MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『金三角』の思い出

2023-06-24 00:58:39 | Weblog

 ただタイトルに惹かれて久しぶりに「アルセーヌ・ルパン」シリーズの一篇を読んでみたのだが、それは決して良い意味ではなく推理小説のタイトルとしてははっきり言ってダサいのではないかと思ったからである。しかし「金三角」の原題は「Le triangle d'or」だから「黄金の三角形」という意味で間違いではないのである。

 そこで「金三角」に言及されている箇所を引用してみる(『金三角』 創元推理文庫 石川湧訳 1972.12.22 原書は1917年出版)。最初は、パトリス・ベルヴァル大尉が事件の手掛かりを探すために、エサレス家の執事であるシメオン・ディオドキスの部屋を訪れた場面である。

「注目に値した唯一の発見は、箪笥の裏、白い壁紙に鉛筆で描かれた、かんたんな図形であった。ー 交差する三本の線が、大きな正三角形をなしている。この幾何学的図形のまんなかには、金箔でらんぼうになぐり書きがしてある。金三角! デマリオン氏の捜査になんの役にも立たないこの文句のほかには、手がかりとなるものは全然ない」(p.162)

 次はパトリスがドン・ルイス・ペレンナ(=アルセーヌ・ルパン)と射殺されたヤボンの死体を発見した場面である。

「『しかし、とにかく、確かになったのは、ヤボンが、金貨袋を積んだかくし場所を知っていることと、そしてそれはおそらく、コラリーがいた、またたぶん今もいるかくし場所だということです。もしも敵が、何よりもわが身の安全をかんがえて、そこから連れだす時間がなかったとすればですがね』
『まちがいありませんか?』
『大尉どの、ヤボンはいつも、チョークを持ってあるいています。やつは字が書けないので ー わたしの名前以外は ー この二本の直線を引いたのです。それと、やつがなぞった壁の線とで、三角形になります。金三角です』」(p.286)

 最後はドン・ルイスがフランス大統領のヴァラングレーに「金三角」について説明している場面である。

「『大統領閣下、わたしが魔法の杖で金貨を出現させたり、黄金を積んだ洞穴をお見せしたりするなどは、あまりあてにしないでください。わたくしは、《金三角》という言葉は、なにか不思議で伝説的なものを連想させて、とんでもないまちがいにみちびくものだと、いつも考えていたのです。わたくしの意見では、それはただ金貨のある場所が三角の形をしているというだけのことです。金三角というのは、金貨の袋を三角に積みあげてあるということなのです。だから、事実ははるかに単純なものであり、閣下は失望されることでしょう』」(p.362)

 さらにドン・ルイスが説明している部分を引用してみる。

「『それが金貨の袋です。千八百個あるはずです。(中略)一キロの金貨は、三千百フランに相当いたします。そこで、わたくしが大体計算したところによりますと、千フランの丸い棒で十五万五千フランはいっている五十キロの袋は、かなり小さいものです。
 その袋を並べたり重ねたりして積みあげると、約五立方メートルを超えない容積となります。もしもその袋の山を、三角のピラミッド形にいたしますと、それぞれの底辺は大体三メートル、袋と袋のすきまを考慮に入れると、三メートル半となりましょう。高さは、この塀ぐらいです。その全体に砂をかぶせると、閣下の御前にあるこの砂山になります。』」(p.364)

「『ヤボンはチョークで歩道に三角形をえがいた。そしてこの三角形には二辺しかなく、底辺は堀の裾になっていた。どうしてこんなだろう? なぜ底辺がチョークで描いてないのか? 底辺がないのは、かくし場所は堀の裾にあるという意味なのか?』」(p.380-p.381)

 試行錯誤しながらドン・ルイスは目の前の砂山に思い当たり、掘ってみると袋とコラリーを見つけ出したのである。

 ここまで読んで分かる人には分かるのだが、これはエドガー・アラン・ポーが1844年に発表した短編小説「盗まれた手紙」と同じ手法であり、実際にドン・ルイスも以下のように言及している。

「『ところで、ある場所をしらべて、さがす物が見つからないときには、わたしはいつでもエドガー・ポオの奇怪な小説『盗まれた手紙』のことを思い出すのです。ご存じでしょう ー 盗まれた外交文書が、どの部屋にかくされているのかわかっているという話を。その部屋は、隅から隅までしらべられる。床板を一枚のこらずはがしてみる。ない。しかしデュパン氏がやって来て、さっそく壁にかかっている小物入れのところへ行く。そこからはみ出している古い紙片がその文書だったのです。』」(p.380)

 しかし『金三角』が「盗まれた手紙」のトリックのように上手くいっているとは思えない理由は、そもそも何故箪笥の裏に三角形の図形が描かれなければならなかったのかよく分からないし、正確を期するならば「砂山」は「三角形(le triangle)」というよりも「三角錐(le tétraèdre)」、あるいは「円錐(le cône)」だからである。

