3月末で安建工業による
旧福山市営競馬場第14駐車場解体工事は終わった。競馬場跡地まで行ったついでに隣の第14駐車場だった場所も確認することにした。

競馬場と駐車場を隔てる道路の電柱を何気なく見上げると「井上」の表示がある。これは井上新涯というかつての地名が残った例だと思われる。『新編 福山いしぶみ散歩 / 佐野恒男(1996年)』の106頁に井上新涯に関する記述があるので紹介しておこう。
その井上新涯とは、現在の千代田町一丁目、二丁目から、新涯町玉屋あたりまでであった。実業家、衆議院議員井上角五郎によって、芦田川嘉宗五本松のしもから新涯玉屋に至る、約2kmに、新しく干拓を進めていた。既に広い中洲状の所で、畠もあった。小さい排水門もあった。
古くから「玉屋の渡し」があって、渡し船が対岸の水呑へ通じていたが、干潮時には井上新涯を経て、深さ20cm~30cmの芦田川をはだしになって渡ることもできた。
干拓にかかっていた井上新涯は、芦田川の洪水で壊滅し、しばらく放置されたままになった。芦田川の大改修によって下流に、大正時代の井上新涯を含む広い廃川地に埋立地ができた。戦後、そこへ競馬場ができ、それに続く土地は住宅地として、千代田町が生まれた。元の地籍は水呑村であった。

旧第14駐車場に話を戻そう。2階部分がごっそり無くなったが、今後は「住宅宣言ふくやま臨時駐車場」として利用されるようである。
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