「魔法少女まどか☆マギガ」が見せた成長・奇跡という夢の終わり

2018-11-13 17:16:22 | レビュー系

 

「魔法少女まどが☆マギガ」に関して、かつて「これを観終わった後にまだなお旧来のヒーロー譚を垂れ流すのも消費するのも白痴的だ」という趣旨のことを書いた(正確に言うと、空虚な夢を騙る悪徳商法と同じ。それで騙そうとする者も、騙される者も、ちょっとどうかしてるとしか思えない)。

 

それからもうだいぶ時間が経ったが、冒頭の動画(38分からが該当)で山田玲司の1話の解釈(解読)を聞いて、物語展開だけでなく、最初の演出がそもそも90年代やゼロ年代の世界観に否を突き付けていたということを認識した(もちろん、山田の解釈が全てその通り、などということがありえないのは、安藤監督のコメントを聞いてもわかる。しかし、その後の展開を知る者にとって、あまりにも頷ける部分ばかりであり、ゆえに少なくとも演出意図としては、ほぼ正確に読み取っていると見てと考える)。改めて自分の書いたことが製作者の意図に沿ったものだと知り、冒頭で書いた意を強くした次第だ。

 

あと、可愛いと凶悪の組み合わせは改めて考えさせられた。2018年の傑作アニメ「ポプテピピック」を含め、可愛さと凶悪さを私は「ズレによる笑い」としてしばしば取り上げてきた(あるいは「サウスパーク」のように可愛らしさが解毒作用を果たして劇薬的内容でも見れる、といった側面もある)。その見方が間違っているとは思わないが、確かにペルソナという観点は抜け落ちていた。今後意識していきたい部分である。

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