MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『よだかの片想い』

2022-10-21 00:53:01 | goo映画レビュー

原題:『よだかの片想い』
監督:安川有果
脚本:城定秀夫
撮影:趙聖來
出演:松井玲奈/中島歩/藤井美菜/織田梨沙/青木柚/手島実優/池田良/中澤梓佐/三宅弘城
2022年/日本

映画のテーマを雲散霧消させてしまうラストシーンについて

 前田アイコが自分の顔の左側にある生まれつきのアザを意識したのはアイコが小学校四年生だった2007年5月7日の授業中で、左前に座っていた男の子がアイコのアザの形を琵琶湖みたいだと言ったことがきっかけだった。アイコは内心自分がみんなの注目を浴びていることが嬉しかったのだが、担任の先生がみんなを叱ったためにアイコは「腫物扱い」されるようになったのである。
 そこから現在は大学院生として来年博士課程に進もうとしているアイコは、アイコの手記を映画化するにあたってたまたま出会った映画監督の飛坂逢太と恋に落ちるのだが、飛坂が愛しているのは映画であってアイコではないことをアイコは知ってしまうのである。
 そんな時に大学の先輩であるミュウ先輩がバーベキューパーティーで顔に火傷を負ってしまうのであるが、様々な化粧品を試してみてアザが目立たなくなるファンデーションを見つけてアイコにプレゼントするのだが、いや、ちょっと待ってくれと言いたくなる。そんなにきれいにアザが隠せるのならば、最初からそうすれば良かったのではないのかとツッコミを入れたくなってしまうのである。
 問題なのはメイクで隠せるアザを持つ女性ではなく、メイクでも隠せないほどの酷いアザを持つ女性を主人公にしなければ映画を制作する意味がないということで、原作は未読なので何とも言えないがハッピーエンドにするために監督が忖度したとしか思えないのである。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/eiga_log/entertainment/eiga_log-147281


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『七人の秘書 THE MOVIE』

2022-10-20 00:52:39 | goo映画レビュー

原題:『七人の秘書 THE MOVIE』
監督:田村直己
脚本:中園ミホ
撮影:五木田智
出演:木村文乃/広瀬アリス/菜々緒/シム・ウンギョン/大島優子/室井滋/江口洋介/玉木宏/濱田岳/吉瀬美智子/笑福亭鶴瓶
2022年/日本

「印象」で判断されがちのキャラクターについて

 どうもすっきりしない終わり方だった。クライマックスにおいて燃え上がる屋敷の中から火傷を負った緒方航一を担いで出てきたのは望月千代なのだが、緒方が火傷を負ったのは千代を燃えながら倒れてきた梁から庇うためだった。しかし千代は、実は緒方は「Blue Gold」と呼ばれる地下水脈をアラブ諸国に高値で売ろうと企んでいたということでフッてしまうのである。
 「雷鳥牧場」を潰して土地開発でリゾート地にするのが「アルプス雷鳥グループ」のCEOの九十九道山の野望ではあるが、道山は指示しただけであって、牧場で働いていた高齢者や子供たちの扱いに関しては護衛たちに任せっぱなしで知らなかったのかもしれない。
 つまり道山も彼の長男である航一も極悪非道として断罪できないような気がするのである。さらに気になるのが緒方航一は信州のラーメン屋「味噌いち」の経営者で、萬敬太郎はラーメン萬の店主で、味噌と醤油の違いだけの「同類」である。もっと言うならば九十九道山の屋敷にはゴッホなどの、道山が粟田口と一緒に入る病室にはモネなどの印象派の絵画が壁に掛かっているのである。観客は「印象」で気軽に善悪を判断してしまっていないだろうか? それとも本作はそれほど深く読むような類いの作品ではなく、単に脚本が緩いだけなのだろうか?
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/lookcolumn/region/lookcolumn-0669fc5e8bac0c42a3eedb04cbc5dea0fac5bab9


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『LOVE LIFE』

2022-10-19 00:45:22 | goo映画レビュー

原題:『LOVE LIFE』
監督:深田晃司
脚本:深田晃司
撮影:山本英夫
出演:木村文乃/永山絢斗/砂田アトム/山崎紘菜/嶋田鉄太/三戸なつめ/神野三鈴/田口トモロヲ
2022年/日本

