蓮池橋南詰より少し離れた場所、住宅街の一画に永徳稲荷神社がある。村上正名氏の著作を読んで稲荷は以前福山城三之丸西御門櫓台跡(※西町2丁目2)に祀られていたことを知った。


JR高架建設により櫓台跡は解体撤去されそうになったが、貴重な城の遺構として復元され現在に至っている。稲荷がどうして西町3丁目に移築されたのかは現地に説明板がないので私にはわからない。参考までに福山市教育委員会による「史跡 福山城三之丸西御門櫓台跡」の解説と周辺絵図を転載させてもらおう。
本遺構は旧福山城の三之丸西御門の枡形の南側に存在した櫓の石塁で、現存するものは櫓の基段の石塁と東側にのびる枡形を構成する城壁の一部である。
元和八年(一六二二)完工当時櫓の建築は未完成で、その後ついに築造されず、稲荷社が奉祠されていた。
西側には外濠が存在し、福山城の縄張りの西側外郭の規模を伝える重要な遺構である。



JR高架建設により櫓台跡は解体撤去されそうになったが、貴重な城の遺構として復元され現在に至っている。稲荷がどうして西町3丁目に移築されたのかは現地に説明板がないので私にはわからない。参考までに福山市教育委員会による「史跡 福山城三之丸西御門櫓台跡」の解説と周辺絵図を転載させてもらおう。
本遺構は旧福山城の三之丸西御門の枡形の南側に存在した櫓の石塁で、現存するものは櫓の基段の石塁と東側にのびる枡形を構成する城壁の一部である。
元和八年(一六二二)完工当時櫓の建築は未完成で、その後ついに築造されず、稲荷社が奉祠されていた。
西側には外濠が存在し、福山城の縄張りの西側外郭の規模を伝える重要な遺構である。

