トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

雨降りともなれば…

2018-06-20 | 小人閑居して憮然
 夜明け前からの雨降り、電話があった時点で60mmの雨量になっていた。退屈しながら「そろそろお茶にするか…」と思い始めた頃に「道路わきが崩れました」と環境NPOから電話が入った。
 聞けば竹二本とともに滑り落ち道路を塞いだのだと言う。今までにも何回か同様な事態が在り処理してきた小生には驚く事でもないけれど、驚いたのは「竹は処理しました。崩れた表示はしておきます」のくだりである。

 NPOにとって煙ったいお爺なのだろうと思いつつも管理者でもないし、わざわざ電話も必要ないと思いつつ、退屈しのぎに出かけてみた。

 倒れた竹は梅畑の1本の枝を傷つけてはいたが、道路まで土砂が押していない。現状でも車の通行には差し支えないので途中の根茎は後日の処理で構わない状態だ。処理したところで後始末だから、何かが一段ステップアップと言う訳にはならないけれど、まあ、暇つぶしにはなる…。


こけら版 「あっちのトンボ」 3 (ヨツボシ種)

2018-06-20 | 小父のお隣さん
 青色イトトンボについで多かった種が今回のハラビロ風のタイプだった。湖沼や湿原池塘部にも飛翔があったが泥炭の中にある水溜りは酸性度が高くはないかい?と気になってしまう環境だ。本邦にもオゼイトトンボやエゾイトトンボなど湿地で繁殖する種がいると図鑑に記述があるけれど、泥炭層内の黒い水色ほどではないだろう。

 最初に見た時、腹部が扁平に見えたから「ハラビロ系」と思っていたものの、帰国後に写真をS先生に見てもらったところ「ヨツボシ系」だった。言われる前から翅の黒点に気付いていたけれど、それを「星」と呼ぶことに想いは至らなかった。弁解してもしなくても小生、ヨツボシトンボは見た事が無く、翅の点でそう呼ばれている事も知らなかった。

 このトンボ、泥水池のシオカラトンボより群れていたが性別がとんと分からずじまいだ。湖面上を飛翔していたカップルは見たものの視認撮影出来る距離でもなく尾部付属器に注目しても同じに見えて頓挫した。

 それはともかく「腹部、腰のあたりが透けて内部が見える」事も初めて知った。まあ、この歳で言うのも何だが実物教育は大事である。幼少期から画像板中心の「バーチャル大事」は不本意だ。プンプン。
 そう言えば、あの「プンプン」はどうなったか?。「プンプン」だけでは星は付かないだろうし女王蜂にもなれんわい…。

            

                 

                四つ星と言えども付与は感じ様

トンボ池2 オーバーフローの移設

2018-06-20 | 水辺環境の保全
 トンボ池2のオーバーフローからの流水は食草園の端を通り沢筋に戻している。しかし最終段階の水路だから乾燥するとまでは言わないが、常に水がある部分でもない。あれこれ思案してきたがオーバーフローを直接沢筋に繋げ、今までの水路は埋め立て食草園として作り直す事にした。「水辺」と位置づけていても水が切れるようでは水生生物には住みにくい。そのうえ猪様の掘り掘り場では泣くになけないからである。

 資材は今現在、使用している物を転用した。木製の樋に塩ビ管、長さが不足なので半割の塩ビ管を樋代わりに繋げ沢筋に落水させた。
 昼になってしまったから作業は「仮」みたいなもので、とりあえず排水されていればよろしい。翌日は雨天、排水の様子と水位が気になるから確認に行った。満水位状態ながら排水は滞りない。堤の高さは泥浚いした泥土を盛り上げれば、とりあえずは大丈夫と見た。

 前日、強制通水した吐水量をも確認に行ったが、おおむね最大量は吐水している様子だ。バケツを忘れたから水量確認が出来なかった。
 
                   掘削  ➡   満水位でのオーバーフロー
 

今日のとんぼ「同種だと思ってみても…」

2018-06-19 | 小父のお隣さん
 取水地で断水復旧のための強制送水を行っている時に見かけた。体長はほぼ同じで尾の先端部が白灰色で美しいのだが翅の色が異なる。
 同じ場所で同じ時間、翅の色が異なるだけだから同種と言うのは乱雑すぎるが、そもそも同定できないのが根底にある以上、独りよがりはOK牧場なのだ。

 個体差はあるし同種でも翅色の異なるタイプも存在するまでは理解しているので「同種だろう…」の推測もするけれど、まあ、「馬鹿な考え休むに似たり」なのである。
 一方でバカボンパパは言っている「それで良いのだ」。阿呆で良いと…。