愛の意味が分からなくなる「ラブ・ライフ」について

 本作は主人公の大沢妙子が2020年11月22日の日曜日に息子の敬太を風呂場で水死で失ったことを機に、血縁関係を除いた場合に愛情はどこへ向かうのかという問題を扱っていると思う。そしてそれは必然的に再婚相手である二郎よりも在留韓国人で聾啞者でホームレスで妙子の元夫であるパク・シンジの方へ向かっていくのが自然ではないかというのである。
 しかしパク・シンジが韓国に戻って前妻との息子の結婚式に出席して楽しんでいるところを目撃した妙子は、自分がパクに対して抱いていた愛情が何だったのか疑問が沸き起こり途方に暮れているのだが、それは観ている観客も同じ思いを抱かざるを得ない。
 ラストは夫の二郎の元に戻ってきた妙子が二人で出かけるシーンで終わるのだが、二郎には山崎理佐という元恋人がおり、そうなると二郎と妙子は何のために夫婦でいるのか確信がないはずで、その心の距離感が二人が公園を横断しながらある程度距離を取って歩くシーンに象徴されているように思うのである。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/otocoto/entertainment/otocoto-otocoto_75516


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『百花』

2022-10-18 00:50:38 | goo映画レビュー

原題:『百花』
監督:川村元気
脚本:川村元気/平瀬謙太朗
撮影:今村圭佑
出演:菅田将暉/原田美枝子/長澤まさみ/岡山天音/河合優美/永瀬正敏
2022年/日本

「不完全さ」の人間味について

 主人公で音楽レーベルの企画担当の葛西泉が現在携わっているプロジェクトがバーチャル・アイドル「KOE」の開発で人口知能による究極のアイドルを売り出そうと目論んでいるのだが、そのプロジェクトは上手くいかなかった。それはもちろんもう一方で泉が対処しなければならない認知症を患っている母親の百合子と対比させるためであり、「学習」したことを失いつつあったとしても母親が母親であることは疑い得ないというメッセージを持たせようとしているのである。
 「完璧」なものに魅力はないというのがプロジェクトから得た教訓だと思う。それは決して認知症を患っているから不完全だということではなく、健常者である泉でも忘れていることはあるということは本作で描かれている通りであり、記憶を補うことでお互いを理解し合うというのが理想のような気はするし、それが「半分の花火」が暗示することではあろうが、どうやら30代らしい泉は実の母親のことを余りにも知らなさ過ぎると思う。
 個人的には百合子が二人の少女に何度も注意する演出など悪くはないとは思うが、策に溺れているような感じである。百合子が買い過ぎた卵を冷蔵庫の中に見つけた泉が全部捨ててしまうのだが、もったいないと思う。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/crankin/entertainment/crankin-11484410


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『犬も食わねどチャーリーは笑う』

2022-10-17 00:57:30 | goo映画レビュー

原題:『犬も食わねどチャーリーは笑う』
監督:市井昌秀
脚本:市井昌秀
撮影:伊集守忠
出演:香取慎吾/岸井ゆきの/井之脇海/的場浩司/眞島秀和/きたろう/浅田美代子/余貴美子
2022年/日本

論点がズレる夫婦喧嘩について

 主人公ので立川のホームセンター島忠で働いている田村裕次郎が客として訪れていた日和と出会ったのが7年前で、それから3年後に結婚し、現在は2021年9月である。
 一見するなら夫婦円満だった2人に齟齬がきたした原因は、日和が「旦那デスノート」というサイトに自分の悪口を書いていることを裕次郎がたまたま知ってしまったためである。裕次郎は職場の後輩である若槻広人に「自分は2年半セックスレス」だと告白しているのだが、その原因は日和が流産したことである。
 ところで日和の書き込みは多くの共感を呼び、書籍としての出版まで話が進んでいたのであるが、土壇場になって日和は出版しないことを決めて、それが原因で編集者と裕次郎が取っ組み合いの喧嘩をしてしまうのであるが、直後に自分が流産したことを裕次郎が母親の田村千鶴に教えていたことに腹を立てて日和は家を出て行ってしまうのである。
 日和が流産した原因は明らかにされないままにしても、書籍を出版しないことに決めたということは一生子供を持たないという日和の覚悟の暗示であるはずなのだが、ストーリーは日和が勤めるコールセンターに裕次郎が乗り込んで直談判するという展開になり、そこで二人はシステム(=結婚制度)が二人を不和にしているという結論に至り、ラストは共同作業で木に引っかかったゴミ袋を取るというオチなのである。しかしこれは論点がズレているとしか言いようがない。結婚制度には夫婦は必ず子供を持たなければならないというルールなど存在しないからで、ただ単に夫婦の話し合いが足りないことをシステムの責任に転嫁しているだけなのである。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/minkei/region/minkei-tachikawa3712


