午前は姥捨て山セルフデイサービスに通い、午後は縁台工作が続くが梅雨の晴れ間だけの話なので先行き不透明なのだ。「はらぺこあおむし」もようやくそれらしい体裁が整ってきたものの最大の難関が待っている。それは身体の上下運動であって、機構は既定の物でしかないけれどイメージも大切である。
食べ物を用意するにあたり「手あたり次第」とはいかずとりあえず3種用意してみた。リンゴや葉っぱは定番で人参は子どもたちの嫌いな食品の代表、てなもんや三度笠。
既にここの準備でも間違いを犯した。青虫と食物の磁石の向きを同じにしたため反発して吸着し難い。事前に向きは確認したのだったが「近いところから忘れる」特性は健在だった。仕方なく取り外して向きを反対にしようとして気が付く「何も磁石でなくとも片方はワッシャーで良いワッシャー」。接着剤だけでは心もとないから平頭ネジでも固定すれば万全になるが、既に掘り込み部の深さが深いから手直しが発生した。削るか埋めるか二つのひとつ。
「さーて、どうなるか・・・」「こうなるのか・・・」はこまーしゃるの台詞。あれって男子には使いない代物なのだろうか。男の子だってシミは出る。たんと出ている。皮膚科の先生にキッパリ言われた「歳のせい高齢化!」だって…。ハアー何とも拙者も古材の範疇なのだった。
「はらぺこあおむし」の材も古材も古材、シミも割れも入った杉材だ。スギ材はもともと割れやすいから使いたくなかったもののヒノキの新材を購入するほどの事でも無し。結局はピースに切断した時と動きの調整が済み塗装するだけになった時の2回、ボンド溶液を塗布吸収させて割れの防止を図ったのだ。これで質感も大きく変わり破損の心配は減った。しかしながら高齢成長下にある小生のシミや皺に塗るものは無い。「塗るで」と聞こえるヌルデの汁など塗ったら、これまたえらいこっちゃ!。
ヌルデではないが少年の頃、ウルシに何回もかぶれた。手から顔面、手からあそこ、と伝わり酷い手太楽だった。風呂焚きの番をしながら焙ると少しは痒みが消えたのだったが、医者に行っても亜鉛華軟膏の塗布だけだし、顔や手、あそこには塗れない。結局は自然治癒を待つだけのお手上げ状態で、まあ、皮膚の炎症は殆どが亜鉛華軟膏だったような記憶だ。