                    

6月定例会

2018-06-19 | 月例会
2018・06・16(土)9:30~13:00

会員 6名
活動 
   1・拠点周辺の刈り払い
 栗畑     通路
 
   2・断水復旧
 二つ池から水無し   急遽、強制送水 ➡  とりあえず吐水した


   3・ポポー3本植え付け
 仮植え込み状態  ➡   植え穴掘り  ➡   定植


 定例会は拠点一帯の刈り払い作業の予定だった。少し早めに現地に到着すると会友のYさんが「水が出ていない。池が干上がっている」との報告。確認に行くと水が無い。今はオタマジャクシの生活期だしヤゴも全滅しかねない。断水理由は不明だったが共同作業を断り直ちに復旧作業に向かった。

 断水理由は「取水升の土砂堆積」で吸水口まで堆積していた。ほぼ3週間の間、放置されていたから無理もない。土砂を浚いエンジンポンプで強制通水30分で撤収する。
 吐水口からはジョボジョボ出ている。一晩経過すれば通常量に戻るだろう。

 拠点、畑に埋め定植時期を待っていたポポー3本を拠点内に定植した。適地はあったのだが管理や盗難を考慮すると近くになってしまう。まあ、盗人は何時でも来れるから気休めと言えば気休めであるか…。

こけら版 「あっちのトンボ」 2 (青いイトトンボ)

2018-06-18 | 小父のお隣さん
 「イトトンボ哀しからずや空の青水の青に染まり飛翔す」これでは盗作改作であるが短歌風の心証はこれに近く、俳句では「この夏や湖水に浮かむ波の上」と芭蕉の句がそれを吟じたのではないかと思った青いトンボ達の湖面低空飛行だった。

 この青いイトトンボ、最初に見たトンボで、その数や密度が半端でなかった。水辺周辺では1㎡あたり数匹いると感じたし、踏み分けを進むたびに舞い上がる姿は飛天そのものに思えた。強いて言わずとも「天上の楽園」に身を置いた気分になるのであった。
 彷徨にくたびれれば靴を脱ぎ岩場で休む。トンボを見、借りた時代小説を読みつつ、時折はマインドフルネス紛いの瞑想をする。天国に到着したイスラム教徒の気分さえ彷彿とさせる時間だった。

 草地や林内での飛翔はユルユルだったが撮影しようとすると反応は早く、湖面をすれすれを三々五々飛翔しているのは高速飛行で、あっけにとられたが、敵船体に肉薄せんとする特攻機も連想し思いは複雑でもあった。
 総数が多いのだろう、慣れてくると住宅地でも希に見かけ、我がフイールドでは見れない青いイトトンボは毎日楽しませてもらった。発生部では歩いていても岩場で腰かけていても常に周りに存在するのだ。

 「青い地球は誰の物…」なんて歌い出しの歌があったかのように記憶するが「青いトンボは俺の物」独占状態だった。トンボを見に来ているのは小生1人、他に人っ子1人いないのである。現地の人達はトンボなど興味が無いようで、観光客扱いの小生など変わり者の最右翼なのであろう。
 まあ、遠路はるばるやってきて二週間、居留先周辺だけうろつき帰国する観光客など小生くらいか。自覚はありますとも…。ハイ、これぞ粋の極み、お馬鹿の骨頂!。

             体色の個体差はメスに感じた

           同色交尾          

                 わらわらと羽化トンボたつ湖畔かな

今日のとんぼ「ミヤマカワトンボ」

2018-06-17 | 小父のお隣さん
 ミヤマカワトンボとニホンカワトンボの区別もつかない小生である。撮影していた時はオオカワトンボと思っていた。
 図鑑対照でミヤマカワトンボだろうくらいの認知だがメタリックカラーを楽しめたので名前はどうでも良い。漱石作品にだって「名前はまだない」のが存在する。知らなくてもよい事だって多いのだ。

 吐乱譜など言ったところでしょうもないものの言いたくなるのが小生の症があるところ。さて、このトンボ、二枚貝のご馳走にと隣沢まで珪藻を採りに行き沢に降りたところで遭遇した。突っ立ったままの小生の周りを飛翔しながら降りるのを繰り返す。
 道具をそーっと下ろしケータイを取り出し撮ったのだが、撮影するより姿や飛翔を眺めているほうが楽しいのは言うまでもない事である。