 実はフランスの作家であるアラン・ロブ=グリエが1978年に上梓した小説『Souvenirs du Triangle d'Or(黄金の三角形の記憶)』は『金三角』をベースにしていると睨んでいるのだが、『Souvenirs du Triangle d'Or』はいまだに邦訳されていなかった。誰か訳してくれないかな?
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/spice/entertainment/spice-315025


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『幻影都市のトポロジー』の読み方について

2023-06-23 00:56:04 | Weblog

 引き続きフランスの小説家のアラン・ロブグリエが1976年に上梓した『幻影都市のトポロジー(Topologie d'une cité fantôme)』について論じてみたい。
 本書の中の「第一の空間/女神ヴァナデの廃墟と化した神殿の構築 5 供犠の船(Premier espace : Construction d'un temple en ruines à la Déesse Vanadé. Ⅴ Le navire à sacrifices)」の文章の成り立ちを考えてみる。

「そこに、ラテン語で彫ったテキストのなごりがあり、・・・・・・NAVE AD・・・・・・〔船によって・・・・・・の方へ〕という二語が読みとれる。あとは年月が抹消されている。だがその文章は、DAVID〔ダヴィッド〕という名がもうすこし低いところに、細かなその幾何学形からローマ帝国末期のものとみられるおなじ字体で現われ、あらましの意味を附与しているため、苦もなく再構築される。/空蝉のかのをんな船に乗りて/向ふこそダヴィッドの神々しき紺碧/
(Ici, les vestiges d'un texte gravé en latin permettent de lire les deux mots ...NAVE AD... ; le reste est effacé par le temps. Mais la phrase se reconstitue sans peine, grâce au nom de DAVID qui apparaît un peu plus bas, dans ces mêmes caractères dont la géométrie étirée semble dater du bas empire, donnant le sens approximatif : / vide elle va sur un navire / vers l'azur divin de david /.)」(p.38)

 ここは翻訳に多少問題があって、「...NAVE AD...」はラテン語であるが、「/ vide elle va sur un navire / vers l'azur divin de david /」はラテン語で書かれていたものをフランス語に翻訳したと捉えるべきだから、「/空蝉のかのをんな船に乗りて/向ふこそダヴィッドの神々しき紺碧/」のように古語で表してしまうと却って分かりにくいし、寧ろ「船によって・・・・・・の方へ」の方を古語にするべきであろう。だからここは「空虚な彼女は船に乗って/ダヴィッドの素晴らしい碧い空の方へ向かう」でいいと思う。

「もっと子細に眺めたところ、帆柱の天辺の旌旗はながい吹流しのような体裁で、先のほうが細く、その一端がふたまたにわかれ、中央にあざやかな紅でGという一字が刺繍されている。この文字は次のような系列を与えるのだが、それはまずだれもが予想していたにちがいない連鎖だった(Tout en haut du mât, l'oriflamme, vue de plus près, apparît comme une longue banderole effilée, terminée par une extrémité bifide et portant, brodée en son centre, une lettre G de couleur rouge vif. Cette lettre donne la série suivante, à laquelle d'ailleurs on devait s'attendre :)。

vanadé - vigie - navire
〔ヴァナデ - 見張番 - 船〕

danger - rivage - devin
〔危険 - 岸辺 - 占師〕

nager - en vain - carnage
〔泳ぐ - むなしく - 殺戮〕

divan - vierge - vagin
〔寝椅子 - 処女 - 膣〕

gravide - engendra - david
〔孕んで - 産むだろう - ダヴィッド〕」(p.42-p.43)

 この後、上記の単語を順番に使用しながら物語が紡がれていく。つまり最初は二つのセンテンスだったのだが、15の単語になり、長文へと自己増殖していくのである。
 このようにヌーヴォー・ロマンは読者の能動性が求められる小説で、決して面白さが保証されているわけではなく、ここまで説明してきたが、そういうことだから『幻影都市のトポロジー』も勧めたりはしない。絶版だし。

 因みに背表紙に書いてある作者紹介の文章を引用してみる。

「小説とは何なのか? 様式、方法、言語 ー ロブ=グリエの第七作目にあたるこの作品では、人間と人間とをつなぐこうした容認事項が、もはや放棄されてしまっている。五つの空間に連続的に現出する映像は、美しく鋭い。しかしこの作品は定義不能な新しい産物であって、既成の小説の『破片』ないし『廃墟』ではないのか。/1978年秋、日本を訪れたロブ=グリエは、長身、髭もじゃ、セーター姿で大都市の繁華街を神出鬼没にかけめぐり、『日本と日本人』を平明、明晰に語って、帰国していった。」

 文学観が固すぎるよ。翻訳者自身が作品の内容が分からずに苛立ちを隠せないでいる。もう誰も読んでいないからええけど。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大江健三郎と蓮實重彦の関係について

2023-04-14 00:58:54 | Weblog


(2023年3月14日付毎日新聞朝刊)

