今日も丸太の滑り台?で遊んでいる様子が見えた。結構人気が有るようで丸太冥利に尽きるだろう。丸太すべりに時間を取られ、他の里山での遊びが乏しくなってしまわないか気にならない訳でも無いが、小生の関知する部分でもないのである。
それはともかく、幼児と声を上げて遊んでいる姿を見ると、若い頃の自分を思い出して羨ましくもなるが、そのような役割は終了し、今はフイールドづくりが役割なのだ。遊び相手をする人材は事欠かないが、フイールドを整備する人材など居ないに等しい。
県や市の活動の中で「自然観察指導員」の講座や派遣事業等の講釈や講釈師はあっても、フイールドを整備充実するための実務者はいない。少ない自然環境が荒れたままでは「観察指導」はもとより「良く遊び、良く遊べ」だって成立しないのである。「遊びは学び」になるけれど「学びは遊び」になるとは言えない。
幼児がこのような場所で活動しているのを見るのは、小生の気分に「大いに適う」事象なのであるし、その結果は丸太の両脇の「禿げ」に現れているが、これは許容できる地表の「荒れ」なのだ。頭部の「禿げ」は保全上、許容できないのだが、この地荒れは「アレレ!」と言うしかないのが現実である。