水野家時代福山城下明細地図より現在の福山市西町1丁目(及び同2丁目の一部)周辺を拡大してみた。この地図は平井隆夫さんが福山誠之館高校に1週間ほど通い詰めて書き写したものである。元々は水野勝成公の治政についてまとめた本(初版)に付録としてついていた。某古本屋の主が「価値があるのは本ではなくて地図の方だ」とク●ミソに語っていたのが面白かった。店主のストレートな物言いはいかにも福山人らしいが、まともな意見だ。著者は今に続く「悪平等システム」を作り上げた戦犯の1人で、先の高校とも多少の関係がある。香ばしい数々のネタは「福山維新の会代表」にお任せして本題に入る。
冒頭の地図の右端上が福山城三之丸西御門櫓台跡、左端下が(松平)三河守の屋敷跡、そして左端の上の方の青く塗られた大小の池が能満淵跡となる(位置は能満寺の少々北側で西町1丁目15及び16辺りが該当)。福山志料には能満淵に関する簡単な記述がある。
蕩一 能滿淵ト云凡水潦ヲタクハヘ葦荻ヲ生スル等ノ地城隍ノ跡堤防ノ决所ノ埋ツクササル窪下ノ所ミナ蕩トシテ池沼塘陂ニワカツ
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地図の色分けは2枚目の写真を参考にしてもらうことにして現地調査の結果に移ろう。3枚目の写真はJR新幹線高架下から西町1丁目16の駐車場(西町の西端)付近を撮影したもの。細い道がかつての土塁の跡(地図では薄緑色で示された芝地=堤)でマンションの建つ辺りに水路が巡らされていたと考えられ、そこから西側が治安維持を任された役人村であった。
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土塁跡を南下すると右手に酒屋(店先には自販機)があり、その先で道は五叉路になる。ほぼ中央に見える白い建物が旧西公民館だ(今年春真新しい公民館に移転済)。
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能満寺の西側では共栄ホームの住宅の建築が進んでいる。明日と明後日は完成見学会(西町1丁目20‐28のSさん宅)が行われ、近接する住宅(同1丁目10‐23と思われる)で震度7の大地震にも耐える構造(テクノストラクチャー工法採用)も見ることが出来る。
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見学会の帰りに裏鬼門の能満寺(同1丁目20‐3)に立ち寄り、住職に「江戸期寺の脇に置かれていた牢」の位置を尋ねてみるのはオツだ。有意義な休日の過ごし方の私からの提案である。
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冒頭の地図の右端上が福山城三之丸西御門櫓台跡、左端下が(松平)三河守の屋敷跡、そして左端の上の方の青く塗られた大小の池が能満淵跡となる(位置は能満寺の少々北側で西町1丁目15及び16辺りが該当)。福山志料には能満淵に関する簡単な記述がある。
蕩一 能滿淵ト云凡水潦ヲタクハヘ葦荻ヲ生スル等ノ地城隍ノ跡堤防ノ决所ノ埋ツクササル窪下ノ所ミナ蕩トシテ池沼塘陂ニワカツ
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土塁跡を南下すると右手に酒屋(店先には自販機)があり、その先で道は五叉路になる。ほぼ中央に見える白い建物が旧西公民館だ(今年春真新しい公民館に移転済)。
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能満寺の西側では共栄ホームの住宅の建築が進んでいる。明日と明後日は完成見学会(西町1丁目20‐28のSさん宅)が行われ、近接する住宅(同1丁目10‐23と思われる)で震度7の大地震にも耐える構造(テクノストラクチャー工法採用)も見ることが出来る。
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見学会の帰りに裏鬼門の能満寺(同1丁目20‐3)に立ち寄り、住職に「江戸期寺の脇に置かれていた牢」の位置を尋ねてみるのはオツだ。有意義な休日の過ごし方の私からの提案である。
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