トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

後片付け

2012-10-23 | 今日は真面目に

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 片付け途中だった幹をY夫妻が片付けて通れるようにしてくれた。ご夫婦とも後期高齢者の年齢なのである。

 ありがたいし、元気なのには驚くばかりだが、若者でも容易な作業ではない重量物なのである。孟宗竹の稈を梃子棒にして移動させたと言うけれど、「言うは易し、行うは難し」の作業である。

 草刈り、田植え、畦塗りなど、一連の農作業を行っている動きは無駄が無く、丁寧で早い。社会人として郷里を出るまで家業を手伝った程度と謙遜するけれど、小生も同様だが、とてもその域には達していない。身についた技能は色あせないものである。


良く遊び、良く遊べ

2012-10-23 | 遊び子は

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 今日も丸太の滑り台?で遊んでいる様子が見えた。結構人気が有るようで丸太冥利に尽きるだろう。丸太すべりに時間を取られ、他の里山での遊びが乏しくなってしまわないか気にならない訳でも無いが、小生の関知する部分でもないのである。

 それはともかく、幼児と声を上げて遊んでいる姿を見ると、若い頃の自分を思い出して羨ましくもなるが、そのような役割は終了し、今はフイールドづくりが役割なのだ。遊び相手をする人材は事欠かないが、フイールドを整備する人材など居ないに等しい。

 県や市の活動の中で「自然観察指導員」の講座や派遣事業等の講釈や講釈師はあっても、フイールドを整備充実するための実務者はいない。少ない自然環境が荒れたままでは「観察指導」はもとより「良く遊び、良く遊べ」だって成立しないのである。「遊びは学び」になるけれど「学びは遊び」になるとは言えない。

 幼児がこのような場所で活動しているのを見るのは、小生の気分に「大いに適う」事象なのであるし、その結果は丸太の両脇の「禿げ」に現れているが、これは許容できる地表の「荒れ」なのだ。頭部の「禿げ」は保全上、許容できないのだが、この地荒れは「アレレ!」と言うしかないのが現実である。