 好む生息環境へは出向く事が少ないからシーズン中でもそうそう見る事の無いトンボである。
                    

銀座通りは手入れ済み…

2018-06-17 | 今日は真面目に
 帰宅翌日、家周りの作業と洗濯を済ませてからフイールドに行った。既に昼近くで「昼食でも…」とコンビニで用意し入ったフイールドに会友は誰もいなくて肩透かしを食らった気分。

 何時もの3人くらいは居るかと思いつつ、いなければいないで「何故だ!」と悪い想像もしなければならぬ「鼻水も出花」のお年頃ばかりなのである。
 しょうがないから水見回りと刈り払い区域の巡回をしてきた。銀座通りは綺麗に刈り払いが終わっていたものの、それ以外は草茫々で「いらっしゃいませご主人様」と出迎えている。ササユリの開花株が二つあった。人工授粉をし花弁を外した。これで見落としされれば種子が出来る。

 翌日から刈り払いをしようか写真の整理をしようか迷いつつも「刈り払いが先、帰宅して整理」の当たり前で決着。この「写真の整理」が惨事になろうとは、この時は予想だにしなかった。
 おーまいがっと、ではない「大毎難途」になってしまう…。人差し指同士ををホジホジさせてもどうにもならんかった。

こけら版 「あっちのトンボ」1 プロローグ

2018-06-16 | 旅行記
 西方苔土は湖沼の地でもある。環境こそ異なるが「トンボは居るだろう」と読んでいたのだが最初は肩透かしを食った。「蝶もいないしトンボも見れない」、そうなると小生には身の置き所が無くなってしまう。まして夜など無きに等しい明るい短夜の地だ。

 「あっちのトンボ」と言っても彼岸では無い。海は渡ったけれど三途の川は渡っていないからである。「あっち」とは「60°20’N」辺りでけっして「アッチイ!」風土では無いのだが異常気象で暑かった。到着翌日は30℃超えで、連日言わば夏日の有様。
 冬物仕立てで行ったから半袖は無く、購入しようとも車が無くては買い物すら出来ない。自販機ひとつない有様だから、お出かけはペットボトルに水を入れポケットに忍ばせての徘徊だった。結局Tシャツは借りて済ませた。

 この快晴は四週間ほど続いたので苔類には大打撃だったろう。至る所枯れ色になり哀れだった。しかし庭の苔に水を与えると見る間に緑が現れる。よく耐えているのだ。
 聞けば火災防止のため「バーベキュ禁止令」が出たとかで「庭の散水も許可制」なのだとか。そんなことは露知らず散水する人が多く「水源が危うい」話もあったようだった。

 トンボの生息環境のひとつ、湖水では水涸れの心配は無かったものの、水中生活に最適な浅瀬の水草や水苔の部分は干上がってしまっている部分もあって、連日通っていると日干しになっていくのが目に見えた。
 特に湿地地帯、池塘とでもいうべき環境は干上がるまで見ていたし、そうなるとトンボの飛翔は全く無くなって、恐らく卵もヤゴも死滅しただろう。

 撮影出来たトンボ、確実は4種か。惜しむらくは撮影できなかったヤンマ系とサナエ系の二種である。ともに腹部の環状青色が美しく、撮影したかったのだが飛翔中だけでは捉えきれなかった。
 マルタンヤンマやマダラヤンマの青色を多くしたような体色で高速飛翔中でも美しさは分かりすぎる程分かった。これだけが心残りである。

 現地、ネットで日本語対照出来る事を確認したから「日本で」と思ったけれど、今のところ対照画像がヒットしない。そうでなくとも正しい名前など分かるはずもなく写真だけを連ねるしかないようである。

 その写真だが作業をしやすくするため借りたカメラからPCに全て移動させたら画質が暗くなってしまった。「えーっ、デジタルなのに!」と憮然としたが後の祭り。ケータイからの移動は遜色ないのだから原因不明である。
 よって「乞う、ご期待」と言えず、見難い写真が多くなったのはご承知おきくだされ・・・。

湖畔環境A   環境B、左側は干上がってしまった    環境C、

               この夏や湖水にうかむ波の上  芭蕉

作業記憶の問題…

2018-06-16 | 小人閑居して憮然
 旅行前になるが「夏草や兵どもの夢の跡」風、にはしないぞと老骨に鞭打ち、当座は「巡回路だけでも…」と水見回りするコースの刈り払いを行う。生物保全を考えると全面刈り払いはタブーだし、葦やカサスゲの席巻を許すわけにもいかず、この狭間ですったもんだするのが水辺の刈り払いだ。

 この日も泥水池のコースを刈り払いつつロープを回した場所まで進んだ。「ロープを切断しないように気をつけて…」と思いながらロープ下のカサスゲを刈り払い返す刈り刃でロープを切断してしまった。もう「アッチャー!」と言うしかなかった。「ブッチャー」も知っているがここでは使わない。博識とはそういうもんである。