 『文学界』の5月号と『群像』の5月号に文芸評論家の蓮實重彦が亡くなった大江健三郎に追悼文を寄せている。『文学界』に掲載されている追悼文に拠るならば、1935年1月生まれの大江と1936年4月生まれの蓮實とは同じ時期に東京大学に在籍していたことがあるのだが、蓮實が大江を目撃したのは一度だけで、その時も蓮實は大江に声をかけることなくただ遠くから見つめていただけだったらしく、その後も仕事で一緒になる機会はあっても言葉を交わすことはなかったらしい。もちろん対談することもなかったのであろう。
 しかしそれもうべなるかなと思う理由は、大江の義兄にあたる伊丹十三の映画監督デビュー作である『お葬式』(1984年)に対する蓮實の評価にあると思うからで、蓮實は以下のように語っている。

「私は面と向かっていいましたよ。『お葬式』の初号試写の時に、彼(伊丹)が『いかがですか』と聞くから、はっきり『だめです』と。」(『「知」的放蕩論序説』 河出書房新社 2002.10.30 p.142)

 伊丹は蓮實にこそ褒められたいと思っていたからわざわざ本人に訊ねたはずなのだが、蓮實は全く認めなかった。実際に『お葬式』を見てみるとかなり酷い作品で、これで蓮實が褒めてくれると思った伊丹の感性を疑わざるを得ないのだが、驚くべきことに『お葬式』は1985年の第8回日本アカデミー賞の最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞の主要3部門を獲っているのである。
 この件に関して大江は蓮實を快く思ってはいなかったであろうが、さらに追い打ちをかけたのが1997年の伊丹の自死(?)で、これで完全に大江との関係は断たれ、大江の息子がいまだに元気そうなので、例えば、筒井康隆との「和解(妥協?)」による関係の修復は叶わなかったものの、代わりに大江は2000年に『取り替え子(チェンジリング)』を物にしたのである。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/entertainment/20230405-567-OYT1T50127


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村上春樹と「ChatGPT」の類似性について

2023-02-27 00:54:41 | Weblog


(2023年2月26日付毎日新聞朝刊)

 毎日新聞の「村上春樹をめぐるメモらんだむ」を読んで知ったのだが、1月29日放送のTOKYO FMのラジオ番組「村上RADIO」で以下のようなコメントをしている。

 今日の言葉はロシアのプーチン大統領の言葉です。「ニューヨーク・タイムズ」の記事によれば、彼はウクライナの戦争で息子が戦死したある母親に、面と向かってこう言ったそうです。

 「このロシアでは年間、何万人もの人がアルコール濫用や交通事故で命を落としています。あなたの息子さんは、ウォッカの飲み過ぎなんかで死ぬより、ずっと意味ある死に方をしたのです」

 うーん、まったくすごいことを言いますよね。
 でもこういうのって、巧妙なロジックのすり替えなんです。だってウォッカや自動車は本来、人を殺すために作られたものじゃありません。あくまで付随的な、アクシデンタルな結果として、不幸にして人が亡くなるという結果が生まれるわけです。
 でも戦争はそうじゃない。戦争は基本的に、人を殺傷することを目的として行われる行為です。そういう、本来は同じレベルに置くべきではない事柄を並べて比較することで、ものごとをねじ曲げて正当化していく。これは何もロシアだけではなく、戦争に携わる国の指導者がしばしばおこなうごまかしです。
 そして彼ら自身は決して戦場には行きません。みなさんもそういう連中に言いくるめられないよう、じゅうぶん気をつけてくださいね。
 それではまた、来月。

 この発言を読んで何故か最近話題になっている、質問したら答えてくれる対話型AIツール「ChatGPT」を思い出した。確かに回答は的確ではあるものの、よくよく考えたら誰でも思いつくような回答なのに、「村上春樹」だから、あるいは「ChatGPT」だからという付加価値で発言のクオリティーが5割増しになっているという感じである。いちゃもんと言われればそれまでだけれども、プーチン大統領の発言などどれも違和感の塊、あるいは「違和感製」なのだから、今更新聞で取り上げるほどのものとは思えないのである。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/tfmplus/entertainment/tfmplus-6pT9RFbAHn


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川端康成と「眠れる美女」というアイドルについて

2023-02-11 00:58:14 | Weblog

 川端康成の新潮文庫版『眠れる美女』には表題作の他に「片腕」と「散りぬるを」が収録されており、三島由紀夫が解説を書いている。正直、三島の解説は難しくて上手く把握できないのだが、この文庫版は川端自身によって編まれたと書いている(p.247)。それを踏まえて感想を書いておきたい。

