今日も丸太の滑り台?で遊んでいる様子が見えた。結構人気が有るようで丸太冥利に尽きるだろう。丸太すべりに時間を取られ、他の里山での遊びが乏しくなってしまわないか気にならない訳でも無いが、小生の関知する部分でもないのである。
それはともかく、幼児と声を上げて遊んでいる姿を見ると、若い頃の自分を思い出して羨ましくもなるが、そのような役割は終了し、今はフイールドづくりが役割なのだ。遊び相手をする人材は事欠かないが、フイールドを整備する人材など居ないに等しい。
県や市の活動の中で「自然観察指導員」の講座や派遣事業等の講釈や講釈師はあっても、フイールドを整備充実するための実務者はいない。少ない自然環境が荒れたままでは「観察指導」はもとより「良く遊び、良く遊べ」だって成立しないのである。「遊びは学び」になるけれど「学びは遊び」になるとは言えない。
幼児がこのような場所で活動しているのを見るのは、小生の気分に「大いに適う」事象なのであるし、その結果は丸太の両脇の「禿げ」に現れているが、これは許容できる地表の「荒れ」なのだ。頭部の「禿げ」は保全上、許容できないのだが、この地荒れは「アレレ!」と言うしかないのが現実である。
水見回りに行ったら、林道にヤナギの樹が倒れていた。年々、傾斜を増していた樹 なので、おっつけ倒れるだろうと読んでいたのだが、予想より早かった。小生に管理責任も除去義務も無いのだけれど、誰かが実行しなければならないから、予定を変更して除去作業となった。
胸高直径35cm程度、切断後に年輪を数えたら50年生であった。年輪の割には太りが無かったのは、ここは年中日陰の場所で、その上、絞り水で湿潤な斜面のためだろう。倒れた根塊を見れば太根など無く、握りこぶしの様な地下部分だ。これでは立ち木として維持できるはずも無い。
この樹の除伐は想定していて、切断後は「ヒラタケ」のホダ木に利用したいと考えていたのだけれど、湿潤な場所の立ち木だった事で、樹皮は苔で覆われている。これに菌を打っても無駄なような気がするし、取りあえずは刻んで林道の通行を確保した。
道具小屋の防火水槽に「水決め」用の水を汲みに寄ったらアサギマダラが吸蜜していた。郊外の御宅にアサギマダラの群れ飛ぶ庭を作った御仁がいるが、そこは一面のフジバカマの群生である。
小生も模倣して、ようやく見つけた1株を購入して庭に降ろしたのが一昨年。昨年はアサギマダラが吸蜜にきて「グーッ!」だったのに、この夏には蕾をつけたまま枯れてしまった。最初の兆候は隣のオミナエシの枯れ死だったのだが、気がつくのが遅く「ゲーッ!」となってしまった。
原因は「根腐れ」で、白いカビ状になっていたから、おおかた土壌の病害なのだろうが、植替えしなかったのも誘因になったのだろうと推測している。そんなわけで庭のオミナエシとフジバカマを失ってしまった。今、オイランソウに症状が出てきた。殺菌剤を土注したが効果が出るかどうか心もとない。
でも、拠点とトンボ池の小島にあるフジバカマは元気だ。野草は「やはり野に置け!」なのだろうなあと思うこの頃だけれど、今日の写真も1枚撮影するにも「根気・我慢・辛抱」と言い聞かせないと撮影できなかった。いつも思うのだが、野生と付き合うのに即席はない。
売り抜けて後は知らない外来種
可愛いと買ってみたけどそっと捨て
逃げて良し敵無き世界一人勝ち
言われても生き抜くための野生なり
先見の明ある業者に追いつけぬ
郷里の次兄からアケビが送られてきた。春にはアケビの新芽、コゴミやフキノトウなどの山菜が届く。郷里を離れて半世紀になる小生でも、これらは郷里での少年期に時空を引き戻す季節の便りになっている。
単に「懐かしい」という郷愁の感覚だけでなく、幼い頃から食べなれた旬そのものの食材である。当地は降雪などないし、周囲は常緑樹か針葉樹の森が多いので、里山里地からの恵みは限定的だ。降雪地帯でない事は雪の苦労が無い事だけれど、また「春の喜び」も無いのである。雪の無い地域に住んで「雪の恵み」の大きさを実感している。
