山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

台風前に栗を収穫する

2016-09-20 18:07:54 | 農作業・野菜
 台風前の風雨で道草山は栗が落ちている。
 雨が止んでいる間に栗を収穫し、雨が降りだしてから土間でイガから栗を採りだす。
 これが結構時間がかかる。

                       
 山での栗の残骸を見ると、すでに、リスやイノシシが食べに来ているのがわかる。
 なるべく夕方には収穫して、夜から明け方の時間は彼らに譲ることにしている。
 3本の栗の木があるがそのうちの1本はまったく実がつかなくなっているので、収穫量は例年より少ない。

                      
 しかも、例年だとイガのなかに実が2つは入っていることが多いのに、今年は1個の場合が少なくない。
 その代わり粒が大きいが、原因はわからない。

   
 3粒入っているのは数えるほどだ。
 今年は野菜も果樹も教科書通りではなく、気候変動の影響も大きいと実感する。

                           
 栗を干したいところだがこのところの悪天候で干せない日が続いている。
 やりたい農作業もストップしている。
 そのぶん、きのこは期待できるかもしれない。

 意外なところで知人にぱったり出会うことがある。
 そんなとき「ブログを毎日見ているよ」と声をかけてくれる。
 このところありがたいことに毎日100を越えるアクセスがある。

              
 そのことでずいぶん張り合いもある。
 コメントをいただければより大きな励ましとなる。
 今後とも叱咤激励をよろしくね。
 ブログを書く夜は何を書こうか追い詰められる世界となる。
 だがしかし、それは閉塞の日本でも日々を楽しく生きていることを確認する作業でもあるのは間違いない。
 
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わが畑の元気な雑草

2016-09-19 20:33:59 | 植物
 このところわが畑で見られる「ミヤコグサ」の黄色が目立ってきた。
 ミヤコ=京都でよく見られた植物だというらしいが、マメ科らしい花を凛々しく上を向かせる。

                          
    
 すでに、黒い莢をつけていたので、割ってみるとアズキのような豆が入っている。
 インゲンみたいだが、次回は食べてみようかな。

                             
 夏には似たような「ノアザミ」が咲いていたが、今はそれよりやや小さい花をつけている「ノハラアザミ」が華やかだ。
 ノハラアザミは総苞がベトベトしていないのが特徴だ。
 ミツバチが忙しそうに蜜を集めている。

   
 小さな花の咲いている「オオニシキソウ」に昆虫が遊びに来ていた。
 ニシキというのは、葉の緑と茎の赤との「錦」を表しているらしい。
 地面スレスレに茎を伸ばすコニシキソウをよく見かける。

                            
 田んぼの近くでよく見かける「タカサブロウ」を発見。
 花は意外にしっかりしている。
 名前が面白いが、外来のアメリカタカサブロウと在来の「モトタカサブロウ」とがある。
 この違いは最近わかってきたそうで、タカサブロウに「モト」をつけて区別している。
 ガクの大きさからこれは「モトタカサブロウ」のようだ。

台風が接近してきたので、きょうは、ピーマン・パプリカの枝を補強したり、危なっかしいガラス窓にベニヤを打ち付けたり、栗拾いやカブ・トウガンの収穫などをしておく。
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「加藤周一」という生き方

2016-09-18 21:03:19 | 読書
 「知の巨人」とはこういう人を言うのだろう。
 前々から注目していた加藤周一の半生記『羊の歌』(岩波新書、1968.8.)を読む。
 病弱だった少年時代は家にあった図書を次々読破。
 西洋通だった祖父から西洋文化の窓が開かれ、開業医だった父から実証的・懐疑的な思考を受ける。

                    
 戦時下の青春は、『侏儒の言葉』等の芥川龍之介や日本文学を読み込むなどして、日本人の大勢順応主義に疑問を持つ。
 また、フランス文学にも没入して詩作を続けるが、仲間の親友が戦死してしまう。
 さらには、医学を学びながら歌舞伎・文楽・能・築地小劇場などの公演にも精力的に顔を出す。

                           
 『羊の歌』は、終戦の8月15日で終わる。
 焦土戦術を唱えた指導者、桜花のように散るのが大和魂と唱えた学者・文士・詩人たちは、どこへ行ったのだろうか、と問う。
 その後については『羊の歌その後』で戦後の自伝が展開され、フランス留学後カナダ・ベルリン・アメリカの大学で教鞭を執っていた。2008年死去している。
 
      
 編集者だった鷲巣力『<加藤周一>という生き方』(筑摩書房、2012.11.)では、加藤の遺稿ノートを紹介しながら彼が西洋合理主義・科学的思考を身に付けつつも、フランスの詩や劇にも精通し、同時に『日本文学史序説』をも書き上げ、戦後の平和運動にも参加するなど、「理」の人にして「情」の人であることを強調する。