 「眠れる美女」の主人公の67歳の江口由夫が友人の木賀老人に教えられて訪れた宿は素っ裸の「眠れる美女」と添い寝ができる「秘密クラブ」のようなもので、未成年の処女と添い寝することで沸き起こる妄想を楽しむのである。
 「片腕」は若い娘から借りた右腕を主人公の「私」が自分の右腕と付け替えたりして楽しんでいる。
 「散りぬるを」は5年前に主人公の小説家の「私(当時34歳)」が、弟子だった瀧子(当時23歳)と蔦子(当時21歳)が就寝中に殺されたのであるが、犯人の山辺三郎(当時25歳)に対する感情は複雑で、証言によるならば山辺は2人の女性を強姦したわけではなく、最後まで関係は良好で二人とも処女のままだった。小説家が書いた本作はフィクションではあるが、山辺の供述にしても訴訟記録、精神鑑定報告、予審終結決定書にしてもフィクションであるとし、最後に以下のように自虐的に書いている。

「二人が脆く殺されたことに、お前が責任を感じないでか。お前はこの殺人事件を無意味なゆえに美しいと見たがりながら、いろんなしたりげな意味をつけた。二人の女をまことに愛しておらなかった証拠と知るがよい。この殺人を、三人の生涯になんの連絡もないもの、三人の生活になんの関係もないもの、つまりこの一つの行為だけが、ぽかりと宙空に浮んだもの、いわば、寝も葉もない花だけの花、物のない光だけの光、そんな風に扱いたかったらしいが、下根の三文小説家に、さような広大無辺のありがたさが仰げるものか。ざまをみろ。」(p.239-p.240)

 三篇に共通することは相手が若い娘であり、関係は良好なままで自身の欲望を満たせるということで、つまり「寝も葉もない花だけの花」とは「アイドル」であり、どの主人公もガチの「オタク」だから小説家は自分と同じ気質を持っている山辺を断罪できないと読めるのである。

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/yonhap/world/yonhap-20220823wow040


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原型を留めない「風に吹かれて」について

2023-01-28 12:23:13 | Weblog

Bob Dylan - Blowin' in the Wind (Official Audio)

 『ハーバード大学のボブ・ディラン講義』(リチャード・F・トーマス著 森本美樹翻訳 萩原健太監修 ヤマハ 2021.3.10)の中で「風に吹かれて」に関して興味深いエピソードが紹介されている。まずは引用してみる。

「他に2人の大学生がいたが、この2人は前の2組よりはディランに精通している様子で、1人が文句を言っていた。『最近は昔のいい曲といえば「風に吹かれて」しか演奏しないのに、今日はそれさえなかったな』。このときばかりは、私は口を挟まないではいられず、ここ最近のコンサート同様、アンコールの2曲の1曲目に「風に吹かれて」を歌ったことを指摘した。彼は私が言ったことを信じなかったが、私もあまりしつこくしたくなかったので、そのまま立ち去った。」(p.290-p291)

 おそらく大学生は1963年にリリースされた「風に吹かれて」のオリジナルヴァージョンしか知らなかったのだと思う。1985年のライブで既に変化させているのだから、今世紀に入ってからのライブヴァージョンは原型を留めていなかったのかもしれない。

Bob Dylan / Keith Richards / Ron Wood - Blowin' In The Wind (Live Aid 1985)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川端康成の「信仰」と「自己嫌悪」について

2022-11-18 00:58:57 | Weblog

 川端康成の「BL作品」として「少年」が文庫本として刊行されたのであるが、本物のBL作品として読んでみたもののがっかりする読者もいるのではないかと思うが、「レベル」というものは様々だから仕方がないとも思う。例えば、大正6年1月18日付の文章を引用してみる。

「昨夜消燈四十分ほどして暗い冷たい寝床に入ると、それまで起きていた清野が腕や胸や頬で、私の冷え切った手をあたためてくれたのが実にうれしかった。今朝、熱い長い抱擁。誰が見たって変に思うだろう。清野がなんと思ってしているのかさっぱりわからぬ。しかし私にはこれ以上のことは求め得られないのだ。」(p.109)

 川端は大正十年の八月、二十二歳の時に嵯峨の清野の家を訪れているのだが、「私は三日目の午前、朝の祈りをすませた清野少年に別れを告げて山を逃れた。/異端者の私にはいづらかったし、大本教の匂いが息苦しかったからである。」(p.71)川端はどうも大本教に良い印象を持っておらず、「開祖の婆さんからして山姥のようだったのだろう。二代目、三代目と言っても、ただ開祖の娘、そのまた娘というに過ぎないのだろう。これが生神さまか。お筆先やその他の勿体づけでありがたがっている女であるか。/二階の廊下から見おろしたところでは、少しも気品がない。恰好にしまりがない。信仰の的とあがめられ、あるいは自ら信仰に深く生きている人ならば、体のどこかに、精神の輝きとか、高さとか、美しさとか、静けさとか、あるいは穏かな平和とか広い慈愛とかが、現れていそうなものである。私は幻滅するよりも、本物の教祖かと疑惑した。」(p.49-p.50)と言いたい放題なのである。

 川端は以下のようにも書いている。

「私の元の室員の清野少年は私に帰依していた。自分に対する帰依に出会って、最も強く私は自分を浄化し純一することが出来て、新しい精進を思うのである。私は帰依のなかに初めて安々と楽に眠り得るのであろうか。帰依という鏡のなかに写る自分の姿を眺めていないと、私の精神は曇るのであろうか。」(p.120)