小生、ある時期は山に分け入って、キノコや山葡萄、サルナシなど秋の恵みを堪能したのだけれど、不意の呼び出しに備えなければならなくなってからは出かける事もなくなった。現在は里山の手入れで手一杯で、山の恵みを求めてでかける事も無い。だから、いっそう心ときめく季節の便りなのだ。
終日、小雨模様の予報でフイールドはお休みとしたが、一日中、家の中で過ごすのも気が滅入るから、園芸店に出かけた。何が欲しかったかと言うと「フジバカマ」なのである。庭の株は花期を前に腐って消失した。
見当をつけて向った隣市の有名店で見つけたポット苗が左側の緑のポット苗、400円だったが期待した品種と微妙に異なる。断言すれば「野草のヒヨドリバナの挿し穂養成苗」だった。確かに葉の形状に変異はあるし、赤花とラベルのある個体の蕾は紅を点していたが、開花すれば白色そのものの「ヒヨドリバナ」だった。ヒヨドリバナならフイールドに山ほどある。刈り払いのたびに「刈り残し」てきたから。
帰路、いつも立ち寄る「ついでの店」も寄ってみた。陳列台を丹念に回り、帰ろうと入り口に目を落としたら4ポットあるではないか。最初の苗より格段に上物で525円だった。この店で以前に訊ねた時、「売れない物なので置いてありません。商売にならない」と言われ、「そりゃー、そうだ!」と変に納得していたのを思い出す。
期せずして残りを買い占めた格好になったけれど、生産者・販売者が違うとは言え、ここまで品質の差があるのにはビックリした。125円の差なら、誰でも右側を選ぶだろうが、生産者の利益を考えると400円の商品の方が有りそうだ。右側の商品は生産者としての良心やプライドを感じる。
結果的に欲しい物は入手できたが、生産者・販売者の人間性を垣間見た思いの雨の日であった。
リンゴ園のご主人に喰い荒らしに来る獣を訊ねたら「ハクビシン・アライグマ・アナグマ」だと言う話だった。7月8月でアライグマ3、ハクビシン4、アナグマ2頭駆除したと言うが、猟友会に頼んでいると言う。理由を聞いたら「有害鳥獣駆除」と「狩猟禁止区域」の規制らしかった。銃砲ではなく籠罠で、生産緑地内の被害防止も自衛出来ないなんて馬鹿げているとしか思えなかった。農産物の大部分は「一年一作」なのだ。
それはともかく、話の中で「オオスズメバチの門番がいた」との話が出て、朝に通った踏み跡のところだったので不審に思いながらも案内してもらったら、確かに穴がある。許しを貰い巣を掘り出すことにした。オオスズメバチは一匹飛翔してきたが、それだけだった。巣には殺虫剤を噴霧しておいたと言う。
掘ってみたら、直径20cm、巣層は8段のクロスズメバチの巣だった。それも昨年の巣で蜂はいなかった。門番に見間違えられたオオスズメバチは越冬用の場所でも探していた女王様だったのだろう。早くも狩りの行動とは異なるオオスズメバチが見られる季節になったが、11月いっぱいは要注意である。
腰引けて丸太すべりし幼子は立ちて細める秋の陽眩し
友滑る滑りたくあり怖くあり母の裾引く元気つけてと
姉滑る姿追いつつ立ち見れば丸太の斜面は断崖のよう
母と立ち丸太触れど立ちすくむ滑る友追う先行く友を
途中から折れた双幹の一本をようやく切り刻んだ。ここまでに4日を要している。
今日は散乱した切断材の集積をして終了としたかったのだが途中でギブアップした。大量に散乱・重ねあっている材をまとめるのは思いのほか大変だったのだ。
兄から調達した鳶口があったから太枝の移動には重宝したけれど、なにせ量が半端ではない。連日の作業の疲労もあったのだろう。「もういい!」と言う気分になってしまった。
作業としても、色々と思案しながら取り組む内容でなく、黙々と分別処理していくだけだから、そんなところも一因だったに違いない。もう一日必要になったが、この辺で休日を入れないと身体が悲鳴を上げてきた。先月末から「立ち枯れ木の処理」「小諸へ草刈り」「大径木の処理」と続いた。「毎日が日曜日」の小生では好天続きも厄介の種になる。
荒海や尖閣囲む面の皮 芭蕉
寂しさに尾花吹くなり秋の風 一茶
秋風の吹き渡りけり党の顔 鬼貫
島買えば魂胆寒き秋の風 芭蕉
船団の島へ出づるや後の月 千代女
赤々と旗はつれなし秋の風 芭蕉