 切断したままだと恒例のグループに踏み荒らされ蹂躙される。やむなく道具小屋まで戻りロープを持って継ぎ張った。たかだかロープの継ぎ張りと言えども、この手のロープはすぐ解ける。切断面はライターで溶かし固め、結び目も緩みやすいので工夫が必要だ。

 こんな事ですったもんだで貴重な作業時間を消費してしまった。他人から見れば「カサスゲの中でうずくまり何をやっているんだ?」となる絶対不審行動中の小生であるが、要は作業記憶の問題なのだ。脳味噌のモニョモニョが虎ロープ状になったのか短期記憶がうまくない。

 まあ、とにかく虎ロープ状というより、いわゆるマダラなのであろう。マダラと言えば「シロマダラ」に今期も出会えるだろうかと思いつつ、妄想はマダラにはならないのが不思議であるけれど脈絡が無いのが良いのか…。とにかく不要不急の内容はしっかりしているのである。
          切断した  ➡   補修終わり

観光にはなじめん!

2018-06-15 | 小人閑居して憮然
 「遠路、せっかく来たのだから…」と名所見物も提案されたけれど「遠路、せっかく来たのだから…」のベクトルは正反対だった。小生はガイドブックやPR広報などで周知されていない領域を訪ねたい。二週間、来る日も来る日も歩いて森と水辺周辺をうろついた。そう、遠路、せっかく来たのだから…。

 帰国前日、それでもお土産の一つでもと昔の首都まで連れて行ってもらった。バスもあるけれど知らない国で迷ったら徹頭徹尾、認知症徘徊高齢者である。
 現地通常の天候ではなく快晴で、何かの祝日なのか港で砲声までしている。巨大観光船も入港していて街はごった返していた。そこで見聞した観光の仕方、小生はやっぱりお仲間になれないのだと認識した。まだまだ脳軟化症でも認知症でも無かったと少しばかり安心したのは旅の成果の一つだろう。そう、脳硬派症そのものは顕在だったのである。

 「何を見に来たんだ…」世界遺産の建物、大方は撮影し土産物店や飲食に向かって終わる。建物が耐えてきた風雪と年月を感じ取った人たちはどれだけいるのだろうか。それこそが世界遺産になった理由でもあるのに。
 床だって水平ではないし、建物正面さえ傾きが容易に判る。ショーウィンドウだって歪んだ四辺形も多い。たまたまガラスを嵌め込もうとしている店舗があったのだが、職人の作業風景だって千歳一隅、一期一会の見どころだった。「現場で現物合わせ」なんて、そう遭遇する事では無い。

 路地裏で見える構造や材などは風化や虫食いが多い。船材などの再利用と思われる部材もあった。「これを見なくっちゃ!」であろう。てなければガイドブックで間に合う。
 まあ、自分の懐で行くのだし楽しみ方など個人の自由であるけれど「写真とそっくりー!」なんて喜んでいるのは「遠路、はるばる」が哀しい。

              観光者飾りの一部と喝破せり  トロル

今日のとんぼ「イヤーンもう、辛抱 トンボ…ゥ」

2018-06-15 | 小父のお隣さん
 三日月池の周りが鬱蒼とし周囲を廻るのに危なくなってきた。安全確保も必要だからと足元を確認しながら巡っていると薄色のトンボが次々と舞い上がる。

 余りにも薄い色だから日陰の部分では見失いそうになるが撮影だけは出来た。ケータイもそうなのだが接写をしたくても背景が遠いと背景に焦点がいって肝心の対象が撮り難い。マニュアルで行えば大丈夫と理解していてもたまさかの現場では対象を見失ってしまう公算が強い。結局、合焦を確かめ確かめ撮り続けるのだから費やす時間は同じ。
 まあ、見失わないだけの「下手な考え、休むに似たり」ともいえる方便でしかない。

 このトンボ、オツネントンボかモノサシトンボかと期待したけれどどっちでもなさそうな未熟体の雰囲気。では正体はと言うと、三日月池の鬱蒼とした暗さに紛れ判明しなかった。
 分かりもしないトンボ族を撮り続けシリーズ化しているのは「水辺環境完成度の指標となる」と信じて疑わないからである。昔の歌謡曲にもあった様な「ただそれだけ…」だ。

トンボ池脇の刈り払い

2018-06-15 | 今日は真面目に
 トンボ池東側の広場を刈り払った。クワノキ2本だけの棚田跡なのだが、草刈りが遅れた事で樹下は踏み荒らされて刈り払い難かった。
 それでも刈り刃を新品に交換してからの作業となったのでストレスは減少する。ここの草本の大部分はチカラシバが占めるようになって、既に膝丈まで伸長していた。地際すれすれに株元をえぐるように刈り込むけれど衰退は難しい丈夫な植物だ。これを逆手にとり堤の補強に使えないかと思っているのだが、その前にやらねばならぬ作業が入り込むので実現していない。

                ➡    

スキンシップは当たり前!