                            
 戦前戦後を冷静に生き抜いた「知の巨人」の足跡の深さは、現代日本の進むべき羅針盤でもある。
 しかしそれを取り上げるメディアはETVくらいで、受け狙いの視聴率競争に狂奔しているメディアの責任は大きい。
 加藤周一の「価値相対主義」は少年時代から一貫しているのが読み取れる。
 自分史を通して日本人のものの考え方の功罪を問うたのが『羊の歌』なのかもしれない。

                                
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久しぶりの焚き火

2016-09-17 21:15:48 | 野外活動
 このところの不順な天候で、トウモロコシやカボチャの残骸や栗のイガが溜まっていたのに処理できないでいた。
 きょうはなんとか雨もなく焚き火日和らしいので朝から決行。
 しかし、それぞれ湿っているのでなかなか燃えない。
 乾いた薪を投入してなんとか火力を確保。

                       
 久しぶりに火力キーパーに苦労する。
 団扇を使わないで火が起きることを目指していたが、今回は全く通用しない。
 加齢によりやはり腕が落ちたのだろうか。

 そばを茹でる。
 昼食は久しぶりの焚き火そばとなる。

        
 もちろん、畑から大根の間引き菜を採ってきて茹でてから蕎麦にいれる。
 ついでに、残り火で栗を茹でる。
 ほんとうは蒸し焼きにしたいが、燃やすのに精いっぱいだったので心の余裕がない。

 夕飯も蕎麦となった。
 残渣を燃やすことで、ガス代が浮いたうえに胃を満杯にした。
 眠気がたびたび襲う。
 あっという間に一日が終わっている。
 人生はかくのごとく短い。
 
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マラカスができたよ

2016-09-16 21:15:10 | 植物
 8月末畑に突然咲いていた「ベビーマラカス」が、ついに実をつけ始めた。
 莢を見てこれがマメ科であることがわかる。
 アフリカ・インド地域が原産、緑肥植物として輸入されたらしい。

                        
 ツガル博士にいただいた種は見事に花をつけ、いつのまにか畑のあちこちに侵出。
 花は見事ながら、種が入った莢ができてきた。
 ただし、この種はやや有毒らしい。

                         
 莢が茶色になるころ、乾いた種が莢の中に転がっていて、揺すると音が出る。
子どもたちはこれが大好きだ。
 幼児も小学生も絶好の楽器マラカスとなる。

 ETV特集の「関東大震災と朝鮮人」のドキュメンタリー録画を見る。
 流言飛語による数千人の朝鮮人虐殺の事実。
 戦前、朝鮮独立運動への日本の官憲の弾圧・虐殺。
 これらをふまえたうえでの、北朝鮮による拉致事件を取り組まなければならない。
 相変わらず、情報はあまりに一方的だ。

 反原発の新潟県知事が立候補を止めた背景には、地元の執拗な圧力による効果の成果がありそうだ。
 鹿児島県知事の原発一時停止要望も軽くいなされた。
 相変わらず、少数派はあまりに絶望的だ。
  
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またもや下見だった

2016-09-15 22:27:44 | 春野山の村
 校外授業の一環として小学生が来ていた「春野山の村」。
 今週の日曜日に実施される「森林散策会」の会場となる「山の村」にまたもや下見をする。
 今月だけで3回連続の散策会となる。
 ポツリと咲いていた「ハダカホウズキ」(ナス科)。

                        
 しばらく歩くと赤い実がなっているハダカホウズキを発見。
 花と実の双方を見られたのははじめてだった。
 いわゆるホウズキの実は、大きなガクで包まれているが、これは裸のままなのでついた名前だ。
 似ているものに、「イヌホウズキ」「アメリカホウズキ」があっていつも混乱させられていた。

   
                            
 森の日陰の中に、黄色の「ナギナタダケ」(シロソウメンタケ科)を偶然発見。
 ネーミングになるほどとその想像力に感心する。
 さらにそのそばになんと、緋色の「ベニナギナタタケ」もあった。
 これは食べられるそうだが、猛毒のカエンタケに似ているので食欲はわかない。

                              
 群生は見られなかったが、ところどころで小さな「ハナホウキタケ」を確認。
 珊瑚のような薄いピンクが魅力的だ。

 
 
 はじめはチチタケだと思っていたが、形が漏斗状で中心部が柄の基部まで窪んでいたのがわかった。
 食べると消火器系に中毒症を起こす「ウスタケ」(ラッパタケ科)だったが、そのウスは「臼」だった。
 傘の色が濃い色・薄い色があるらしい。