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『サバカン SABAKAN』

2022-10-16 00:59:24 | goo映画レビュー

原題:『サバカン SABAKAN』
監督:金沢知樹
脚本:金沢知樹/萩森淳
撮影:菅祐輔
出演:番家一路/原田琥之佑/尾野真千子/竹原ピストル/村川絵梨/福地桃子/貫地谷しほり/草彅剛/岩松了
2022年/日本

売れない小説家が売れない驚きの原因について

 主人公の久田孝明は作家として生計を立てているものの、自分が書く小説は売れず妻の弥生とは離婚して娘とも離れて暮らしゴーストライターとして糊口をしのいでいるのだが、そんな時に久田は家にあったサバの缶詰を見て1986年当時に長崎で暮らしていた小学5年生の頃、一緒に遊んでいた竹本健次という友人を思い出す。健次の家は父親が早くに亡くなり母親の雅代は仕事で忙しく弟や妹もいたので母親代わりに世話もしており、兄弟に振る舞う健二の得意料理がサバの缶詰を使った握り寿司だったのである。
 しかしその母親も家を出る時の健次の様子のおかしさを気にしたまま帰宅していた途中で交通事故に遭って亡くなるのであるが、このことはもちろん観客以外に誰も知らないが故に悲哀が増す。
 両親を失った竹本の子供たちはそれぞれ親戚に引き取られていくのであるが、最後に久田は地元を後にする健次を見送るためにサバの缶詰を大量に買って駅まで届け、自分たちの友情を確認するのである。
 そのようなことを思い出した久田は小説を書き上げるのだが、不思議なのはこの後の展開で、何と久田はその後もずっと健次と友情を育んでいたのである。それならば何故ゴーストライターへと落ちぶれる前にこの題材で小説を仕上げなかったのかと不思議に思うのである。この結末には逆に驚かされた。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/eiga_log/entertainment/eiga_log-134879


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Le Géant de papier」 Jean-Jacques Lafon 和訳

2022-10-15 12:32:51 | フレンチポップ

Jean-Jacques Lafon "Le géant de papier" | Archive INA

 ジャン=ジャック・ラフォンの唯一のヒット曲である「紙の巨人」を

和訳しておく。個人的にはバーティ・ヒギンズの「カサブランカ」が元ネタ

のような気がする。因みに「カサブランカ」が1982年のリリースで

「紙の巨人」は1985年のリリースである。

「Le Géant de papier」 Jean-Jacques Lafon 日本語訳

「無」のドラゴンに立ち向かうために
悪魔と戦うように僕に求めて欲しい
流動する砂漠の上で
塔や大聖堂で君を築き上げるように僕に求めて欲しい
火口の奥底に深く入り込むために
山脈を打ち裂くように僕に求めて欲しい
僕にとっては全てが実現可能のように思う
とりわけ

僕が彼女を見つめる時
女性の体を前にして鋼の心に欠落を持つ僕のような男は
「紙の巨人(=外見は強そうでも内面は繊細な人)」なんだ
僕が彼女を撫でて
自分のあらゆる優しさを呼び覚ますことを恐れている僕は
「紙の巨人」なんだ

塵と化すように僕に求めて欲しい
神がいなくなったこの惑星
僕にとって彼女は
足で踏みつぶされる蟻の大群のようだ
光を遮って
今夜時間の流れを止めるように僕に求めて欲しい
僕にとっては全てが実現可能のように思う
とりわけ

僕が彼女を見つめる時
女性の体を前にして鋼の心に欠落を持つ僕のような男は
「紙の巨人」なんだ
僕が彼女を撫でて
自分のあらゆる優しさを呼び覚ますことを恐れている僕は
「紙の巨人」なんだ

僕が彼女を見つめる時
女性の体を前にして鋼の心に欠落を持つ僕のような男は
「紙の巨人」なんだ

Bertie Higgins - "Casablanca" Tour Promo (2009) 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『愛する人に伝える言葉』

