北陸にある魚深市では国家の極秘更生プロジェクトとして仮出所してきた受刑者を10年間住むことを条件に受け入れており、市役所職員の月末一が6人の男女を迎えに行っていた。しかし例えば、そのうちの一人である栗本清美が海岸の清掃時に見つけた絵画に描かれている木に吊るされている羊の頭数を見ても分かるように、本当に更生している人物は5人だけで、一人でも血に飢えた「狼」のままであるならば残りの羊は「羊」として認められない厳しい環境に置かれている。 作品の前半ではミステリーの様相を呈しながら、後半はSF的要素を醸し出す。特にクライマックスにおける主人公の月末一と宮腰一郎の攻防シーンは昔の東宝作品の特撮調を想起させるものだが、本作は『大魔神』(安田公義監督 1966年)と『獄門島』(市川崑監督 1977年)を組み合わせたような雰囲気を持っていると思う。 ラストで流れるニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズ(Nick Cave & The Bad Seeds)の「Death Is Not The End」を和訳しておきたい。本作に相応しい良い選曲だと思う。
「Death Is Not The End」Nick Cave & The Bad Seeds 日本語訳
『ロープ/戦場の生命線』(フェルナンド・レオン・デ・アラノア監督 2015年)ではルー・リード(Lou Reed)の「There Is No Time」以外にもマリリン・マンソン(Marilyn Manson)の「スイートドリーム(Sweet Dreams (Are Made of This) )」やヴェルヴェット・アンダーグラウンド(The Velvet Underground)の「毛皮のヴィーナス(Venus in Furs)」などが流れていた。好みの曲が使われているとどうしても評価が甘くなってしまうということは否めない。ここでは「フォギー・ノーション」を和訳しておこう。
1995年の停戦直後のバルカン半島にある村の井戸に巨体の男の死体が投げ込まれた原因が生活用水を汚染させることで「水売り人」たちが稼ごうと目論んだのか定かではないのだが、「国境なき水と衛生管理団」として勤務しているマンブルやビーやソフィーはその死体を放っておくわけにはいかなかった。 しかしまさに頼みの「綱」だったロープは遺体を引き上げる途中で切れてしまい、代わりになるロープを探すことになるのだが、これがなかなか見つからず、売店で見つけても何故か売ってもらえないのである。 途中でサッカーボールを巡って苛められていた二コラと呼ばれる男の子を助けたマンブルは実家にロープがあると言うので訪ねたのだが、彼らが見つけたロープの先には二コラの親の首があった。ここで観客はロープが人命救助にも自殺道具にもなりえるという本作のアイロニーを見い出す。 せっかく手に入れたロープで井戸の遺体を引き出そうとした矢先に軍の命令で中止させられたりするのだが、決して治安が良くなったわけではなく他所では相変わらず民間人の捕虜が捕らえられたりしているのである。せっかく手に入れたサッカーボールも二コラは親戚を訪ねる旅費を得るために他の子供に10ドルで売ってしまっていたり、結局、井戸の中の遺体は洪水でいとも簡単に浮かんで来たリして日常で起こる不条理が淡々と描かれている。だから原題の「パーフェクト・デイ」とはもちろん皮肉である。 エンドロールで流れるルー・リード(Lou Reed)の「There Is No Time」を和訳しておく。