寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

豆ご飯と手羽元の煮込み

2016年05月11日 | 家飯
初夏の炊き込みといえば豆ご飯を思い浮かべる人は多かろう。作り方は非常に簡単だ。昆布出汁でごはんを炊き固ゆでにしたグリンピースを加えて10分ほど蒸らすだけ。色鮮やかに仕上がり豆臭が発生しないのがいい。今回は利尻昆布の色が出過ぎた(旨味も強かった)のが反省点かな。おかずは手羽元の煮込みと氷水に放してシャキシャキになったレタス。これにワカメの味噌汁をつけたので腹一杯になった。インターバルを置いてまた作るぞ。

手羽元の煮付け

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島県福山市多治米町6丁目15・旧福山市営競馬場第14駐車場跡地の活用

2016年05月11日 | 日記
3月末で安建工業による旧福山市営競馬場第14駐車場解体工事は終わった。競馬場跡地まで行ったついでに隣の第14駐車場だった場所も確認することにした。

電柱の表示

競馬場と駐車場を隔てる道路の電柱を何気なく見上げると「井上」の表示がある。これは井上新涯というかつての地名が残った例だと思われる。『新編 福山いしぶみ散歩 / 佐野恒男(1996年)』の106頁に井上新涯に関する記述があるので紹介しておこう。

 その井上新涯とは、現在の千代田町一丁目、二丁目から、新涯町玉屋あたりまでであった。実業家、衆議院議員井上角五郎によって、芦田川嘉宗五本松のしもから新涯玉屋に至る、約2kmに、新しく干拓を進めていた。既に広い中洲状の所で、畠もあった。小さい排水門もあった。
 古くから「玉屋の渡し」があって、渡し船が対岸の水呑へ通じていたが、干潮時には井上新涯を経て、深さ20cm~30cmの芦田川をはだしになって渡ることもできた。
 干拓にかかっていた井上新涯は、芦田川の洪水で壊滅し、しばらく放置されたままになった。芦田川の大改修によって下流に、大正時代の井上新涯を含む広い廃川地に埋立地ができた。戦後、そこへ競馬場ができ、それに続く土地は住宅地として、千代田町が生まれた。元の地籍は水呑村であった。

臨時駐車場

旧第14駐車場に話を戻そう。2階部分がごっそり無くなったが、今後は「住宅宣言ふくやま臨時駐車場」として利用されるようである。

臨時駐車場2

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする