トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

フジバカマ花壇を柵で囲った

2021-06-12 | 今日は真面目に
 刈り払いされても踏み込まれても「困るなぁ、ロープでも張るか…」と思案していた頃、代表が「柵を使いませんか?」と話を持ってきた。始まりはご婦人会友の畑に設置するという詰めだったのだが肝心の畑が進まず「棚ぼた」だったのであった。いいえ、「柵ぼた」であった。
 偶然なのだが花壇の外周がほぼ柵の長さに等しかったし、まだ育っていない苗が勢力を増す頃までは囲いたいので「渡りに船」と頂戴する。もとより資金は某地銀の地域貢献事業の一環で、その恩恵を受けたというのが正しいだろう。

 さて、届いた柵を並べてみたらきっちり立て並べるには4枚ほど不足だったのだが、外周を短くするも良し、柵の間隔を広げるも良しの設えでもあり、結局は柵の間隔を20cmほど空けて立てたのだった。花壇と申しても天下御免の草っ原なので野草の侵出は防げず、特にネザサの侵入と戦う事になるのだが周囲は刈り払い機でモザイク状に刈りながら環境維持が出来るとしても囲いの中は手取りになる。まあ、小生の苦手な草取り必須の場所を自ら設えてしまった憂き目は続くのであって、世の中そうそう甘くは無かった。

 設置した柵が朽ちる頃には植え込んだポット苗も周囲との切磋琢磨で消える株あり調和する株ありとなるだろうから、その時は野草状態の本来の姿、オミナエシやフジバカマの揺れる「草っ原」が現れるだろうと期待している。
 しかしながら地野草に混植すればしたで、群落を創出すればしたで、どっちにしても周囲には「雑草が伸びてきた」程度にしか認識されない野草なので、生態系を考慮しながらの環境創出はいつでも前途多難、一発消去のリスクは変わらない。個人的には柵やロープなどは使用せず「混成」の草っ原が望みなのだが、そうすればするほどに一掃されるリスクを呼んでしまうのが悩み。
 かの環境否教育団体の活動を思い返しても自分たちの「活動そのもの」にしか意義がなさそうで、植生や環境構造などへの配慮も敬意も感じられないどころか「傷めるな」と注意すれば関係ないところで「小うるさい輩」と誹謗中傷を拡散しているのが実態では一般、他も推して知るべしである。

        

今日のトンボ「オニヤンマ初見」

2021-06-12 | 小父のお隣さん
 駐車場の空間をヤンマ型のトンボが飛翔しているのはS先生と立ち話しながらも見ていたのだが大方、クロスジギンヤンマ当たりだろうと思っていたのをS先生が「オニヤンマが飛んでいる」と指差しする。見ればかのトンボなのだった。小生、飛翔中のトンボを区別できるのはシオカラやショウジョウ、ハグロトンボの類で他は撮影しないとはっきりしないし撮影したから断じる訳にもいかないのが実態なのだ。

 この立ち話中に指摘されたトンボは今期に限ってもコオニヤンマとサラサヤンマがいる。S先生がいなければ「クロギンかぁ…⁉」と見逃していたのは確実である。まあ、情けない限りはそれとして今期の初見だったのだが、オニヤンマの撮影もぶら下がってくれない限りは無理で、結局は初撮影ならず・・・。