2018-06-14 | 旅行記
 まあ、生粋の縄文系本邦人としては馴染みのない文化習俗に「挨拶の仕方」がある。教えられたわけでもないが「身体接触は避ける」のが基本で、これで「#ME TOO」の一部と言えど関わらずに済むのは民族の知恵である。

 吐乱譜は横に置き、西洋に身を置いたなら避けられないのが異なる習俗習慣と相対せねばならない事で、これが唯一の杞憂だった。握手程度なら造作もないものの「ハグ」ともなればチグハグ感は否めない。たとえて見れば自分の恥部を晒すような感覚もあるし、はぐらかしたい思いもある。
 とは言え避けて通れない事もあるのだ。それを実体験した。

 事前に「スキンシップ忌避剤」を携行しようかと思案したものの「まっ、いいか…」とパスしたのが間違いの発端で「郷に入れば郷に従え」で、無くても大丈夫だろう、と短絡したのがそもそもの誤りの始まり、「業に従った」のが根本誤道だ。

 「マダニは多い」事は承知で、庭先でも咬まれる事は到着すぐに見た事だ。住宅地に鹿が出没するから影響しているのだろうとの話だったが、それは本邦でもマダニや山蛭の身近さで理解できる話である。
 二日目か三日目だったか、帰宅して撮影した画像の選択削除をしていた折、腹部のゴム紐あたりがムズムズする。そーっと内臓脂肪で膨れた腹部を露出したら三匹の侍、いいえ、三匹のマダニを発見した。一匹は既に食らいついていて、他の二匹は動いている状態だった。動いている二匹を皮膚の上で潰そうと思ったが潰れない。
 草むらには入らないようにしても草本には触れるし木々枝葉の下も通る。異教徒からの洗礼みたいな、小生には先例となった事象である。

 郷里にいた時代、ノミは普通に見る事が出来たので、爪と爪で潰さねば潰れないほど頑丈な外殻だった事も承知だったから、テーブルの上に置き爪の背で潰した。
 食らいついた一体は爪を立ててホジホジしたら外れたので同様に潰した。ダニの食み痕も残っており、これは我が身、我が腹の上で初見となった。

 まあ、「スキンシップは当たり前!」と認識していても、これだけは避けたい。とは言え妙齢のご婦人のハグもそれだけは避けたし受けたい男心と秋の空。
 洋画で普通に見聞きしている事で偏見は無いけれど田舎者には適応除外の範疇ではある。ただ、この生物はそれを分かってくれないのが腹立たしい…。
       テーブル上で動く        腹部の咬み痕

          分け入らずとも分け入らずともダニは付き  惨当家

まずはネザサ刈りから…

2018-06-14 | 今日は真面目に
 この記事は既に一か月も前の記事で、既に「また刈り払いしてください」の風景である。連休前、在来種タンポポが種子を飛ばしたら1回目の刈り払いを予定していてアクシデントで頓挫。ようやく刈り払いに着手した。タンポポ原っぱは既に膝丈まで草本の成長があるが、後回しにし自然実生樹で育成している区域のネザサ刈りから開始した。

 ネザサの刈り払いは冬季にも実施しているのだが、既にシュートも株立ちも含め抑制刈り払いをする時期なのだ。根絶は出来ないから「親の仇」と念じ地表面に刈り刃を滑らせ刈り払っていく。
 それでも選択的刈り払いの姿勢は維持する必要があって、ヒヨドリソウやササユリは残す。ヒヨドリソウはアサギマダラの吸蜜用の心算なのだが、吸蜜の現場は見た事が無い。まあ、「気は心」てなもんや三度笠なのだ。

 ササユリは10本ほど確認できたが開花すると目立つ。開花すると間を置かずして盗掘されるの繰り返しだ。人工授粉し花弁を見せないようにしてきたが個体数の減少は止まず、ヤマユリはここ数年確認できていない。繁殖株だけでも確保したいのだが盗掘者に勝つことは無いのが実態である。

 林床のネザサ刈り前       原っぱ部のネザサ刈り前