                              
 村内によく見られるのが、「シロハツ」に違いない。
 裏の襞の根元が緑色になっているのが特徴らしい。
 老菌も多くてそれを確認するのが難しい。

 台風の影響で明日以降も雨が降るようだが、きのこにとってはチャンスでもあり、散策会もそれにシフトした内容を考えている。
 
 
 
 
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綿入れ半纏が完成

2016-09-14 21:17:02 | アート・文化
 和宮様がかねがね作りたいと言っていた手づくりの綿入れ半纏が完成した。
 生地はネットで入手した重厚な大島紬。
 手縫いで少しづつ縫ってきたものだが、生地の輝きはさすがの大島紬だ。
 半纏とは「絆を纏う」という意味合いもあり、グループの結束を図る象徴でもある。

                      
 法被は胸紐があり、半纏はないと言われ、前者は武士や高僧が着用していたもので、後者は庶民が着用発展させたものだというが、現在では違いは問題視されていない。
 綿は真綿を入れてあるので厳寒期には暖かい。


 裏地の紅の「肩当」は、小さな生地を縫い合わせた労作のようだ。
 これを買うとなると高価なものになるが、「お世話になったかたに着てもらうつもりなのじゃ」と、数年がかりの荷が降りた顔で語った。
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雨模様の中でも生きる

2016-09-13 20:08:48 | 生き物
 アゲハチョウより小さく、モンシロチョウよりやや大きい、「キタテハ」がニラの花にいた。
 斑紋を見るとついヒョウモンチョウの仲間かと思ってしまうが、大きさが小さい。

                     
 目立たないダークなトーンはやはり枯葉に似せた保護色だそうだ。
 ヒョウモンチョウのように地色が真っ黄色だと逆に目立ってしまう。
 小さな蝶の生き残り戦略なんですね。

      
 畑で秋型の「ショウリョウバッタ」を発見。
 これも保護色だ。
 草色のショウリョウバッタと同じだとはなかなか承服できないほどだ。

                           
 先日、春野山の村で側溝で泳いでいた「ヤマカガシ」の子供がいた。
 小さいとかわいい。
 ヤマカガシの毒は、ヒキガエルの毒を貯めて分泌するらしい。

 朝から雨が降ったり止んだり強かったり弱かったり、なかなか読めない一日だった。
 しかたがないので、珍しく一日かけて台所を掃除する。
 もちろん、休み時間のほうが長いけど、のんびりやると義務にならない。

 しかも、忌野清志郎のBGMで元気が出る。
 彼の「田舎に行こう」の歌がなかなか良かった。
           
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そろそろ栗がやってくる

2016-09-12 19:57:25 | 農作業・野菜
 ぽつりぽつり栗が落ち始めている。
 栗の木がある道草山は腰近くもある雑草で覆われてる。
 昨日からのんびり草刈りを始めた。

                          
 体力的に一日ではできないので少しづつ草刈りするしかない。
 あまり急ぐと斜面の草刈り作業は危険でもある。
 毎年、すべったり転んだりしないときはないからだ。

           
 今年の1本の老木は元気がない。
 枯れ枝もいくつか見られる。
 そんななかでも、わずかながらうまそうな栗が落ちていた。

                           
 今の段階では、栗の質はよくないし小さい。
 虫食いも少なくない。
 今年は生り年ではないかもしれないが、自然の恵みの一端を少しでも触れたいものだ。
 一昨年はほとんど口に入らないという時期もあった。
 
 2m近くもあるシシウドやノハラアザミは鎌で伐採していく。
 汗が目に染みる。
 Tシャツがまたまたぐっしょり背中に張りつく。
 早めに退散して着替えることにする。
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ヒガンバナと秋の空と

2016-09-11 19:42:18 | 植物
 畑のヒガンバナが日々成長している。
 雑草やハーブに囲まれながらもブレずに茎を伸ばす姿に感心する。
 その真っ赤な色彩といい、糸状の花びらの特異さといい、突然存在感を認識させる。

                          
 いつのまにか、花の本数も増えている気がする。
 田園風景にヒガンバナが多いのは、全草有毒植物であることと関係がありそうだ。
 ヒガンバナを植えることでモグラ・ネズミ・虫が寄り付かないことがあるようだ。

         
 秋の空とヒガンバナとのコラボが良く似合う。
 日陰に植えてしまったヒガンバナの成長が悪かったので、それをいずれ移植を考えなければならない。

 栗がそろそろ落ち始めたので道草山の草刈りを始める。
 畑の雑草も元気なのであわせて草刈りの日々が続きそうだ。

 パラリンピックが始まったが、オリンピックと合体すべきだ。
 技術的に実施が難しい面もあるかもしれないが、現在のように別物にすることは差別につながる。 
 
 
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