MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『スラムドッグ$ミリオネア』 100点

2009-05-04 18:05:26 | goo映画レビュー

スラムドッグ$ミリオネア

2008年/イギリス

ネタバレ

気がつかれないほどの深い愛情

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 純粋で一途な弟のジャマールの評価が高いことに比べて兄のサリームの評価が何故か低いので、ここでは兄のサリームを擁護しておきたい。
 兄サリームの弟ジャマールに対する強い愛情は一貫して変わっていない。最初に訪れる目が焼かれるという最大の危機からジャマールを救った時から、ずっとサリームの行動はいかにして弟を救うかということで細心の計算が施されている。列車に乗ろうとするラティカの手を離したことも、彼女は殺されないという確信があったからであり、最初のボスを銃殺した後にジャマールを部屋から追い出したのも、一緒にいたら見つかった時にラティカは殺されないがジャマールは殺されるという用心のためである。駅で待っていたジャマールのもとにラティカが逃げてきた時に、サリームが後から追いかけてきてラティカを連れ戻したのも、2人がその時は逃げられたとしてもずっと追われる身になってしまうと判断したからである。ラティカの顔に傷でもつけなければ、ラティカは今度こそ殺されていたかもしれない。
 だからジャマールが残り1問答えることになった時にサリームは絶好の機会と判断して、ラティカを逃がして2人を追わせないようにボスを殺す決心をしたのである。サリームは自分が得ているお金が泡銭であることは最初から分かっていた。サリームはジャマールのために最初から自分の手を汚す決心をしていたのである。ジャマールがお金持ちになることは、兄サマールだけの夢ではなくスラム街に住んでいる人々全員の夢だったのだ。それでも最期くらい自分もお金持ちになったという気分を味わいたいためにサマールはお金に埋もれて死んでいったのであろう。
 いつの日にかジャマールとラティカがもう少し大人になった時にこのような兄の深い愛情に気がついて欲しいと思う。


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『バーン・アフター・リーディング』 100点

2009-05-04 16:31:25 | goo映画レビュー

バーン・アフター・リーディング

2008年/アメリカ

ネタバレ

過剰な物語、空虚な内容

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 この手のジャンル不明の作品をプロモーションすることは大変であることは分かるのだが、ただのコメディではないことは間違いないであろう。
 ここの登場人物たちを他人事のように笑っていられる人たちは幸せである。オズボーンは自分が暴露本を出版したら大変なことになると‘妄想’している。リンダは全身美容整形で美人になってモテると‘妄想’している。出会い系サイトにハマっているハリーは次々と女性を獲得することで自分はEDではない立派な男であると‘妄想’している。CIA局員を夫に持ち自分も女医として理想の人生を歩んでいたケイティは、ハリーと不倫することで自分が‘理想の女性’であり続けているという‘妄想’を止めようとしない。チャドは立派な筋肉を維持することで理想の男性像を‘妄想’し続ける。デフォルメされてはいても誰でも抱く‘妄想’ではないだろうか?
 ただのCD-ROMを、CIA局員のものというだけで、国家を揺さぶるような情報が入っていると‘妄想’してしまうことも、別にリンダやチャドだけではないだろう。別に誰も気にしていないのに、やたらと人の目が気になるハリーを私は笑えない。
 結局私たちはただの‘物語’を読んだ後で(after reading)、妙に深読みしてしまい‘興奮(burn)’してしまうのである。もはや正確な情報と言えるのは‘数字’だけであるが、オズボーンは自分の銀行口座の番号を知らないし、ハリーが探してもチャドは社会保障番号を携帯していないからチャドの正体が分からない。
 言うまでも無くCIAとは中央情報局であるが、ソ連崩壊後のCIAの仕事はこのようなどうでもいい内容の‘妄想’で起こったどうでもいい事件を処理しなければならない‘情報雑用局’と化しているということがこの作品でコーエン兄弟が示したかった皮肉なのであり、しつこいようだが『GOEMON』の無意味な物語とは、同じ無意味でも意味が違うのである。


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安全な番組作り

2009-05-04 00:40:51 | Weblog

【検証】NHKスペシャル 台湾統治めぐり「一面的」(産経新聞) - goo ニュース

 出演した台湾人のほか日台の友好団体、識者などから「一方的だ」という批判に

対する、日向英実放送総局長の「番組にすべての要素を盛り込むことはできない」

という反論は反論になっていない。少なくとも番組に出演した人たちの意向は番組

の一部の要素にはならなければ、出演する意味がなくなってしまう。別に「全ての

要素を盛り込む」必要などないのだ。先日NHKは2001年1月に放送された

「ETV2001・シリーズ戦争をどう裁くか『問われる戦時性暴力』」において放送倫理

番組向上機構(BPO)で「重大な疑念」という意見書が出たばかりだ。そもそも

身の丈に合わないような番組作りに無理があるのではないだろうか?放送総局長

のような弱気な反論をするくらいならば、毒にも薬にもならないような“安全”な

番組作りを心がけるべきであろう。


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