
朝から霧雨模様で午後には止むかと思いつつ鉢替えを予定していた文旦とキンカンの残った葉に幼虫が何匹も居たのだ。キアゲハの姿はリビングから見ていたし三つ葉もフェンネルも食い尽くされてしまったから残りは柑橘しかない。しかも背丈10cmにも満たない小苗だし、この葉の量で終齢まで育つわけでも無い。
幼虫は生かしたいし幼樹も育てたいが両者共存共生は相反する実相なのだ。町内の一画にミカン樹があるが食痕などは無く農薬散布の結果であろうと知りつつも、こんな幼樹を食い尽くされるのも不本意極まりない。ネットで覆って被害防止を図れば育つのは判っていても、一方の育つ場所を失わせる結果になる。「為すべきか為さざるべきか、それが悶題だ!」。下の写真に幼虫、何匹何匹わかるかな!。
かくして我が頭頂部は殺生を避けた仏心ゆえ後光が射し光輝いておる。まあ、小生に関しては「四十にして惑わず」は適用外である。子守歌にある「おどまふんぎりふんぎり ふんぎりつかず こまるぅ」てなもんや三度笠。


