「この話題はこういう理由で意図的に書かない」という話を書いたら、その目的はすでに破綻しているわけで、当然そこでは「沈黙」という選択が採られる。
ここにおいては、「何を」「どういう理由で」書かないのかといった点もまたその人となりを照射するのであり、つまり書かれたものだけをいくら積み上げたところで、その人間の総体を表すことなどできようはずもないのである。
さらに「そもそも意識に上らない事象」という要素も加わる。歴史史料などにおいて「当然のことは記述・記録されない」とよく言われるように、何に興味を引かれ「ない」のか、記録の価値を見出さ「ない」のかといったことでさえ世界認識を構成する要素の一つであって、その人を理解するフラグメントの一つと言う事が可能だ。
となれば、もはや個人を記述するための題材は無限大であって、その意味でも「ライフログ」などというものはありえないと言えるだろう。
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