「昔は良かった」という回想を鵜吞みにせず、過去のデータを実際に見ていくと、公害やら犯罪率やら実態が見えてきて、それが「思い出補正」や「現在への不満・不安により『隣の芝生』になっているだけ」ということに気付く(『「昔はよかった」と言うけれど:戦前のマナー・モラルから考える』なども参照)。
このように一度距離を取 . . . 本文を読む
一昨日の記事では、自分磨きがシミュレーションパートとして組み込まれている「ときメモ」を恋愛ADVとして最初にプレイし、その後にADVパートのみの「同級生2」をプレイしたことで、自分の中にある種の観念(疑念)が形成されたと書いた。それはすなわち、「相手が今のビジュアルを作り上げるのに相当な努力をしていることを自明のもののように考え、一方で自己陶冶の努力をしないのは欺瞞の極みでは?」というものである( . . . 本文を読む
最近になって週刊誌報道への注目が集まる中、「言ったもん勝ちの危うさ」もまた指摘されるようになっているが、この点については私も全く同感である(そもそも週刊誌報道≠真実は、何度も強調してきた通りだ)。
ただ、それらの指摘を見ていて問題だと思うのは、指摘するポイントが単発というかシングルイシューにフォーカスしていて、構造を正しく捉えていない点だ(例えば、「なぜ週刊誌報道がこれほど . . . 本文を読む
前回「学校であった怖い話」というゲームが自分のメタ視点(ものの見方)に大きな影響を与えたかもしれない、という話を書いたが、実はこのゲームは中学時代の友人N(帰省時に飲んだメンツの一人)がうちに「置きゲー」していたものである。
というのも、ヤツの実家が厳しくて家ではゲームをできないが、同じく剣道部であるワイの家はゆるくて部活帰りにゲームやれるわということで、言わば「 . . . 本文を読む
この口コミを聞いていたら、大学2年の時(2001年)に小平の工場でひたすらあんこ&こしあんをドボドボ四角い器(おおむね下に掲載したようなヤツの穴が空いてないver)に入れて運ぶという作業を延々とやっていた記憶が甦ったぜ( ̄▽ ̄;)
というか、「誰にでもできる軽作業だから、雇用を維持しているとい . . . 本文を読む
AIの進化
ネットによる分断
稲増一憲『マスメディアとは何か』
成熟社会化による価値観の多様化と社会の複雑化。
ネットがブースト。
オールドメディアしか無かった頃との違い
アメリカの黄昏。
ネット自体には意思はない。
アーキテクチャーの視点。
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二月堂を出て、春日大社の方へと南下する。
最初に見えてきたのは手向山八幡宮。
おお、なかなかに風情を感じさせる拝殿やね。
武内神社では宿禰が祀られてるらしいから、ぜひここですまうを取ってもらいたひものだ(キャラ違い)。
さらにここから南下すると野上神社へ。
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「旧NHK党はなぜ注目されたのか?」という話でも触れたんだけど、一定数の人間がある現象にコミットし、かつそれが社会の動向にも少なからず影響を与えている場合、単に「バカなヤツらが熱にうかされてるだけ」というスタンスでいるのはあまり得策ではない。
その一例が、松本人志の性加害問題に見られるように、「週刊誌報道はなぜこれほど注目されるようになっている(なってしまった)のか」という視点で . . . 本文を読む
「学校であった怖い話」はなぜ傑作となりえたのか?という視点でPS版の「S」と比較しながら無印版における「ノスタルジー」の要素を強調した。端的に言えば、学校という舞台、ピアノ主体のクラシック調、粗い画像など、全てが「懐かしさ」や「原初的な恐怖」と結びつく要素を持っているのがSFC版であり、そこに曲調の変化や画像のアップデートをしたこ . . . 本文を読む
この問題はもう少し先に扱うつもりだったけど、「学校であった怖い話」の記事で「改変」について話したことだし、この機会に触れておきますよと。
「セクシー田中さん」のドラマ化による原作改変と、それに伴って生じた一連の騒動が色々なところへ . . . 本文を読む