 「少年」とは川端の、自分自身と出口なおを始めとする教祖たちの比較を通しての、同性愛というよりも信仰に関する問題提議だと思うのだが、大本教の評価そのものが川端本人の評価につながることになり、清野に対する愛情が自身を苦しめることになったように思うのである。
 
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/otakuma/trend/otakuma-20220228_06


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『フラニーとゾーイ』

2022-10-03 00:59:56 | Weblog

 J・D・サリンジャーの『フラニーとゾーイ』に関して、小谷野敦の『聖母のいない国』(河出文庫 2008.8.20)の議論を取りあげながら考察してみたい。

 小谷野は『聖母のいない国』の「サリンジャーを正しく葬り去ること」という章で『フラニーとゾーイ』を扱っている。小谷野は「フラニー」を以下のようにまとめている(『フラニーとゾーイ―』は新潮文庫の野崎孝訳を引用する)。

「フラニーのデート相手である、別の大学(英文科? 英文科の学生がフロベールについて書くか?)の四年生か院生のレーン・クーデルという男は、自分のフロベールに関するレポートに『A』がついていたということをさりげなく自慢し、教授がそれを活字にすべきだと言っている、と言いながら、フロベールに関する評論で切れ味のいいものなんか一つもない、と放言するのである。実のところ、こういう『生意気』な放言を男子学生がするのは、べつだん珍しいことではない。けれど、フラニーはこれが癇に触って、まるであなたは特研生(セクション・マン)みたいだ、と言いだす。これは彼女の大学で、教授がいない時に代わって授業をやる学生で、彼らは『すごい秀才』で、トゥルゲーネフを散々こきおろした後で、自分が修士論文のテーマにしたスタンダールの話を始めたりするという。フラニーは言う。『学を鼻にかけたり、えらそうにこきおろしをやったりする人たちにはもううんざり。悲鳴が出そうなくらい』(引用は野崎訳による)」(p.68-p.69)

 しかし小谷野は無視しているのか読み飛ばしているのか定かではないのだが、フラニーとレーンの感情の齟齬はそれ以前にあると思う。
 フラニーはレーンに再会する前に手紙を出している。「手紙は水色で便箋に書かれて ー といってもタイプで、書かれていた。何度も封筒から取り出されて、何度も読み返されたものとみえて、こなれてくたびれている」(p.9)。再会後にもフラニーは手紙が届いたかどうかレーンに確認している(p.14)。
 それから二人は一時間後に、シックラーという、ダウンタウンのあるレストランの、わりあい人群れから離れたテーブルに座って話し始める(p.16)。
 フラニーは事前に手紙でレーンに頼んでいたことがあった。「超男性的(super-male)で寡黙(は、これでいいのかな?)になるときのあなたは、わたし大きらい。本当は嫌いというんじゃないんだけど、わたしって黙ってる強い男性(strong, silent men)ってものには体質的に反撥しちゃうのよ。といったって、あなたが強い男性じゃないというのではありません。分かってくださるわね、わたしの言う意味(p.10)」
 ところが「レーンは、たっぷり十五分間かそこらひとりで喋り続けたあげく、いよいよ調子づいてきて、その調子のままに喋っていれば絶対にへまをやる気遣いはないと思い込んでるとでもいうか、そんな感じで喋っていた。『つまり、露骨に言ってしまえばだね』と、彼は言った『彼に欠けているのは、男根的本質(testicularity)と言っていいと思うんだよ。分かるだろう、僕の言う意味?』彼は、グラスの両側に置いた腕で身を支えるようにして、おとなしく謹聴しているフラニーの方へ、カッコよく崩した身体を乗り出している。
 『何が欠けてるんですって?』と、フラニーは言った。一度咳払いしてからでないと、声が出なかった。それほど長く口を開かなかったのである。
 レーンはためらった。そして『男性的本質(Masculinity)さ』と、言った。
 『さっきはそうじゃなかったみたい』
 『とにかくだね、リポートのテーマは、言ってみればまあ、そういうことなんだな ー そいつをぼくは、なるべく婉曲な形で表現しようとしたんだ』自分の話にすぐ立ち戻って、彼はそう話し続けた『いや、ほんとなんだよ。ぼくとしちゃ、あんなリポートは鉛の気球でてんで上がりっこないと、しんからそう思ってたんだ。ところが、戻ってきたのを見たら、でっかい”A”の字がべったりとついているじゃないか。ぶっ倒れるとこだったよ、まったく』(p.17-p.18)」
 レーンはフラニーが手紙で頼んでいたことを完全に忘れており、レストランで会話を始めて早々にやらかしているのである。だからフラニーはレーンのスノッブ的な振る舞い以前に、婉曲な形で表現することもないレーンの思いやりの無さに失望しているのだと思うのである。

