「江戸しぐさ」というものが取り上げられたのは2000年代に入ってからだが、今日ではその存在が根拠薄弱なものとして否定されている。資料が残っておらず、しかも資料が残っていない理由が全て口伝だったからとか、しかもそれを知る「江戸っ子」たちが大虐殺されたからだなどという主張に基づいているのだから、当然と言える。
「江戸しぐさ」のフィクション性は論を俟たないとして、なぜそんなものがかつて主張され、多少の広がりを見せたかの背景を考えてみると、要するに「現代におけるコミュニケーションの希薄化」や「マナーの低下」といった問題意識が根底にあり、それらを「復活」させようと思った時に、日本の「伝統的」振る舞い、すなわち欧米的な立ち居振る舞いが先進的で是とされる明治より前の江戸時代に回帰するという形で、自分(たち)が考案したマナーを権威付けしようとしたものと思われる。
そしてこのような精神性が、現状への不満から「昔はもっと良かったはずだ」という思い込みや、あるいは検証よりも耳障りの良さを重視する態度と合致した結果として、公の教材にすら掲載される事態にまでなったわけである(昭和30年代の犯罪率や公害の実態などを見ることもなく、ただそれを理想とみなす「ALWAYS 三丁目の夕日」的発想もこれに類似する)。
さて、以上のような事例を反面教師と見るなら、江戸時代の何某かを社会レベルで理想的だと語る場合、その根拠や実現可能性が問われるのは言うまでもない(個人レベルでの嗜好に止めるならもちろんその人の自由だが)。
例えば建築物に関してはどうだろう?
江戸時代の家屋と言えば、もちろん木造の家屋が連想される。では、それらに回帰することはすなわち合理的だろうか?
なるほど日本の気候とのマッチングや、あるいは縁側といったものへの憧れをもってそれを是とする人がいるかもしれない。しかしよくよく考えてみると、その当該の江戸時代は木造建築と人口増加が相まって、非常に火災の多い時代であり、明暦の大火が甚大な被害をもたらしたことはよく知られるところである。
あるいは関東大震災について思い起こしてみるのもよい。
その被害の大きさはうっすらとは認識されていると思うが、その死者の特徴についてはあまり共有されていないのではないか。すなわち、死者10万5000名のうち東京は7万弱で(ちなみに震源地は東京でなく神奈川)、そのうち6万6千は火災による焼死であった(つまり家屋倒壊での死は3000名弱=4%程度だった)。しかも、地域的には木造家屋の密集していた現在の江東区・中央区・台東区といった東京東部において甚大な被害が発生した(詳細はこちらの記事を参照)。そしてそのような災害の記憶が、今も残る隅田川の多数の橋へとつながっているわけである。
あるいは人工物ではなく「自然」に目を向けてもよい。例えば現在の川はもちろん護岸工事がされているため全き自然と思う人は多くないだろうが、そもそもその川の流れ自体が、水害に対応するために人工的に変えられているケースは利根川など様々見られる。
このように、現在の私たちが見ている環境というものは、そこへ適応するために様々な営為の上で成り立っており、コンクリートのような人工物は無論のこと、自然そのものと見えるものすら、ありのままの姿などではないのである。
以上述べてきたような災害大国を生き延びるためにかつの人々が積み上げてきた業績とそこから得ている恩恵を理解することなしに、一体何の「江戸時代」なのかという話だ。それは現代への無知であるだけでなく、過去への冒涜でもある。
・・・と少々強めな表現をしたが、要は変化するのには理由があり、それを踏まえることなく回帰などを唱えても、まして無反省に実際に戻したとしても、上手くなどいかず、せいぜいが先人の知恵と自分たちの愚かさを知るだけで終わるだろう。
そのような意味で、今思い付きのように言われている江戸時代への回帰的な話は、おしなべて「隣の芝生は青い」というのと似ており、「エアコンの効いた部屋で、ビールを飲みながら近代批判の本を読み悦に入る人たち」と同じである(そのような思考様式は、揶揄的に語られる「なろう系」の根幹にある「強くてニューゲーム」という発想変わらない。まあ未来に希望が持てないし今も問題だらけだから、眼差しを過去に向けるしかない、という心情そのものは理解するが)。
もちろん、今述べたことは、現在の社会システムが絶対に正しいとか、このままあらゆるものを発展させていくべきだ、などという話ではない。資本主義というチキンレースには限界があって、そこに掉さす仕組みを浸透させねばそもそも社会自体が崩壊する可能性がある・・・という点はしばしば指摘されているし、一応それが「SDGs」という動きとして顕在化してもいたりするのだから(まあ多分にファッション化・利権化している感は否めないが。ただ、それはそれで新たなゲームが始まったのだ、という冷めた戦略的思考で見ることが必要だろう)。
ただそのことは、所与の条件(階級社会やら諸外国の状況など)やそこからの変化の理由を無視して江戸時代への回帰といった視点に論理的正当性を与えることには全くならない、と述べつつこの稿を終えたい。
・・・というわけで、マンハイム『イデオロギーとユートピア』の毒書会覚書、リチャード・ローティの説く残酷さの顕現としての『ロリータ』と『1984年』、「シニア右翼」たちの来歴、岡倉天心『茶の本』が書かれた背景とそこに仮託された理想像、そして最後に本稿と、変則的な形ではあるが予定通り記事を書いてみた。
そこで共通して述べたのは、思考的党派の形成(精神的背景など)とその未来像であるが、このテーマは一旦ここで打ち止めとしたい。ただ、いずれ機会があれば、以前触れた「新反動主義」や「加速主義」の続きを書くか、あるいは反出生主義などを取り上げてみるかもしれない(AI社会主義とこれらがどう切り結ぶかに興味があるので)。
以上。
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