2022-10-15 00:56:12 | goo映画レビュー

原題:『De son vivant』 英題:『Peaceful』
監督:エマニュエル・ベルコ
脚本:エマニュエル・ベルコ/マルシア・ロマノ
撮影:イブ・カペ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ/ブノワ・マジメル/セシル・ド・フランス/ガブリエル・サラ
2021年/フランス

芝居と現実の落差について

 主人公のバンジャマンは大学で演劇を教えているのだが、冒頭は母親のクリスタルと共に自身の病状をエデ先生に訊いており、ステージ4の末期のすい臓癌で余命三ヵ月の宣告を受ける。ところで39歳にもなるバンジャマンが何故母親に連れられて病院にいるのかというと、彼が20歳の時に交際していた女性がいてバンジャマンは結婚するつもりだったのだが、母親に反対されて生まれてくる息子と共にアメリカに置いてきたままフランスに帰国したのである。そんな息子のレアンドルは18歳になりミュージシャンとして生計を立てており、父親を見舞うためにフランスに来ているのだが、父親の病室にまではなかなか訪れられないでいる。
 バンジャマンの教え方は学生たちが思い切って自分たちの感情を発露することにあり、それは同時にエデ先生が主催する、病院での反省会で看護師たちがそれぞれ受け持つ患者に対する自分の思いを吐露するところとシンクロするのだが、肝心のバンジャマンは病室で自分の気持ちをなかなかストレートに表現しきれないでいる。ここが「当事者」になった者が対峙する困難であり、それを克服するきっかけを与えることがバンジャマンやエデ先生の役割であることを、特にバンジャマンは身に染みたに違いないのだが、個人差はあるものの実際に当事者になってみると思ったほどに感情をむき出しにはできないのである。因みに原題は「彼が存命中に」という意味である。
 エンドロールで流れる曲はソープ・アンド・スキン(Soap & Skin)のヴァージョンによる「夢の旅路(ヴォヤージ・ヴォヤージ)」だが、ここでは耳に馴染んでいるデザイアレスのヴァージョンで和訳してみる。フランス版のアニー・レノックス(Ann Lennox)なのか? それともフランス版「スウィート・ドリームス (アー・メイド・オブ・ディス)Sweet Dreams (Are Made of This)」なのかと問うべきだろうか? 因みに「スウィート・ドリームス」は1983年のリリースで、「夢の旅路」は1986年のリリース。アニー・レノックスは1954年12月25日生まれで、デザイアレスは1952年12月25日生まれである。

「Voyage Voyage」 Desireless 日本語訳

古い火口の内部
風の絨毯の下
翼は滑らかに動く
旅立て、旅立て
永遠に
沼地の暗雲から
赤道の雨にまみれスペインから吹く風から
旅立て、旅立て
空高く飛べ
あらゆる首都を越えて
運命という理念が
大海原を見つめる

旅立て、旅立て
昼も夜も遥か彼方に残して
旅立て
愛が信用されない場所へ
旅立て、旅立て
インドの川の聖なる水の上へ
旅立て
絶対に戻らない覚悟を抱いて

ガンジス川かアマゾン河の上空から
黒人の家やシク教徒の家や黄色人種の家へ
旅立て、旅立て
その王国のあらゆる場所へ
サハラ砂漠の上空から
フィジー諸島から富士山へ
旅立て、旅立て
立ち止まってはいけない
有刺鉄線を越えて
爆撃を被った人々は
大海原を見つめる

旅立て、旅立て
昼も夜も遥か彼方に残して
旅立て
愛が信用されない場所へ
旅立て、旅立て
インドの川の聖なる水の上へ
旅立て
絶対に戻らない覚悟を抱いて

あらゆる首都を越えて
運命という理念が
大海原を見つめる

旅立て、旅立て
昼も夜も遥か彼方に残して
旅立て
愛が信用されない場所へ
旅立て、旅立て
インドの川の聖なる水の上へ
旅立て
絶対に戻らない覚悟を抱いて

Desireless - Voyage Voyage (Official HD Video)

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/eiga_log/entertainment/eiga_log-142462


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『デュアル』

2022-10-14 18:59:59 | goo映画レビュー

原題:『Dual』
監督:ライリー・ステアンズ
脚本:ライリー・ステアンズ
撮影:マイケル・ラーゲン
出演:カレン・ギラン/アーロン・ポール/ビューラ・コアレ/テオ・ジェームズ/マーサ・ケリー
2021年/アメリカ