 小谷野の本章の結論を引用してみる。

「『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』や『シーモア ー 序章』でその先を模索しようとしたサリンジャーは、遂にシーモアの影の下から脱することができなかった。私は結局、六〇年代から七〇年代にかけて、学生運動の時代を支配したサリンジャー人気は、政治と社会から逃亡した若者たちの、ウィットと謎に満ちた会話や文体、風俗を巧みに織り込んだ膨大な固有名詞や細々した普通名詞から成る文章と、その背後に隠された『自殺』の謎といった組み合わせが受けただけであって、五三年に『隠遁』し、六五年に最後の作品を残して沈黙したサリンジャーは、ほんらい『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』を書いた後のトルストイのように、『懺悔』すべきだったと思う。その後に米国文学を『ガキの小説』(丸山健二)にしてしまった責任の多くは、サリンジャーにあるのだし、日本で庄司薫や柴田翔のような『小亜流』の後、村上春樹のような『大亜流』を生み出したのも、批評家がきっちりサリンジャーの宗教理解の浅薄と非社会性を批判しなかったからである。私は今回サリンジャーを読み返してみて、あの八〇年前半の、『オシャレに深刻な問題を語る』というモードを思い出して、すっかり不愉快になってしまったようだ。(p.84-p.85)」

 確かに最後に発表された『ハプワース16、1924年』がサリンジャーの構想通りに上手く行っているとは思えないし、構想の壮大さにサリンジャーの才能が追い付かずサリンジャーが沈黙したまま亡くなってしまたということはあるものの、『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』(竹内康浩・朴舜起共著 新潮選書)で批評家によって謎が解かれたことにより、小谷野敦のみならず庄司薫や村上春樹の読みが浅いことが証明されたのである。そもそも「誤読」されたことに対して作者が「懺悔」する必要があるだろうか?

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/otocoto/entertainment/otocoto-otocoto_66475


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』

2022-10-02 00:52:41 | Weblog

 1953年に発表された「バナナフィッシュにうってつけの日(A Perfect Day for Bananafish)」のラストで主人公のシーモア・グラースが自殺したことから「グラス家(Grass Family)」の物語は始まり、本著はその謎解きを試みたものであるが、論理の説得力に全く問題はないものの、これは原作で読まなければ分からないのではないかと思った。
 例えば、「バナナフィッシュにうってつけの日」が冒頭を飾る『ナイン・ストーリーズ(Nine Stories)』のラストを飾るのは「テディ(Teddy)」は「グラス家」とは関係ないものの、主人公で10歳のシオドア・”テディ”・マカードルが教育学者のボブ・ニコルソンとのヴェーダンタ哲学の輪廻説などを中心に議論を繰り広げるのだが、ラストは「バナナフィッシュにうってつけの日」ど同様にテディが本人の予言通り空のプールに落ちて亡くなるという結末で終わり、二作品は対になっているのである。
 ところが本書の「テディ」の冒頭は以下のように訳されている。

「お前を最高の日にしてやるぞ、バディー」ー 短編「テディー」は、この文法的に破格な一文で始まる。「最高の日」を意味する”exquistie day”は名詞句だが、ここでは”you”を目的語とする動詞と化している。主人公の少年テディ―に向けて父親が発したこの一風変わったセリフは、私たちの議論に刺激的ではあろう ー 『少年の名はテディーなのに、バディーと呼びかけられている。ここにもバディーがいるようだ』とか、『サリンジャーの定型破壊は、ついに文法にまで及んだか』とか、さまざまな感想が浮かぶかもしれない。
 しかし『テディ―』冒頭の奇妙な一文でなにより目にとまるのは、読み飛ばさないでと言わんばかりに異化された(動詞化された)『最高の日』という言葉であろう。それは、あの”Perfect Day”(うってつけの日)と同じ意味と言ってよい。」(p.107)

 例えば同じ場面を野崎孝は以下のように訳している。

「快適な日もクソもあるか、坊主、たった今その鞄から降りないと、ひどい目に会うぞ。」(新潮文庫 p.250)

 さらに柴田元幸は以下のように訳している。

「なぁにがうららかな日だ、今すぐ鞄から降りないとただじゃ済まんぞ。」(ヴィレッジブックス p.266)

 原文も引用しておく。

「I'll EXQUISITE DAY you, buddy, if you don't get down off that bag this minute. And I mean it," Mr. Moardle said.」(『NINE STORIES』 J.D. Salinger  Little, Brown and Company Edition First LB Book mass market paperback edition: May 1991 p.166)

 誤訳とは言わないがサリンジャーの言葉の使い方の細かさが伝わらないのは明らかで、今まで何を読んでいたのだろうと思わせる謎解きなのである。


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/otocoto/entertainment/otocoto-otocoto_66475


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

J.D. サリンジャ―の「グラス家もの」

2022-10-01 00:57:43 | Weblog

「グラス家(Glass family)」構成メンバー

 父親:レス(Les Glass)
 母親:ベシー(Bessie Glass)
 長男:シーモア(Seymour Glass)
 次男:バディ(Webb Gallagher "Buddy" Glass)
 長女:ベアトリス(ブーブー)(Beatrice "Boo Boo" Glass Tannenbaum)
 双子
  三男:ウォルター(ウォルト)(Walter F. "Walt" Glass)
  四男:ウェイカー(Waker Glass)
 五男:ザッカリー・マーティン(ズーイ)(Zachary Martin "Zooey" Glass)
 二女:フランシス(フラニー)(Frances "Franny" Glass)

「バナナフィッシュにうってつけの日(A Perfect Day for Bananafish)」(1948年初出)

 『ナイン・ストーリーズ(Nine Stories)』(1953年)の冒頭を飾る作品で、いわゆる「グラス家」を扱った最初の作品である。「シーモア -序章- 」においてバディ・グラースは本作をシーモアの死から二ヵ月後に書いたと証言している(p.148)。ラストにおいてシーモア・グラスが突然自殺してしまい、この自殺を巡って「グラス家」の物語が書き継がれていくことになるのである。

「コネティカットのひょこひょこおじさん(Uncle Wiggily in Connecticut)」(1948年初出)

 メアリ・ジェーン(Mary Jane)が大学時代のルームメイトであるエロイーズ・ウェングラ―(Eloise Wengler)を家を訪れる話。エロイーズの元カレがウォルト・グラスだったのだが、ウォルトは従軍の休憩中に日本製のストーブを梱包中に爆発して亡くなったことが語られている。タイトルはウォルトがエロイーズに語った以下の逸話である。

「あたしいつも、売店のすぐ外のバス停であの人のこと待ってたのよ。それであるときあの人が遅れてきて、バスはもういまにも出るところだった。二人で走って追いかけて、あたし転んで足首をひねっちゃったのよ。そしたら『気の毒なひねひね叔父さん(Poor Uncle Wiggily…)』ってあの人は言ったわ。あたしの足首(ankle)ってことよ。気の毒なひねひね叔父さん、そう言うのよ......。ああ、ほんとうにいいひとだった。」(『ナイン・ストーリーズ』「コネチカットのアンクル・ウィギリ―」柴田元幸訳 ヴィレッジブックス p.52)

 「Poor Uncle Wiggily」を「気の毒なひねひね叔父さん」と訳している理由は「poor」は「気の毒な」、「uncle」は「叔父さん」で、「Wiggily」が「ひねひね」になるのだが、「うねうねした、くねくねさせる」という形容詞は「wiggly」で「wiggily」は誤字と見なされる。「アンクル・ウィギリ―」とはアメリカの作家であるハワード・R・ガリス(Howard Roger Garis)が創作した児童文学の高齢のウサギのキャラクターで、だから柴田は「ウィギリ―」と訳しているのであるが、ウィギリ―はリウマチを患っていて松葉づえ頼みという設定で、二人とも知っているからこそ成り立つギャグである。

Amazon|ハワード・R・ガリス(1873年11月6日1962年)は最高の彼の愛する叔父ウィギリーロングアーズ本のために知られている日の最も影響力のある子供の作家の一人でした|アートワーク・ポスター オンライン通販

「小舟のほとりで(Down at the Dinghy)」(1949年初出)

 メインストーリーは25歳のブーブー・タンネンバウム(Boo Boo Tannenbaum)の4歳の息子のライオネル(Lionel)の「家出」を巡るものである。もう二度と家出をしないと母親と約束していたにも関わらずライオネルが家出をした理由は、メイドのサンドラ(Sandra)が近隣住民のスネル夫人(Mrs. Snell)に父親のことを「薄汚いユダ公(big sloppy kike)」と言っていたことを聞いたことであるが、ライオネルは「kiki」のことを「糸がついてて空に上がるもの」つまり「凧(kite)」と勘違いしている。

「テディ(Teddy)」(1953年初出)

 『ナイン・ストーリーズ』の最後の作品で、テディはグラス家と関係のない人物であるが、「バナナフィッシュにうってつけの日」と対照するようにテディはラストに死んでしまい、グラス家の物語を理解する上では必読と言える。

「フラニー(Franny)」(1955年初出)

 20歳で大学生のフラニー・グラスと彼女のボーイフレンドのレーン・クーテルが久しぶりに再会してレストランで食事をしながら交わす会話が描写されている。

「ズーイ(Zooey)」(1957年初出)

