ひぐらし~第三者視点と症候群の共存について~

2009-03-16 19:41:03 | ひぐらし
先日「ひぐらし~メディアミックスで失ったもの~」という記事を書いたが、あの結論からは少なくとも三通りの考えた方(あるいは解釈)ができる。

1.
表現形式の変化によって症候群の持つテーマ性が換骨奪胎されたアニメ版や漫画版は、原作ほどには質が高くない。

2.
テーマ性が薄れてしまうにもかかわらず、アニメや漫画といったメディアへ移植するのは、作者あるいはひぐらしそのものへの評価を下げる行為である。

3.
その両方

要するに、第三者視点という表現形式と症候群を共存させてしまったことをアニメや漫画固有の問題ととらえるか、それともひぐらし全体の問題ととらえるか、ということである。


ちなみに、以下のような「別解」も存在する。症候群を知っている受け手に「あえて」違和感を持たせ、それをきっかけとして原作における症候群の持つ意味を考えさせる、というものである。根拠は

(a)
症候群の知覚を忠実に再現できていないにもかかわらず、それを取り繕おうという気配が見られない(第三者視点の問題点が放置状態)

(b)
PS2版の「ひぐらし祭」 憑落し編(ネタバレ注意)という、「捨石」とも見なせるシナリオが存在する

の二つ。まあ(a)に関しては、変に取り繕っても逆効果なのでそのままにした、と考えるのが妥当だと思われるから、(b)があるにしてもいささか作者に寄りすぎの見解だろう。まあ一種の否認も含めて、そのような解釈も可能、ということである。


ところで、こういった評価・認識の多様性については「続『この道、わが旅』」や「続『汝自身を狂人と思え』」などでも繰り返し述べてきたわけだが、それを念頭に置いたとき、実は「ひぐらし~戦闘力がテーマを挫折させる~」という記事の本質的な問題点、あるいは限界が見えてくる。それについては、近いうち書くことにしよう。

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