トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

アオゲラかぁ⁉

2021-06-17 | 小父のお隣さん
 トンボ池の除草中、上空から聞きなれない品性を疑わせるような鳴き声がしてきた。声の主はナラ枯れ病ですっかり枯れ朽ち始めたコナラの天辺に居たのだ。
 止まり方と頭部の日の丸でキツツキと判ったけれど大きさからしてコゲラではない。ゴム引き手袋が脱げなくヤキモキしながら脱いだのだが、その間は毛繕いなどをしながらリラックスした様子だったから撮影できたのだ。

 自宅のPCでモニターしてみると羽色はメジロの色に似ている。図鑑対照してみるとアオゲラの様である。この大きさのケラはもう少し近くで出会ったことがあるのだが日陰の林内で体色までは判明しなかったので黒色に近いのかと思っていたキツツキである。それはともかく写真で判明した体色で、なぜアオゲラと言われたのか理解したのだ。大きな写真で頬のあたりが赤いのが判るからアオゲラで間違いなさそうだ。

 頭頂赤  

今日のエッ!品「完熟梅ジャムと酒粕入りのジャム」

2021-06-17 | 何よりの楽しみ
 農家の梅採りに誘われ予定していたものの前日の予報で降雨となったからメールで断りを入れフイールドの落下梅を1㎏ほど拾い集めてジャム作りをしたのだ。
 完熟梅のジャムは「絶対美味しいはず!」の確信があって、どうしても作り賞味したかった一品なのだったが店頭では青梅ばかり、フイールドの梅の木も青梅の内に誰彼となく採果していくので落下完熟果は幾つも無かったのだった。それでも今回は良果は少なくてもジャムの出来るだけの量は手に入った。

 鍋で煮込み金笊で裏漉しし果肉と種を分離し砂糖を加えて煮詰めて出来上がりだ。ジャムと言っても酸味が強く、ルバーブのジャムに似た美味しい酸っぱさのジャムになったもののさらに美味しく栄養価を高くするにはどうするか考えたら「酒粕」が候補に来た。完熟梅ジャムの三分の一を酒粕とのミックスジャムに加工してみたところ意外な美味しさを味わうことが出来た。
 酒粕の買い置きは無いし休日のスーパーには出かけたくないから40日ほど熟成させていた粕床をくすねて加えたのだ。酒粕を入れひと煮立ちさせ酵母の働きを殺す。保存中にアルコール発酵などしたら別物になってしまいかねないからで、元より振る舞う食品でも無い我が口にしか入れない一品なので中毒を起こさない限りは「何でも有り」なのである。

 酒粕、正しくは熟成粕床と完熟梅のジャムは酒粕特有の風味が出て好き嫌いは分かれるだろうが、それを別にすれば空けた鍋の中をスプーンで掬い取りつつ舐めてしまったように美味しくも新鮮な味わいがあった。「変わりジャム」のレシピに入るだろうけれど「ヨーグルトときな粉のジャム」あるいは「ケチャップときな粉のジャム」とは異なる「ジャム」と言うより「ペースト」に近い範疇なのかどうか小生にはその区分は分からないものの「指を入れて舐めたい」衝動の出る味わいだった。
 普段の食事は生まれも育ちも反映され年金暮らしの日々という事もあり一汁一菜の簡素な食事であっても時折はこのような「贅沢」をし「グルメ」を堪能したい欲はあるのだった。そう、まだまだ達観できずして枯れない業は健在なのだった。高齢年金生活者なのに餓鬼道を驀進中とは情けない。

 完熟梅ジャム  ➡   完熟梅と酒粕のジャム  ➡   瓶詰し完成

ノアザミの群落を創出するのだ!2

2021-06-17 | 今日は真面目に
 耕転幅3列分の種蒔き場を用意してみたものの、ロープを張り巡らすとやはり鬱陶しくなるし、かといって何も区切りが無いと踏み荒らされる。そこで点った蛍光灯が「不要で持ち込まれた床材の利用」だったのだ。ベニア板でも数年は維持できるだろうからと縦半分に切断し、これを古材の垂木で接続し長めの脚で土中に固定すればよい。てな訳

 耕転幅が狭いので枠の中を満たせない。豆トラを拠点から下ろすのも面倒で唐鍬で起こし砕いて始末した。脚の入る竪穴は穴掘りスコップがあったから楽だった。枠内の表土を砕き均して既に採種してあったノアザミの種子をバラ蒔きして準備OKだ。なんで急いだかと言うと夜半からの大雨情報が出ており「降雨の前に播種」したかったためである。播種してヤレヤレとばかり眺めていたら種子が移動しているではないか。
「何事⁉」とばかり良ーく見たら蟻が運んでいる。それで思い立ったのは「今まで直播、バラ蒔きしていたのに思うほど株が増えない」と言う原因である。
 その原因は「蟻がとうに消費したのだ」きっとそうだと信じて疑わず、「有難う」どころか、これに対応するため薄く種子に土を掛けたかったのだが篩を用意しておかなかった。仕方が無いので土塊を指で潰しながら振りかけてさらにその上から刈り払われて枯れたままの植物体を手もみしつつ振りかけておいた。これは雨に打たれるのを軽減するためである。
 話はワープするが「とうに」の漢字はどうかと問うてみたら「疾うに」であった。これは想像も出来なかった用語だ。

 とにかく一画、いいえ二画分を用意できた。これで少なくともこの中の植生は保たれるが本来ならば一帯を刈り払いせずに野草の繁るままに選択的刈り取り抜根で管理しておきたいのだが、しかしながら「野草=雑草=刈り取るもの」の摺り込みを上書きするのは殆ど無理である。理解してはいる代表でさえ草ぼうぼうの泥水地を指摘しながら「あんなに伸ばして何と思われるやら…」と心配する。
 小生は「公園や農地ではないし生物保全の環境創出だから」と煙にまくしかない。実際問題として植生だけでも維持したい種や排除したい種、あるいは増殖させたいのかどうか等々あるし、ましてや生態系や食物連鎖、はてまた四季折々の動植物の状況を考慮しつつ選択的刈り払いや抜去刈り取りを行うのは総合的俯瞰的知識や理解が必要で、自ら進取の姿勢で学ばないと無理である。小生なんてみずから学習しようとしても現場で教えを受けても「からっきし」なのである。それでも手を染めるのは姥捨て山では「毎日が日曜日」で、それも祝祭日は無い日曜日だけの日々。

        枠の配置を見る  ➡   枠を設置、砕土し均し播種で終了