あなたが狂っていない(ないしは狂ってる)ことを~字以内で証明しなさい。
この問題の意図は、当然狂気の基準がいかにあやふやで相対的なものかを認識することにある。そして証明の過程において、あなたが考える狂気というものが否が応にも浮き彫りにされるであろう。
と書いておいて何だが、実はこの問題、正常か狂っているかが命題であるなら、最初からほとんど破綻している。なぜか?「正常」という思考はいわば空気に似ており、我々が何の疑いも無く息をするのと同じように、「正常」という思考に基づいて我々は行動するものだからである。だから、息をする理由をいちいち訝しむ人間が異常な眼で見られるのと同様に、「正常」という基準もまらそれを疑う人間は異常な眼で見られるのである。とするなら、そういった「正常」(と狂気)を長々と論じることができる、言い換えれば、それが深く観察できるくらいに客体として見えているという時点で、すでに「正常」から逸脱しているのだ。ゆえに、「狂っているか否か」という命題を基準に見るなら、すでにその始まりからこの証明問題は破綻していると言えるだろう。
狂気の対義語が正常なのかどうかは、不明ですが、正常というのは集合体の平均値だから、平均から外れる行為・あるいは思考は異常であると思われます。それを狂気と呼んで良いかどうかは微妙ですが。
例えば、地球環境をガンガン破壊する自動車に乗って、森林資源をどんどん浪費する紙を大量に使い、生命体のDNAを完膚無きまでに破壊する原子力で電気を作り・・・そういう世界は狂っているが、その世界に順応している限り、その構成員はその社会において正常である。
したがってこの問題に対する回答は、
「私は狂っていない。何故ならば、私はこの社会に適応しているからである。仮にこの社会全体が狂っているのだとするならば、この社会を狂っていると判断する方が異端(狂っている)である。問題文は「あなたが狂っていないこと証明しなさい」であるから、判断基準は回答者である自分にあるべき。よって狂っていたとしても、狂っていなかったとしても、どちらにしろ狂っていない。これは酔っ払いが「俺は酔っ払ってない」と答えるのと同じである。」
という回答でどうでしょう?
例えば、かわぴょんさんの「判断基準は自分にあるべき」という部分は、(やや毒を含んだ書き方になってはいますが)私の「あなたが考える狂気というものが否が応にも浮き彫りにされるであろう」という部分と通じます。
また狂気の対義語についてですが、正確には「正気」だと思われます。「正気」と「正常」では確かにニュアンスが異なりますが、一応問題文で「狂っている」という表現を使っているので、わかりやすい表現として「正常」を用いました。
まあ、あなたもどーでもいいけど書いてみたってなノリでしょうけど。
うん、非常に2chに毒されてるな俺。こういう条件反射的な書き込みは匿名で書くべきかなw
ただ、私は
――記事引用――
そういった「正常」(と狂気)を長々と論じることができる、言い換えれば、それが深く観察できるくらいに客体として見えているという時点で、すでに「正常」から逸脱しているのだ。
――引用ここまで――
という考えとは逆に、そうした「正常と狂気」を考えることは、少なくとも現代においては往々にしてあることなので、正常の範疇に含まれるのではないかと思います。
つまり、「正常と狂気」を考えること自体が正常のなせるものだという考えです。
また、以上のような私とボゲ氏の正常(あるいは狂気)の捉え方の違いにもみられるように、言葉のもつ意味合いが人によって異なるため、ますます記事の証明問題の答えがぼけていくのではないかと思います。
>>pokosuke氏
私はわかってましたよw
それなんてエロゲ?
そうだなあ。昔なら問題部分だけ書いてニヤニヤしてたろうけど、今となっては割とどうでもよくなっているというか…というか、ぴきた氏の指摘で昔の口癖が「どうでもいい」だったことを思い出した。まさに「どうでもいい」ことだが(・∀・)
>pokosuke氏
それはそれでいーんじゃね?「テラワロス」とか「釣られないクマー」とか言うのも時にはいとをかし、だw
>Jガイル氏
真面目な内容を書いてくれてるのでちょっとお返事待ってください。この地獄の一週間が終わる土曜日には返信できると思いまふ。
今の時代が狂気を考える時代であることに関しては同意見。ただ、その眼を自分に向けることができているか、という点がこの問題の重要なポイントだと思っている。果たして、「この世はおかしい」と言う人間は自らの狂気・正常というものを考えたことがあるのか?そういう問題意識で書いております。
また言葉の定義に関しては、意図的にぼかしてます。そうした方が、個々人の考える「狂気」が浮き彫りになるからね。
指摘のあった部分に関する自分の考えはそんなところです。
正常(正気)でない状態が狂気ですが、笑い男に視覚を奪われたのをバトーは認識してたし、2ndGIGの裁判の回で、素子はトグサをゴーストハックして喋らせたし。このような場合、自分の脳が発した命令や感覚器官から脳に送られる情報が正しくないと本人が認識しているので、それは正常ではないものの、狂気でもないよーな気が・・・。
ところで、この世の規律が狂っていると論理的に指摘して自殺する人間と、それを意識せずに行き続ける人間がいるとしたら、どっちが「狂っている」と言えるのでしょうね(答えがあるために聞いているわけではありません)?
また適応とは何でしょうか?犯罪を犯さないこと?だとすれば、そのマージナリティはどこにあるのでしょう?おそらくいかなる罪も犯さないように行動している人間は、非常に浮いた存在、もっと言えば狂人として位置づけられることでしょう。
まあこんなふうに考えてると、世間との折り合いとは何げに砂上の楼閣の上に成り立っているんだなあと感じます。