今回、泥浚いまで行う予定では無かったのだが4日目の翌日に50mmほどの降雨があって導水路の具合を確認するために行くことにしたのだが、そうなればついででオオカナダモの抜去と泥浚いを行い堤の盛り上げを行うのが無駄がないと判断したのだ。
上の池に投入され繁茂させられたオオカナダモは発見次第に抜き取る事のイタチごっこするしか手段は無くなって水が澄んでいたら行う心算が降雨の結果ではなくコガモが夜間飛来して塒と採餌を行って飛び去り始めたのでこの日も濁りが増してオオカナダモは見えず抜去作業は断念したのだ。
上の池には下部水域のようなシャジクモの繁茂は少ないのだがオオカナダモを食べてくれるならそれはそれで大歓迎だ。さて、次の作業は泥浚いでしかない。長柄のジョレンで新たに二段丸太設えにした堤は導水路の流れをようやく保っているだけの高さしかない。今回設えた二段丸太設えの護岸いっぱいに泥を上げれば流路からの越流は防げる。これでようやく誘導堤の役割が機能するのだ。
後は黙々とジョレンを投じ粛々と泥を浚い引き上げ積むのを繰り返すだけである。この日はたまたまここを勢力下におくグループの活動日で代表から「よくやりますね!」と声かけられたから「ほかにやる人など居らんもんで…」と返したら「確かに頼まれても嫌がりますもんね…」と言われてしまった。どうせ変人奇人老人孤老の口だわい。
溜息粛々、爺泥を浚う事しばし・・・ようやく再構成した範囲に泥の堤を築く事が出来た。春までは歩く事も出来ない堤ではあるけれど流路の増水には負けないはずだ。ここまで行って越し方を眺めれば池の北側一辺は護岸が無い。集積場所を眺めれば古材だけれど使える適材が必要量残っている。そうなるとため息をつきつつ更に一週間ほど作業を続ける気になってきた。こういう事は意思が全てで身体は後回し。カチカチ山では火打石がカチカチと鳴ったが姥捨て山では腰・肩・膝がパンパンとなる。そして背中に火が付いた狸の悲鳴が童話では聞くのだけれど姥捨て山では背中に貼った湿布が効く、少しだけ・・・。
流路と堤を眺めれば判るように「何でこんな余分な設えを・・・」が大方の反応なのだが浚った泥を場外搬出し易くするにはどうしても林道近くで泥浚いをする必要がある。まあ、こんな手太楽は孫子の代に借金を背負わせ仕事をしていると思っている輩や「ボタ餅ボタ餅!」と喜ぶ手合いには判らない事だろうけれど俯瞰すれば小生の呻吟作業も「飢えたタコの食事」に等しく「みんな一緒クタ」なのだろう。あーあ、くたびれた。