サラの死因について

 主人公のサラは冴えない日々を過ごしており、ポルノヴィデオを見てマスターベーションをしたりしているものの、恋人がいないわけではなくその最中にピーターがテレビ電話をしてきたりするのだが、会話が盛り上がることもなく、母親はからはしつこいほど電話がかかってくるがうざったいようで避けている感じである。
 ある朝目覚めるてベッドに大量の血を見たサラが診察を受けると普段から浴びるように飲んでいたアルコールのせいで不治の病を患っていることが分かる。そこでサラは自分を失う苦しみから大切な人を救うという目的のためにクローンを作ることにする。クローンを作ることは唾液だけで簡単に作れるようになっており、後はサラがクローンに基本的なことを教えるだけなのである。
 ところがしばらくしてサラの病気が治っているということを医師に告げられる。そうなるとクローンは邪魔な存在になり、法律では1年後に観衆の見守る中で決闘して勝者が「本人」と認定されることになる。
 サラは決闘に勝利するためにトレーニングを積むのであるが、決闘の日が近づいてきた頃になって2人は話し合う機会を持ち、サラはクローンに連れられて決闘から生還した人々の支援グループを訪れて話を聞いてから、新たな人生を送るために2人は一緒に逃げることにする。クローンもピーターや彼女の母親に対してサラと同じような感情を抱いていたりもしたのである。
 ところが逃走中に森の中でクローンが用意していた水をサラが飲むとサラは鼻から血を流し、場面が変わって決闘の現場にクローンだけが現れ、レフリーに近づいてくる。本人の試合放棄として見なされ、母親とピーターも認めたためにクローンが裁判所でも正式に「本人」と認定されるのだが、ラストにおいてクローンは車の中で号泣することになるのである。
 どのレビューを見てもクローンがサラを毒殺したことになっており、それは本作の英語のウィキペディアでもそのように書かれているのであるが、水を飲んでもサラはすぐに苦しんで死ぬことはなかったのだから毒殺ということはあり得ず、個人的にはサラの病気は寛解していただけで、再発したのだと思う。だから最後にクローンは号泣したわけで、そうでなければ話が噛み合わない。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/crankin/entertainment/crankin-11377810


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『千夜、一夜』

2022-10-13 00:57:47 | goo映画レビュー

原題:『千夜、一夜』
監督:久保田直
脚本:青木研次
撮影:山崎裕
出演:田中裕子/尾野真千子/安藤政信/白石加代子/田島令子/平泉成/小倉久寛/ダンカン
2022年/日本

『ゴドーを待ちながら』の秀逸な翻案について

 本作はとても微妙な問題を扱っていると思う。
 2020年9月。主人公の若松登美子は地元新潟県でずっと暮らしている56歳の女性で、夫の諭は30年前、27歳の時に北朝鮮に拉致された特定失踪者として扱われ、登美子はずっと待ち続けているのである。対照的な存在として田村奈美が現れる。奈美は在日三世で帰化しているのだが、彼女の夫である洋司も二年前の3月14日に失踪してしまい、自分の出自を勘案して奈美は洋司も拉致されたのではないかと考え、登美子に助けを求めるのである。
 しかし登美子と違って奈美は他所から新潟に来て看護婦として暮らしており、2018年となると拉致されたということは考えにくく、それで踏ん切りがついて新たな人生を始めることに対して奈美にはそれほどハードルは高くないが、生まれた場所で暮らしながら、ただの失踪者ではなく犯罪に巻き込まれたかもしれない夫を捨てることになる行為をすることは登美子には無理だったのだと思う。さらに幼馴染みの藤倉春男が行方をくらましたことでさえ自身に責任が転嫁されてしまうのだから、踏んだり蹴ったりとはまさにこのことであろう。
 画の構図がとても丁寧に撮られている。特に登美子の帰宅を待っている奈美が吸っているタバコの煙の上り方は撮りたいと思っても撮れるものではないし、10月に登美子の母親が亡くなって葬儀後に母親が大切にしていた父親の義足が柩に入れられないまま無造作に紙袋に入れられていたシーンは笑えた。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/eiga_log/entertainment/eiga_log-136547


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする