「清水寺」と聞くと京都は石山寺のアイツが有名な訳ですが、こちらは安来市にある同名の寺でございます。
てか調べてみたら、「せいすいじ」読みも含めれば北は青森、南は大分まで全国に点在しているようだ。
同名の建物が沢山あるのは、今回滋賀で最初に行った蓮華寺であったり、氷川神社、八幡神社と様々あるが、それらがどういう性質・由来を持つのかは全くと言っていいほど意識されていないように思える(ホンマか?と疑問に思う向きは、周囲の人間10名くらいにその数の多さや名前の由来を知っているのか聞いてみたらよいだろう)。
この清水寺は密教(天台宗・真言宗)メインで、一部禅宗(臨済宗・曹洞宗)のものが存在するが、日常生活を送る上では、こういった宗派と寺院の結び付きを意識する機会はほぼ無いのではないか(まあ「パワースポット」として一緒くたにする風潮を見れば推して知るべしだ)。
前にも紹介したように稲荷神社が中にあるのだが、こういう宗教的混淆も相まって、多くの人がもはやこういう宗教的建造物やその由来を体系的に理解することも意識することもなくなっているのだろう(例えば葬儀の時の焼香で、宗派ごとの違いを認識している割合はどの程度いるのだろう?)。
・・・みたいなことを書いてると、説教みたいになりそうだが、善悪の問題ではなく、少なくともこういう曖昧な認識がマジョリティの実態である、ということだ。
このような状況は、既存の宗教が「空気」であった、という某新興宗教の幹部の発言を裏打ちするが、そのような茫洋とした宗教環境・理解の元でひと度その歴史的由来を考えようとすると、曖昧さゆえに都合のよい要素をパッチワーク的につまみ食いし、「日本は昔からそうだった」だの「日本の宗教的特徴」だのと飛躍した結論を出して疑うこともしないのである(まあこういうのはナショナリズムや「伝統」でもよくある話だが)。
しかし、私がこれから行く隠岐で生じた「隠岐騒動」とその帰結が示すように、明治新政府時代には神仏分離令が発布され、それが地域差こそあれど、廃仏毀釈の嵐を惹起することになった。そして隠岐では一度寺院は根こそぎ駆逐され、葬儀も神葬祭で行われるようになったのである。
今回冒頭で述べた寺の名前についても、(清水寺に限らず一般的な話として)実は神仏分離令などを経て改名されたケースは少なくないわけで、今の呼称だけをもってその由来を考えるのは、ありがちなミスと言えるだろう。
また宗教的混淆についても、多神教のヒンドゥー教が歴史的に仏教やジャイナ教の要素を取り込んできたこと、あるいはカンボジアの仏教とヒンドゥー教の共存(ナーガ神に守護された仏陀像)、タイにおける仏教とサイヤサート信仰の共存(ドラえもんが仏教寺院で神として祀られてるのにはさすがにのけぞったがw)といった他国の状況を知れば、それが「日本の専売特許」などという認識は島国根性丸出しの噴飯ものの理解であることに容易に気づくはずだ。
なんてことを考えてるうちに、清水寺の見学は完了。最後は、ソーラーパネルにしか見えなかった仏陀像を紹介しながらこの記事を終えたい。
それでは、さよなら、さよなら、さよなら・・・(・∀・)
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