家に届けて帰宅した。

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