山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

報道機関は独立していなくちゃいけない!

2019-07-20 21:08:58 | 意見・所感

 久しぶりに久米宏の怪気炎を聞いた。昨日、NHKの「あさイチ」に出演、「国家に人事と予算の首根っこ握られているというのは絶対間違っている」と断言した。NHKはときどき優れたスクープを報道してきたが、それは一部の良心的職員の手腕で終わっている。しかもそれは放映時間が深夜だったり、教育番組だったりして、全体としてはは「政治の中立」を隠れ蓑に政府の忖度に汲々としているのが現状だ。

 

 久米宏は「NHKは民間放送になるべき」と主張して、周りの番組スタッフをハラハラさせたが、政府を監視するだけのテレビ局を経営する主体は形成されるかどうかは難しいのではないかと思えてならない。つまり、批判するのはやさしいがそれを実現させるパワーと政策を貫くのはなまやさしいことではない。

      

 若者が政治に関心がないのは政府の「愚民化政策」が成功しているからだ。オイラも役場の末端を汚していたが、教育委員会は中立ではなく、いつも「上から」の忖度に終始していた。教育行政の現場はタブーだらけだった。タブーを破ると人事で左遷される。それはオイラの辛い体験でもあったが、それは日本のすべての分野で今なお着実に行使されている。

 

 考えることを奪われた社会、本当のことを伝えられない社会はどこかでひずみを生む。最近の事件のいじめ自殺、放火、殺人、いたずら、SNSの暴言、沖縄基地問題、政治家の退化等々、その根幹に見えないタブーが居座ってしまった。久米宏は、ベストテンを華々しく放映しているとき、その裏で拉致事件が次々起きていたことをメモを見ながら慙愧に堪えない表情を見せた。それは今も、バラエティーやお笑いに占拠された番組の裏で日本のすみずみに亀裂と事件と退化が進行している。久米宏のきままに思える自由度をいかにとらえられるか、「平和ボケ」・「ポピュリズム」の実態が問われてやまない。

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