「終活」をにらんで、少しずつ書架の整理をしている。書棚の奥に日焼けした褐色の文庫本を処分してきたが、どうしても処分できない本があった。それが、城山三郎『辛酸』(中公文庫、1976.1)だった。というのは、田中正造と足尾鉱毒事件をテーマにした史実を駆使しながらの小説だったからだ。これは読まなければならないと、淡々としたリズムの語彙の山を越えていく。構成は半分が国会議員を辞めて谷中村の鉱毒被害者とともに生きる正造の真摯な姿、後半は正造亡き後の村の青年・宗三郎らの抵抗運動の奮闘、という二部構造。
作者は、田中正造の偉人像を理想化することなく、妻へのすげない態度や感情を抑えられないなどの欠点も描いている視点はリアリティーがある。もちろん、正造の被害残留民への真摯ないたわりと怒りは政治家の原点を思わせるものがある。
さらに、無償で弁護に奔走した弁護士家族の薄幸な運命も残酷でさえある。もちろん、国や自治体の強大な権力・官僚の執拗さ・懐柔工作などもたびたび出てくる。これらは、水俣事件をはじめとする日本の公害事件や原発誘致運動にも継承されてきたのは言うまでもない。
正造の好きな揮毫(キゴウ)に「辛酸入佳境」という言葉が小説にたびたび出てきたが、なかなか深い意味と決意がある。
作者は、「正造がわたしの心をとらえたのは、彼が公害闘争の最初の劇的な指導者として華々しく活躍した、という歴史的事実のためではない。むしろ、わたしがえがいたのは、華々しい闘争が終り、当時のマスコミや文化人からすっかり忘れ去られてしまったあとの時期が中心である。」とあとがきに書いてある。作者は正造の生涯を描くというのではなく、農民と同じ赤貧の暮しをする以降を切り取るとともに、それ以上に、故正造の精神を緩やかに受け継いだ農民自身のしたたかさと矛盾に着眼したのだ。
その時の貧窮のなかの農民の仕事が渡良瀬川の両岸に繁茂していた葦で作る葭簀(ヨシヅ)づくりだった。表紙のシンプルなデザインの意味がやっとつながった。