原題:『愛の渇き』
監督:蔵原惟繕
脚本:蔵原惟繕/藤田繁矢(藤田敏八)
撮影:間宮義雄
出演:浅丘ルリ子/山内明/楠侑子/小園蓉子/中村伸郎/志波順香/岩間隆之/石立鉄男
1967年/日本
「美」が崩壊させるモラルについて
三島由紀夫の小説を原作とした本作は主人公の悦子が亡き夫の父親である杉本弥吉を初めとする家族と一緒に暮らしていた。悦子は弥吉と関係を持っていたのだが、同時にまだ若い園丁の三郎も気になる存在だった。
そんな時に女中の美代が三郎の子供を身ごもり、結婚を決意し母親を連れてくるために三郎を故郷に帰らせている間に、悦子は美代に中絶手術させる。ショックを受けた美代が女中を辞めて故郷に帰った後に、三郎が帰ってきたのだが、母親を同伴させてくることもなくいなくなった美代のことを訊ねることもなかった。
三郎の心情が分からない悦子は感情を爆発させるのだが、その際に見せた、焚火で火傷した掌はまるでキリストの聖痕のようである。
そして自分を苦しめる三郎を弥吉が持ってきた斧で殺害した後に、悦子は三郎の死体を土に埋めるのであるが、
このシーンを見て、これは美しい男(テレンス・スタンプ)が家にやって来てから家族全員がタガが外れたようにそれぞれ欲望の赴くままに行動し始めるピエル・パオロ・パゾリーニ監督の『テオレマ』と同じだと感じたのである。ところが本作の公開が1967年2月であるのに対して、『テオレマ』の公開は1968年9月で、ということは偶然テーマが被ったのでないならば本作の方が『テオレマ』の元ネタになったのである。