トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

辟易・ボロボロ、美泥でよろめき・・・

2020-09-08 | 感じるままの回り道
 連日の熱帯夜で真夏日、作業開始時間には30℃に達しているのが当たり前のこの残暑なのだ。炎天下作業でも刈り払いの方が体力的には楽ではあるけれど、優先順位と言うと「水域の除草」がトップである。「刈り取る」だけならまだしも「刈り取らないで根茎さら抜き取り陸に運ぶ」作業は思いのほか重労働で、濡れて泥付きの根茎と植物体は抱える事が出来ないだけに、その上、泥土に足を捕られて動き難いし、ややもすればバランスを失して「沈!」なんて事もありうる環境なのだ。そうなれば読んで字のごとく、見てご覧のごとく、まさしく「チン没!」間違いない。
 まあ、細かい泥土でパック出来たと思えば活性化するかもしれん。そうなればまさしく「沈々Go」である。


 泥水池の中でも№3は面積最大で手間がかかる池でもある。現在の水深はオーバーフローすることなく浅い水溜り状態なのだが、水深より泥層の深さが勝っていて、水域の終段の池である事もあり泥層の粒子は細かい。それゆえに足を踏み入れれば抜くのは難しく、厚手靴下を重ね履きして長靴が脱げにくい様にしても抜くには気が抜けない。だから途中で嫌になって一挙に片付ける池にはならなくて、今回も3日目か4日目の作業で大方が片付いたのだった。年々、作業終了までに時間がかかっているのが自覚できる。

 この№3が満水位にならず下段の№4ヒシ池が満水でオーバーフローしているのは途中で漏水しているからで、見当は「何時もの場所」に違いない。水路の除草を行いつつ探し当てなければならず、まだ水域の半分しか除草していない。まあ、女装する方が易しく楽であろうて。
 写真左下の幼樹は標本樹として植え付けたマルバチシャなのだが小さくても樹齢は10年はあるだろう。既に結実した兄弟樹があるのにこの大きさなのはいじけてしまったからに他ならない。池が凍結すると法面から氷面に降りるための手掛かりにされ凍結期が来るたびに抜かれていたためである。小生もすっかり気を害してご一行様とは断絶し水域入域お断りだ。

 保全を害する傍若無人の振る舞いをすれば「しっぺ返し」が来ることなど思いもしない「環境教育」とはなんだろうね。まあ、これも巷にあふれる「エセ」の類なのだろう。永田にも溢れかえっているけれどこれは「卵が先かニワトリが先か?」の大命題でもある。民主主義と言っても劣化もするし衆愚政治に至るか強権政治に至るか知らぬが「愚の骨頂」には違いない。
 水域の経過を観察していても、泥土が溜まり環境を損なう植物が侵出し勢力拡大、やがては泥池から乾燥地化しながら藪となっていくのは人間社会とそうは変わらん・・・。

 先進国から「マスクは自由だ!」「差別も自由だ!」「銃所持自由!」なんてデモがニュースでもたらされているが、ホント明解先進国民醜自由主義である。資本主義も共産主義も歴史的実態が明快な今日、「新しい生活」を「宇宙船地球号」として解く哲学は出てこないもんかね。こういう時代だからこそバイブルが必要だ。
 ベースになりうる近似の書籍、大作が二種ほど出版されている記憶があるのだが「近いところから忘れる」小生になった。銭を惜しまず購入しておけばよかった。たとえ「積ん読」だったとしてもだ。