 前半が母親のベシー・グラスとシャワーを浴びてるズーイの、後半はフラニーとズーイの会話が描写されている。気になる文章を引用してみる。

「そこにはまたベッシ―・グラスの脚という、目を見張らせる事実があった。それはいかなる基準に照らしても、文句なしに見事なものだった(p.131)」と書かれた後、「ミセス・グラスは彼がその靴を履くのを見ていた。しかし紐を結ぶところまでは見届けず、そこを離れた。ゆっくりと、普段は見かけないある種の重々しさ持って彼女は動いた。というか、ほとんど足を引きずっている(a drag)ようだった。それはズーイの気持ちを乱した(p.171)」とベッシ―の足の変化を描写している。
「荘子は言った、『賢人めいた人が足をひきずってやってきたら(the sa-called sagely men come limping into sight)、気をつけなくてはならない』ってね(p.207)」
「家じゅうに幽霊の匂いがする。死んだ人間の幽霊ならまだしも、まだ半分生きている人間の幽霊にまで取り憑かれるのは、金輪際ごめんだ。なんでバディーはしっかり腹をくくれないんだ。彼は何に依らず、シーモアがやったすべてのことを後追いしている。あるいは後追いしようとしている。なんで自殺してそいつを完璧にしないんだ(p.151-p.152)」

「大工よ、屋根の梁を高く上げよ(Raise High the Roof Beam, Carpenters)」(1955年初出)

 バディ・グラスが1955年現在の時点で、シーモアの1942年の結婚式当日の状況を描いている。途中でバディはシーモアの1941年末から1942年初めにかけて書かれた日記をランダムに引用している。
 因みに作品タイトルはシーモアの日記にブーブーによって書かれた以下の文章から引用されている。

「大工よ、屋根の梁を高く上げよ。アレスさながらに、丈高き男の子にまさりて高き花婿きたる。先のパラダイス放送株式会社専属作家アーヴィング・サッフォより、愛を込めて。汝の麗しきミュリエルと何卒、何卒、何卒おしあわせに。これは命令である。予はこのブロックに住むなんぴとよりも上位にある者なり」(新潮文庫 p.89)

「シーモア -序章- (Seymour: An Introduction Stories)」(1959年初出)

 40歳になったバディ・グラスが冒頭にカフカとキェルケゴールのエピグラフを置きながら、1948年、31歳の時妻とフロリダに旅行滞在中に自殺した、シーモアの天才性を、シーモアが1948年(?)の初めから彼が死ぬ前の3年間に書かれた184編の短詩などを挙げて証明しようと試みる。
 しかしバディの文章はかなり混乱しており、途中で急性肝炎で二カ月半のブランクがあいていたりしている(p.191)。

「甲高く不愉快な声(わが読者の声ではない)。あなたは兄さんがどんな様子だったか話すと言ったじゃありませんか。なにもこんなつまらなぬ分析やべたべたしたことはききたくありませんよ。
 だが、わたしはそうじゃない。こうしたべたべたしたことのひとつひとつが必要なのだ。たしかに分析をここまでやらないでもすむが、こうしたべたべたしたことのひとつひとつが必要なのである。もしもわたしがこの文章について筋を通したいと祈っているとすれば、それを実現してくれるのはこのべたべたしたものなのだ。」(p.221)

 結局、本作においてバディが語っていることは自分が書いた小説に対するシーモアの短評の引用や、シーモアの背丈、微笑み、耳、目、鼻、手、服装やスポーツマンやゲーマーとしての彼の姿が描写されるだけで、肝心の自死の真相には至らないのである。

「ハプワース16、一九二四(Hapworth 16, 1924)」(1965年初出)

 書いているのは46歳のバディ・グラスだが、バディはベシー・グラスが送ってきた、シーモア・グラスがサイモン・ハプワース・キャンプで7歳の時に両親宛てに書いた手紙をタイプするだけで、本作は手紙が終わると同時に終わってしまい、バディは二度と出て来ない。
 内容は、前半が家族の称賛とキャンプ地にいるハッピー夫妻などの大人たちに対する意見で、後半は読みたい書籍や作家の名前の羅列と短評といった感じで、結局、シーモアに自殺に関する話は出て来ない。とても7歳が書いた手紙とは思えず、せめて思春期あたりの心情ではないのかと疑問が湧いてしまう。

 かなり単純に要約してしまうならば「グラス家」の物語はアダムとイブの「リンゴ」か「バナナ」かの究極の選択を追求しているのである。ここでいう「バナナ」とは「熱帯・亜熱帯地方産バショウ科バショウ属の植物の総称」から「松尾芭蕉」を暗示しており、「リンゴ」の「知」に対する「無」を表しているのである。
 個人的には「グラス家」の物語は書かれた年代順で読むならばその出来栄えは「ズーイ」を頂点としており、総括となるはずだった「ハプワース16、一九二四」は失敗と見なさざるを得ない。例えば、「ズーイ」における書籍の引用はズーイが年長の二人の兄が共有していた部屋に入って、そこにあった合板に書かれている書籍の引用で具体的に紹介されたりしているが、「ハプワース」においてはベシー・グラスが書留で送ってきたシーモア・グラスの手紙をバディ・グラスが引用しているのだが(つまりシーモアとバディが「一緒に書いている」ということが重要らしい)、手紙の後半で短評を添えた書籍の紹介がダラダラと続くだけで芸がなく、むしろ「知」に戻ってしまった印象もある。

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/bikenews/entertainment/bikenews-255074


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする