ドラクエの洞窟BGMが似合うアンコールワットの回廊を歩いていると、長大なレリーフが現われた。
さすがに説明がしっかりされていて、「マハーバーラタ」の一場面ということがわかる。このようなマハーバーラタの場面が一面に掘られた様は実に壮観である。
ところで、高校の時に世界史で古代インドの重要作品としてはマハーバーラタとラーマーヤナ、そしてより後代に成立したシャクンタラーを習ったが、まじでただの記号みたいで意味不明だと感じたことが記憶に残っているわ。
程度問題はあるけれども、例えばマハーバーラタはバーラト戦争を描いたものであり、で、「バーラト」とは何かと言えばインドの古称だということまで説明すれば、マハーバーラタとはすなわち「インド大戦争」を描いた作品と理解することができ、ラーマーヤナと区別ができるようになるんじゃないかな(なお、シャクンタラーについてはカーリダーサ作という事項と結びつけられるし、先に述べた2作とは時代も違うため、あくまで高校世界史のテストという観点ではこういう区別した覚え方は不要だ)。
で、なぜこれが重要かと言うと、この「バーラト」がインドの古い呼び名だと知っていれば、インドの現首相であるモディがなぜインドに代わって今頃その名前を復活させたのかも、ヒンドゥー・ナショナリズムと深い関係があることと合わせて理解しやすくなるはずだ(極めて戯画的に言えば、故石原慎太郎が東京の新たな地下鉄に「大江戸線」なる名称を与えたことを想起したい)。
さらに言えば、そういうレリーフがこれだけ大々的に彫り込まれている事から、アンコール・ワットがヒンドゥー教の寺院だと自然に把握することにもつながるだろう(ということは、後に出てくる仏像の数々はどういうことだ?という疑問が生まれ、そこから元はヒンドゥー教の寺院として造営し、それが仏教寺院に変わっていった、という歴史的背景を理解することになる)。
「スールヤ(ヴァルマン)」や「チャンドラ(グプタ)」の件でも触れたけれども、カタカナ化して丸呑みする行為は、確かに舶来の知識を取り合えず受け止める(受け止める必要に迫られる)場合にはそれなりに有効だが、逆に言えば発展性がなく、知識の断絶を起こしてしまいがちである。その意味で、歴史に限らず知識を教える時には、今後は今述べたような体系化のスキーマは特に意識されるべきところだろう。もしそうでなければ、単に知識を詰め込んだだけの「情報のフォアグラ」はAIに絶対勝てないからだ・・・ってまあ争う必要もないんですけどね(・∀・)
にしても、躍動感のある所作の描き方には感心する一方で、顔の造形とかを見ていると思わず吹き出してしまうことも少なくなく、まあ中世のヨーロッパ絵画(ローテンブルクの拷問博物館で見たヤツとかw)や日本の大和絵と同じで美的感覚が近代のそれとは違うからしょうがないね、と思ったりした(・∀・)
さて、それじゃもっと奥に進んでいこうかの。
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