ペペロンチーノ街道を三ヶ月余り旅してきて感心するのは、ニンニクの多面性。
シッカリと焼いたり炒めたりすれば香ばしく、ホッコリと仕上げれば甘みが残る。
生で齧ればこの上ない刺激があり、摩りおろせば万能調味料に。
味、食感共に正に七変化。
先日ペペロンチーノ街道の脇道に入った事によってヒントを得た俺は、遂にローストガーリック作戦に着手した。
だがコレが単純に入れれば良いというものでも無い様で、現在研究中。
研究の成果の発表は、暫しお待ちくだされ。
※下の写真は研究中の物で、敢えて作り方を大幅に変更してみた
さて、そのニンニクだが・・・。
我々人類にとって最大の問題は、食った後のそのニオイであろう。
ニンニクによって得られるパワーは、ニンニクに含まれるとある成分(アリシン、厳密には調理過程で発生する化合物とのこと)によるものだという。
そしてその成分からニオイが発せられているのだそうだ。調理時にニオイを消す工夫をしてしまうと、ニンニク本来のパワーは得られなくなってしまうと聞いた事がある。
ニンニクの風味が食欲をそそる事は間違いない。
ああそれなのに、神は何と残酷なのか。
ニンニクは食した人に暫くの間、強烈なニオイを残してしまう。
神は、接客業の人や営業マンはニンニクを口にするなと言っているのか。
加齢臭漂う我々中年男性に、更なる試練を与えようというのか。
悩める子羊たちよ、括目せよ。
この問題を90%以上吹っ飛ばす事が出来る方法がある。
それは「お茶」、である。
ウーロン茶とか紅茶とかではない。
緑茶を飲むのである。そう、日本茶なのである。
我々日本人は幼少の砌より、この不思議な液体を飲まされてきた。
コーヒーとか紅茶など、多くの飲み物は砂糖やそれに類するもの、或いはミルク等を混ぜる事がある。
だが緑茶に限ってはそれは有り得ない。
日本人の誇りである緑茶は、我々が物心付かぬ内から口にし、甘さによって誤魔化される事無く日本人の味覚を育てるのに重要な任務を負った、天文学的な飲み物であるのだ。
緑茶は、俺が幼い頃は常に食卓にあった。
茶筒と、急須と、保温ポット。
身近過ぎたが故に幼い俺は緑茶にありがたみを感じる事は無かったが、どうした事か何時の頃からか、かの緑茶セットは日本の食卓から忽然と消えてしまった。
昼下がりのちゃぶ台に常に置かれていたあの急須は、一体何処へ行ってしまったのか。
大和魂を具現化したかのようなあの奇跡のドリンクは、最早時代の荒波に飲まれ、歴史と共にメリケンの文化の下に埋没してしまったのか。
いや、我々のジャパネスク・マインドそのものである緑茶は、生きている。
緑茶はそのフェニックスのような生き様を見せ付けつつ、茶筒と急須とポットの組み合わせからペットボトルと自動販売機、またはペットボトルとコンビニの組み合わせへと姿を変えたのだ。
逆に言えば日の出る国、日本の長い歴史と共に歩んできた緑茶は、平成世代の合理化によって儚くも姿を変えてしまったのである。
だが、緑茶本来の力は損なわれてはいない。
ニンニクが多量に入ったペペロンチーノを食った後、速やかに・・・そう、出来れば10分以内に。
遅くとも1時間以内に、緑茶を飲んでみるといい。
最低でもコップ一杯。
できればペットボトル500ml1本ほど。
不思議な事にあの強烈なニオイは消えてしまう。
あなたはきっと、日本人の誇りと緑茶の香りを見つめ直す事になるであろう。
・・・そして俺は、あのニオイと同時にニンニクの効能も消え去らない事を、切に願っているのであった。
お試しあれ。